だってかわいいもん

 
 例えば10人の男がいて、彼らに訪ねれば10人がこう返すだろう。
 
『可愛いね』

 そうね、あたしは可愛い。毎日手入れを欠かさない髪に化粧水をこれでもかと叩き込んだ柔らかくて白い肌。そして生まれ持ったパーツを最大限に活かしたメイク。360度どこからどう見ても死角なし。いついかなるときも最大限に自分の魅力を発揮できるパーフェクトな顔面。今まで沢山の男の子達があたしを褒めてくれた。
 そんなあたしを周りの女達は淫乱だの、ぶりっ子などと言うが、私のプライドは欠片も傷付かない。対した努力もしていないくせにブーブーと文句を垂れる女達なんて、どうでもいい。
 努力もしないくせに同じ土俵に立とうなんて笑っちゃう。だって事実、あたしは超可愛くて、あんた達は可愛くない。
 ――これが真実でしょ?
 
 


 
 放課後の渡り廊下には滅多に人が寄り付かない。というのも、今日は運動部が休みで、文化部しか活動していないのでそもそも外に人はいない。廊下に立つのはあたしと黒崎君の二人だけだ。
 夕焼けが二人の体をすり抜けて細い影を地面に落とす。感のいい女子はピンとお気づきだろう。あたし達は今まさに青春の一ページを刻もうとしているのだ。
 離れていた二人の影はゆっくりと近付き、やがて重なる――筈だったのだが。
 
「ごめんね、黒崎君。もう一回いい?今なんて?」
「あ?だからお前とは付き合えねーって言ってんだろ」
 
 ぼとり、肩にかけていたスクールバッグが廊下に落ちる。口から漏れたのは言葉にならない吐息だけで、耐えきれずにぽかんと口を開けてしまった。
 あたしの人生は何でも思い通りになると思っていた。だって、あたしがちょっと首を傾げて困り顔をすれば、周りの男達は我先にとあたしを取り囲むから。
 いやー、これから先叶わない願いなんて無いなー、なんて思っていましたけれども。
 
「……え、えっと。ワンモア?」
「だ、か、ら。付き合えねぇって! 言った!」
 
 ……おーけー。わかったわかった。きっと私の耳が悪かったのね。あんまりにも皆が私を褒めるもんだから、耳がいい加減聞き飽きたって仕事を放棄してるのね。
 そうやってあたしが必死に胸を落ち着けている横を、あろうことか黒崎君は颯爽と横切っていく。
 
「じゃあ俺帰っから」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」

 あたしは黒崎君の制服を慌てて掴む。振り返った黒崎君の眉間にはこれでもかってくらいに深いシワが刻まれていたような気がしたけど、うん。きっと気のせい。
 気を取り直して「きゅるん」なんて効果音がつきそうなくらいの上目遣いを繰り出す。これはあたしの必殺技で命中率は今のところ100%。なのに、黒崎君はなびくわけでも、顔を赤らめるわけでもなく。何だよと面倒くさそうに言い放った。
 え、ちょっと。このあたしの上目遣いを受けてその態度ってどうなの?もしかしてマスカラがダマになってるとか?あたしに限ってそんな訳がない。
 あたしの睫毛は今日も完璧な曲線を描いている筈だし、愛らしい瞳は小鹿のようにまんまるでうるうるでしょう。今日なんてわざわざホットビューラーまで引っ張り出して仕上げたのだ。この目を可愛くないなんて言わせない。
 
「目ぇ乾くぞ」
「……うん?」
「なんだよ」
 
 なんだこれ、上目遣いを通り越してもはや睨み付けるといった方が正しい気がしてきた。いやいや、例え睨み付けようともあたしは結局可愛くなっちゃうんだけどさ。ていうか黒崎君はいつまで怪訝そうにしているつもりなの。なんだよ、じゃないんだよ。
 
「聞き間違いじゃなかったら私フラれたように聞こえたんだけど」
「実際断っただろ」
「……何で?!」
「何でって、好きじゃねーからだろ」
 
 好きじゃない。その言葉は私の頭を貫通して見事に撃ち抜いた。ぐるぐると黒崎君の言葉が頭を巡る。え、うそ。
 よろよろと後ろに下がって、そのまま耐えきれず尻餅をつけば、黒崎君が焦ったように自分の顔を覆った。パンツ見えんぞ、とか慌てた声がするけれど、そんな事どうでも良かった。
 雷に打たれたって、きっと今みたいな状況を言うんだろう。頭の中がぐちゃぐちゃとして気持ち悪い。生まれて初めての敗北感に思考が拒否反応を起こしている。
 いつまでたっても動かない私を見かねた黒崎君が頭をガシガシとかいて、とりあえずといった風に手を差し伸べてくれた。大きい手の平が私の視界に入る。
 ゴツゴツした、男の子の手。そう、確かあの日もこの手を見てあたしの胸は高鳴った。
 はっとしたあたしは慌てて黒崎君の手を掴み引き寄せる。見た目によらず馬鹿力なせいで黒崎くんはうわっと声を上げて私の前に膝をついた。あぁ、こんなの可愛くない。そう思うものの、私の体は止められなかった。
 
