NO MORE 写真泥棒

 劣等感というものは、誰しもが持っているものだと思う。多いか少ないかは別として、自分よりも優れている人が隣に立っているのはそれだけで居心地が悪いものだ。
 もしかしたらそれによって自分を磨こうと奮起する人もいるのかもしれない。けれども、それはほんの一握りの人種であって、大体の人間は自分の惨めさに辟易とするのであろう。私はといえば、それはもう圧倒的に後者だった。
 自分自身の事は一番自分が分かっていて、だからこそ己の限界というのは他人には見えずとも、常に影に寄り添ってまとわり付いてくる。それだけでも辛いのに、わざわざ自分よりも優れた人の隣に立つ勇気なんて私には無かった。
 
 だから、そう。つまりは何が言いたいのかと言えば。
 
「絶対に嫌、今すぐその手にあるものを下ろして私の前から消えて」
「いいじゃないか。一枚くらい」
「嫌ったら嫌」
「何が嫌なんだい、たかが写真だろう」
「されど写真でしょ!」
 
 間違っても藍染惣右介と写真に収まるなどごめんだという事だ。
 
 

 
 
 待ちに待った昼休み、今日は天気もいいし折角なら外で食べようとウキウキとお弁当を片手に隊舎を出たのがほんの数十分前の事。
 春の暖かい日の下で私は何故こんな攻防を繰り広げているのだろうか。
 
「現世に行った部下がお土産に買ってきてくれたんだよ。最近の技術は凄いね、これで写真を撮ればお店であっという間に現像できるらしい」
「そんなこと聞いてないわ!私は惣右介くんと写真を撮るなんて自殺行為絶対しないからね!」
「君は一体何に怯えてるんだい」
 
 心底意味のわからないといった顔で首を傾げる男の手にはこちらの世界では見慣れないゴツゴツとした機械が握られていた。私はといえば、先程から向けられるそれから逃げるべく右に左にと体を揺らして必死の抵抗を試みている。
 
「しいていうなら惣右介くんの親衛隊に怯えてるかな」
「僕に親衛隊?そんなのいるわけ無いじゃないか」
「いるんだよそれが……!」

 コイツ、マジで言ってんのかよ。私が今まで貴方の親衛隊にどれ程睨まれてきたか知らないわけがないだろうに。それともあれか、これは遠回しに僕の引き立て役になれと言われているのだろうか。
 
「ちょっ、小刻みに移動しすぎて気持ち悪くなってきた……」
「大丈夫かい? 背中をさすってあげようか」
「待て待て、なんでカメラを近付けてくる」
「狙うなら弱っている所をかな、と思ってね」 
「私は猪か何かか!」
 
 一歩、また一歩と距離を詰めてくる惣右介くんは穏やかな口調とは裏腹に、瞳は獲物を見るそれだった。
 私はただ日光浴でもしながらお昼を食べようと思っていただけなのに、何故神様はこうも私に当たりが強いのだろうか。藍染惣右介を生み出した貴方はやはり己の最高傑作を贔屓しているのですか。いや、惣右介くんを最高傑作なんて私は思っていませんけれども。
 ……まぁ、顔は良いかな。
 
「はっ!余計な思考が頭をよぎってしまった」
「もう少しそのままでいてくれていいよ」
「良くないわ、いい加減諦めて帰ってよ。ご飯食べたいんだけど」
「食べればいいじゃないか。君のお手製かい?なら僕も一口貰いたいな」
「……あげたら諦めてくれるの?」
「おや、いいのかい」
 
 ぴたり、と惣右介くんの足が止まる。意外にも私の申し出は効果があったようだ。今の今まであんなに私を追い詰めようとしていたのに、惣右介くんは手早くカメラを袋に戻し私の隣へと腰をおろした。
 視線は私の膝の上、つまりはお弁当に向けられていて、早く開けろと物言わぬ瞳が訴えてくる。手作りといっても対したお弁当ではないので、私は狼狽えた。なんだこれ、めちゃめちゃ恥ずかしいぞ。
 しかし一度言ってしまったものは取り消せない。私は覚悟を決めてお弁当を包む布の結び目に手をかけた。が、ふと違和感を感じて顔を上げる。

「うわっ」
 
 ぎょっとしてしまったのは、惣右介くんとの距離が拳一つ分しか無かったからだ。いつの間に近付いていたのか、惣右介くんの柔らかな髪の毛が視界を掠め、ふわりと良い香りが鼻腔を擽る。なんだなんだと顔色を伺えば何故か惣右介くんは正面、というよりもやや上を向いていた。「はて?」と首を傾げて何の気なしに惣右介くんの視線を辿る。
 そこには何故か先程仕舞われたはずのカメラがあって、私は飛び上がった。
 
