カリーナに口付けを

 
 むず痒い。何がって、この関係が。
 
 四番隊所有の山の中、見晴らしのいい丘に敷物を広げて座っていた。雲一つない晴天の空を時々横切る雀達に、さわやかな春の風。なんてのどかなお昼休みなんだろう。
 けれども、私は先程からそわそわと落ち着かず、手元のお弁当に集中できないままでいる。
 ちらりと横を伺うと小説に目を落としていた惣右介くんが私の視線に気付き、ゆっくりと顔を上げた。
 そのまま視線が一直線に重なり、惣右介くんの口許が柔らかい三日月を描く。私は慌てて惣右介くんの顔から目を外し「なんでもありません」を装ってお弁当をつついた。そんな私をどう思ったのか隣からくすりと笑う声がして、途端に熱が頬を包む。このやり取りも一体何度目なのだろうか。
 
 惣右介くんから告白を受け、悩んだ末に私も気持ちを伝えてから早くも一ヶ月は経とうとしていた。だというのに、私は未だに惣右介くんとの距離を掴みかねていた。それは惣右介くんとの関係が長い間「友達」として続いていたからだろう。本当に長い間、私達は友達だったのだ。
 ぱくぱくとおかずを口に放り込んでも味はよく分からない、どんなに租借を重ねても隣にいる惣右介くんが気になって仕方がない。付き合いはじめてからこうしてお昼を一緒に食べるようになったのだが、何を話していいのか分からなかった。
 っていうか今まで惣右介くんとどんな話をしてたっけ?ちょっと前まではこんな事で悩んだりもしなかったのだから、やはり恋愛とは難しいものだ。
 
「……ふっ、あははっ」
「へっ」
 
 ぐるぐると考えを巡らせていると、隣から突然の笑い声。思わず顔を上げて横を見ると、惣右介くんが我慢できないとでも言うように、口許を小説で隠して笑っているではないか。
 何がそんなに面白いのか、背中が少しだけ丸まって、耐えるように吐かれる短い息が彼の肩を弾ませていた。
 こんなに無邪気に笑う惣右介くんを見るのは初めてで、見慣れない姿に私の心臓はバクバクと音を立てる。
 ひとしきり笑い終えた惣右介くんは、はーと長い息を吐いて目尻の涙を拭う仕草をした。
 
「君って奴は本当に面白いな。少し前までは何をしても言い返して来たのに、恋人同士になった途端に借りてきた猫みだいだ」
「……そんな事言われましても」
「気を悪くしないでくれ、内心はとても嬉しいんだよ。君がまさか僕をこんなに意識してくれるとは思っていなかったから」
「いっ、意識はしてない!」
「本当かい?」
 
 何が気にくわなかったのか、手元の本をぱたりと閉じた惣右介くんが片膝に頬杖をして私を訝しげに眺める。口許は変わらず笑っているけれど、眼鏡の奥で細められた瞳は不満そうだ。
 ふいに、柔らかいそよ風が惣右介くんの髪を舞い上げて端正な顔を露にさせた。こうやって改めて見ると、本当に綺麗な顔をしていると思う。
 すっと通った鼻梁に、長い睫毛に縁取られた優しい茶色の瞳。綺麗な曲線を描く唇も、何もかもが、寸分の狂いもなく左右対称に配置されている。神様も少しぐらい手を抜いても良かったんじゃないか。
 まぁ、実際のところ好みか好みじゃないかと聞かれたら圧倒的前者なのでぐうの音も出ないのだけれど。
 本当に相手が私で良かったんだろうか。いやでも、私以外の人と付き合っている惣右介くんを見るのもそれはそれで……。
 なんて、ぼーっと惣右介くんを眺めていれば何故かその綺麗な顔が段々と近付いてくるではないか。
 
「ちょっ」
「どうしたんだい。意識していないなら何ともないだろう?」
 
 そう言って惣右介くんはあっと言う間に近寄って手を取り、お弁当を敷物の上に置いてしまった。もう片方の手もお箸をするりと抜き取られ、彼の指に絡め取られてしまう。

「何をするつもりなんですかね?!」
「恋人同士ならする事は決まっているだろう?」
 
 拳ひとつ分も無い距離で、甘い声が耳を擽る。わざと耳元で囁いた惣右介くんが、そのまま私に流し目を送ってきた。伏せ気味の瞳から送られる熱視線はあきらかにそういう意図を含んでいて、処理範囲を越えた脳みそが無意味に回転する。
 
(うわ、この人睫毛で顔に影ができてる……じゃなくって!……それにしてもやっぱり色気あんなぁ、だからそうじゃなくて!)
 
 すごい、パニックに陥った頭って本当になにも考えられないんだ。他人事のように自分を分析してみるも、既に惣右介くんの顔は近すぎてぼやけてしまう距離まで縮まっていた。
 二人分の吐息が静かにぶつかり、どちらのともつかない息遣いが顔にかかる。
 あと少しで重なる。そう思った瞬間、私の頭はようやく正解を導きだしたのだった。
 
「わー!うそっ、嘘です!ごめんなさい実はめちゃめちゃ意識してました!」
「そうかい。素直が一番だよ」
 
 本当に触れるか触れないかの所で止まった唇が、ふっと満足げな吐息を漏らして離れていった。拘束されていた手も解かれ、惣右介くんの体も遠退いていく。やっと訪れた解放感に私はほっと胸を撫で下ろした。
 けれどもその瞬間、ちゅ、と頬に柔らかい何かが触れて離れていった。一瞬の温もりに思わず頬を押さえてぽかんと口を開ける。
 
「……ねぇ、今何したの」
「さぁなんだろうね」

 呆然と惣右介くんを見ても、彼は既に小説に目を滑らせて、最初と変わらない体制に戻っていた。えっ、ちょっと、ねぇ。
 
「ちゅ、ちゅ、ちゅーしたでしょ!」
「したかもね」
「何故に疑問系?!」
 
 その後、私はお昼休憩の最後まで惣右介くんを質問攻めにするのだが、最終的には彼に口を塞がれる事となってしまう。
 けれども、それはまた別のお話なのである。