噂をすれば影がさす

 その日、護廷十三隊は色めき立っていた。四番隊の隊舎は朝から女子が集まり、きゃあきゃあと騒いでいたし、書類を配りに廊下を歩けばあちこちで黄色い声が飛び交っていた。
 
「聞いた?藍染隊長のお話」
「聞いた聞いた!私も見たかったぁ」
「えぇ、でも実際に見たらショック受けちゃう」
「いいなぁ私もその場に居たかったぁ」
「私はとてもじゃないけど立ち直れそうにないよ〜」
 
 耳に入ってくるのはそんな声で、あぁまた惣右介くんの話ね。とたいして気にも止めず歩いていたのだが、今日に限ってはどうも様子が可笑しかった。
 些細な違和感にひっかかりを覚えつつも、私は最後の書類を配るべく十三番隊の事務所の扉をノックする。
 そして、開いた先の光景に度肝を抜かれた。

「藍染隊長が飲み会で女をお持ち帰りするなんて!しかも美女!信じられない!」
 
 死んでやる!そう高らかに宣言をして首にカッターを当てる女の子に、慌てて取り押さえようとする死神達。
 
 その光景を目の当たりにして、私はようやく事の顛末を理解したのだった。
 
 
 
 
「……っていう事があったの」
「えー、怖っ」
 
 がやがやと賑わう食堂の隅でカツ丼をつつきながら私は大きなため息を吐いていた。向かい合わせに座った同僚はあんぐりと口を開けながらも、食後のぜんざいを口に運ぶことはやめない。
 その細い体のどこに入るんだ、と言いたくなるほど山盛りの甘味は、あっという間に彼女の口に吸い込まれて消えていく。なんだか私の方が胸焼けをしてしまいそうだ。
 
「浮竹隊長の説得のお陰で収まりはしたんだけど、その後は隊長が倒れちゃってさ〜」
「あの人も災難だねぇ」
 
 最後の一口を放り込んだ同僚は、もぐもぐと租借をしながらそう言った。その言葉に「だよねぇ」と力なく返してみるものの、脳裏に焼き付いた衝撃的な場面は中々消えてはくれず私は唸る。

「藍染隊長が人気なのは知ってたけど、ここまで来ると恐ろしいね」
「ね、恋もいきすぎると人を狂わせるって学んだ」
「でも透子って藍染隊長と同期なんでしょ?それこそ霊術院時代はどうだったのよ」
「どうって……」
 
 うーん。カツ丼を頬張りながら思い出すのは今よりも幾分か青年らしい惣右介くんだった。
 何でもそつなくこなしてしまう根っからの天才。だけど横暴さは欠片も無くて、朗らかな彼はいつも人に囲まれていた。そんな惣右介くんに想いを寄せる女の子は確かに多かったように思う。
 しょっちゅう呼び出されては廊下の隅で告白をされていたし、それこそ親衛隊のような組織もできていた。
 けれど、いくら記憶を引っ張り出してみても今回のように過激な騒動が起きた事は無かった筈だ。
 
「惣右介くんは人気だったけど、みんな遠巻きに眺めて満足してたかな」
「なるほど。手の届かない存在だからある意味楽しめてたのかも 」
「どういう事?」
「一種の神聖化よ。今まで崇めてた存在が急に人の物になっちゃうんだもん。そりゃ発狂しちゃうって」 
「えぇ、大袈裟な……」
 
 そういえば事の発端は惣右介くんが美女をお持ち帰りしたとか何とかだっけ。
 長年の攻防で忘れかけていたが、彼も男なのだ。そりゃあそういう気分になる時だってあるだろう。……それでも、やっぱりちょっと生々しいとは思うけれど。
 
「でも藍染隊長が女性をお持ち帰りなんて、確かにショックだなぁ。紳士かと思ってたのに」
「それなんだけどさ、多分違うと思うんだよね」
「……透子」
「?なに」
 
 ぼんやりと残り少ないどんぶりの中を眺めてた私は、耳に入る声が突然固くなったことに眉を潜める。
 不思議に思って顔を上げると、何故か同僚が目を見開いて私を凝視していた。首を傾げてみても彼女は固まったまま動かない。
 流石に変に思い「どうしたの」と声をかけようとした、その時だった。
 
「透子っ」
「ぎゃあっ!」

 突然、背後から呼ばれた自分の名前に私は盛大に飛び上がる。
 思わず、ぽろりと箸が手から溢れ落ち、どんぶりに跳ね返ってチーンと軽快な音を立てた。
 え、なにこれ。人生終了の音か何かですか。