「ぎゃー!ちょっと何してんの!」
「おっと」
 
 恐らくこれを押してしまえば写真が撮れる、という位置にあった人差し指を慌てて両手で抑える。その勢いでお弁当が転がり落ちてしまったが仕方なかった。私の予想は当たっていたのか、隣から短く舌打ちが聞こえて私は胸を撫で下ろした。
 危ない、なんて油断ならないんだこの男。あと数秒遅かったら私の人生終わってた。
 
「意地でも撮られない気かい、君」
「当たり前でしょ、惣右介くんだけで売れるって」
「売るつもりなんてないんだけどな」
 
 これは記念だから、とか。思い出にとか。色々と正論立てて喋る彼はなんというか必死だった。最初こそ邪険にしていたものの、見るからにしょんぼりとされると私も流石に居心地が悪い。しかし、この甘い顔に騙されて痛い目に合った回数は数知れず。今回ばかりは私も引くことはできない。なにせ形として証拠が残るのだ。何かの拍子にこれが流出してしまったら最後、私は護廷十三隊を斬魄刀無しでは歩けないだろう。
 大体、顔の整った男の横に何故私がわざわざ並ばなくてはいけないのか。あまりにも惨めだ。けれども未だにカメラを下ろさないあたり、諦める気は無いのだろう。
 内心ため息を吐きつつ、絶対に言いたくないと思っていた言葉を捻り出す事にする。
 
「あのね、凄く凄く、すっごーく言いたくないんだけど、貴方は顔が整っているの」
「ほう、それは初耳だ 」
「だから惣右介くんと一緒に写真に収まるのは絶対に嫌。引き立て役にされている気にしかなれない」
「そんなに卑下しなくても君は充分愛らしい顔をしているよ」
「あっ…、あいっ?!」
 
 あまりにもさらりと吐かれた惣右介くんの一言に私は固まる。
 えっ、今なんと。
 
「ほら、そうやってすぐに赤くなるところも可愛い」
「なっ、なってないから!」
「慌てふためくところも小動物みたいで好ましいね」
「なに、なんなの急に!」
「まだ納得しないのかい、じゃあそうだな。君が納得するまで君の魅力を語ろうか」
「いらない!そういうのいらないから!」
「まずはそうだな……」
「わーーっ!!!」

 形のいい唇が音を作ろうと縦に開く。スローモーションのようにゆっくりと開かれる口許を見ながら私の頭は爆発寸前だった。それと同時に反射的に腕が動き、凄まじい勢いで箸を掴んだ。そのままお弁当から卵焼きをひっ掴み、惣右介くんの口に押し込む。
 我ながら素晴らしい動作だったと思う。恐らく一秒もかからなかった私の箸捌きは見事惣右介くんの口を塞ぐのに成功した。私の思いもよらない行動に惣右介くんの目が見開かれていく。
 
「さぁ召し上がれ!」
 
 暫く放心した後、もぐもぐと大人しく租借を始める惣右介くんの口。無言で見つめ合う私と彼。
 異常な緊張感が張りつめていた。もし、まだ口を開く気ならば次の一手を用意しなければいけない。目線はそのまま私は手近なおかずを掴んでスタンバイをする。連続で卵焼きは辛かろうとウインナーを選んだ私、偉い。じっと惣右介くんを睨み付けながらその時を待つ。
 程なくして、彼の喉仏が上下した。つまり飲み込んだという事だ。もはや天気の良さなんてどうでも良くなってしまった私は神妙な面持ちで彼を見つめる。対して、相変わらず余裕綽々な彼はぺろりと唇を舐めて、そうしてにこりと笑った。
 
「……まぁ、今回はこれで良しとしようかな」
 
 卵焼きの余韻を味わうように細められた目元は、優しい曲線を描いていた。今度こそ、カメラが下ろされ袋の中へ戻っていく。最後までそれを見届けて、漸く私は解放された。
 どうやら諦めてくれたらしい。何と戦っていたのかは分からないけれど、これで私の明るい未来は約束されたのだ。
 そう思うと何だか全てがどうでも良くなって、気を良くした惣右介くんがねだるまま、おかずを分け与えてしまっていた。
 
 まぁ、これで済むならいいかと、妙に疲れた休憩を終えたのが先週の事。
 
 その後、攻防の一部始終を撮っていた松本副隊長により私と惣右介くんの写真がばらまかれるなど、この時の私は思いもしていなかったのだ。