「そっ、惣右介くん?」
「やっと見つけた」
 
 ギコギコと音が聞こえそうなくらいぎこちない仕草で後ろを振りかえれば、何故か息を切らした惣右介くんがいるではないか。
 急いできたのか、いつもは完璧に整えられている髪の毛はボサボサで、心なしか表情も固い。私はまん丸と目を見開いて彼を見上げる。
 一体何事なのか、ざわざわとうるさかった食堂が違う意味で騒がしくなる。気がつけば周りの視線が私達に集中していた。
 それはそうだろう、あの藍染惣右介が末端の席官に話しかけているのだ。しかも女に。
 
「例の件だが」
「へっ?」
「あれは違うんだ、確かに飲み会は参加したが彼女とは何もない」
「えっ、えっ」
「酔ってしまったというから自宅の前まで送っただけなんだ」
「ちょっ、ちょっと待て!」
  
 矢継ぎ早に繰り出される言葉の応酬。一字一句として理解できない私は、はっと我に返って惣右介くんの口を両手で塞いだ。おいおい、コイツはこんな場所で何を言い出すんだ。こんなのまるで、
 
「……透子、やっぱりあんた藍染隊長と」
「違うから!!」
 
 ほら、こういう事になってしまうじゃないか!好奇心丸出しな同僚に舌打ちをしつつ、慌てて惣右介くんの腕を掴む。
 放っておけば永遠に喋りそうな彼の口を片手で塞ぎながら私は足早に食堂を飛び出したのだった。
 
 
 
△▼△▼△▼
 

 
「終わった、絶対明日から噂される」
「すまない焦ってしまってつい」
「すまないじゃないよ!どーすんのよ明日廊下でいきなり刺されたら!」
「僕がその子を始末してあげるよ」
「怖ぇなおい!」
 
 もう一体何なんだ。ぜーはーと息を吐きながら私は惣右介くんを睨み付けた。あれから急いで人気のない倉庫に飛び込んでみたもも、未だに彼の真意は掴めていない。
 というか、何故かじりじりと近寄ってくる惣右介くんに危機感を覚え始めていた。
 
「ねぇ、近いんですけど」
「透子」
「なっ、なに」
 
 とんっ、と背中に固いものが当たる。振り返らなくても分かる、壁だ。
 思わず逃げようと体を捻ってみても、すぐさま惣右介くんの両手が退路を塞ぐ。何だっけこれ、現世の漫画で見たぞ。…壁、壁ダン?いや違う、もっとこうマイルドな。
 
「聞いているのかい?」
「あっ、ドンです、ドン!」
「は?」
 
 あっ、怒ってる。惣右介くんの形のいい眉がピクリと吊り上げられ眼鏡の奥がギラリと光った。彼を知る人ならば、まさか惣右介くんの眉がこんな歪み方をするなんて思わないだろう。そのぐらい彼は苛々しているらしかった。
 けれども訝しげな表情はすぐに一転して、またしても懇願するように惣右介くんは私に語りかける。
 
「僕は彼女とは何もない。信じてくれ」
「それは分かった!分かったけど、……惣右介くん弁解する相手間違ってない?」
「何だって?」
「いやだって、弁解するなら彼女さんにでしょ。居るか知らないけど」
「……はー、」
「えっ、なに。なんでため息つくの」
「君が誤解しているんじゃないかと思ってわざわざ探したっていうのに。あんまりじゃないか」
「誤解も何も、惣右介くんはそういう人じゃないでしょう?」
 
 恐る恐る私がそう言えば、ぱちくりと惣右介くんの瞳が瞬く。そんな事を言われるとは思っていなかったのか、開きかけた口が何かを言おうと形を作るが、結局は何も紡がれることは無かった。
 やがて、きゅっと目を引き絞ったかと思えば、その顔が私の肩口に降りてくる。吃驚して思わず身を引きかけたが、そもそも逃げられる場所はもう無かったので、私の肩口に収まる惣右介くんの頭をただ大人しく受け入れることしかできなかった。
 
「あの、ちょっと」
 
 ふわふわとした茶髪が首筋に当たってむず痒い。というか、早く解放して欲しいんだけど。そう願いを込めて惣右介くんを見ると、ちょうど顔をあげた彼と視線がかち合う。いつも見下ろされてばかりいるから、こうして上目遣いの惣右介くんを見るのは新鮮だ。
 
「僕が何で誤解されたくないか。君、意味を分かってないだろう」
 
 なぜか拗ねる口調で言われた一言。不満げにじっとりと私を見上げる瞳も、やっぱり何一つ理解出来なくて首を傾げる。
 そんな私をどう捉えたのか、呆れたようなため息が聞こえてきたのはそれから一秒も立たない頃だった。