「なんで?!あたしこんなに可愛いじゃん!」
「はっ?」
「お肌だってニキビひとつ無いし、髪も枝毛一本も無い!メイクだってヨレてない!」
「ちょっ、待てよ」
「何で駄目なの?!」
 
 どっからどう見ても可愛いだろうが!もはや言葉遣いなんて気にする余裕もなくて、黒崎君に殴りかかる勢いで捲し立てる。あたしは可愛い。誰が見ても可愛い筈、なのに。
 
「なんでよぉ〜〜!」
「ハァッ?!ちょ、おい何泣いてんだよっ」
「だって、だって〜!」
 
 ぼろぼろと溢れる涙が止まらない。悔しい、悔しすぎる。今までこんな思いしたことがなかった。私が本気で好きになったのは黒崎くんが初めてだったのに、生まれて初めて自分から告白したのに。あたしの人生で人を振る事はあっても、振られるなんてありえない筈なのに。
 両手で顔を覆って座り込むあたしに、黒崎君はどうしていいのか分からないのだろう。うーとか、あーとか困った声が頭の上からする。
 ひとまず引き留めることには成功したけど、何なのコレ。ただのヒステリーな女じゃん。メイクも絶対ヨレた。ちょー最悪。しかも泣きすぎたせいで頭の奥がくぐもってぼんやりとする。
 黒崎君、いい加減帰っちゃうかなぁ。
 
「あー、わかったわかった。ほら、これやるから泣くなって」
「……ハンカチ」
 
 下を向いてぐじぐじと目元を拭っていたあたしの前に差し出されたのは綺麗に折り畳まれたチェックのハンカチだった。両手に収まるそれをまじまじと見下ろす。
 
「黒崎君ってハンカチ持つタイプだったんだ」
「いや、これぐらい普通だろ」
 
 やばい、キュンとしちゃう。ハンカチ常備してる男の子とか。しかも泣いてる女の子に差し出しちゃうとか、使い所を分かってる。あぁ、やっぱり好きなんだよなぁ。
 黒崎君は頭をがしがしとかいて、暫く視線をさ迷わせた後。腹をくくったように息をついて私をまっすぐと見つめる。
 
「大体さぁ、俺おまえの事知らねぇし。いきなり告白されても好きも嫌いもねぇよ」
「……そっか」
「だから何だ、あー、その。別にお前が可愛くないから断ったとかじゃねぇから」
「ほっ、ほんとに?!じゃあ付き合ってくれる?!」
「付き合わねぇよ!」
 
 これはいけるのでは。がばりと身を起こして詰め寄ったあたしの脳天に黒崎君のチョップが炸裂した。いや、コントかよ。
 
「いやコントかよ!」
 
 黒崎君もそう思ったんだね。わかる。だってコレ、どう頑張っても甘い空気になんて持ってけないし。最初から甘くなかったとかは置いといて、こんなん玉砕確定じゃん。

「……黒崎君さ、ちょっと前におばあさんの事助けてたでしょ」
「あぁ?」
 
 だから、私も最後の悪あがきをするのだ。
 
「歩道橋で大きい荷物持ってたおばあさんがいて、私は遠くで大変そうだなぁって見てた」
 
 雲一つない晴天の日だった。その日は髪の毛がうまく巻けなくて、いつもより遅く家を飛び出した。そんな日だった。
 
「そしたら前を歩いてた男の子がわざわざ戻っておばあさんの荷物を持ってあげたの」
 
 信号待ちをしながら、あぁ遅刻じゃんって毒づいてたあたしの目に、何となく映ったのが君。オレンジ頭の優しい男の子。
 
「いいなぁって思った。あぁいうのってドラマとか映画の中だけの親切だって思い込んでた」
 
 おばあさんに伸ばされた手のひらを何故か鮮明に覚えている。そう、確かあの時にあたしは思ったのだ。あの手の平を向けられるのが自分だったら、どんなに幸せなんだろうって。

「だから、黒崎くんが好きになったの」
 
 なので、あの、うん。そういう事なんです。
 あたしはハンカチに目一杯顔を押し付けて、教会で過ちを告白するみたいに黒崎くんに伝えた。最後はもう殆ど小声で聞こえなかっただろう。
 泣きすぎたせいで目尻が痛い、けれども何よりも心が痛かった。
 あたしは可愛い。誰もが認める容姿で、誰もが守りたくなる儚さで。でも、本当に好きな人に好きになって貰えないのは。
 きっと、――私の心が可愛くないせいだ。
 
「それを先に言え!」
「いったぁ!」
 
 しょんぼりと絶望に浸っていた私の頭は、脳天に落とされたチョップによって突如現実に引き戻された。え、待って、あたしは今いったい何をされたの。

「……黒崎君?」
「いきなり好きとか言う前に、それを言えよ!」
 
 焦ったような黒崎君の声が降ってくる。涙に滲んだアイラインが目に染みて痛かったが、必死に目を見開いて顔を上げると、そこには何故か赤面をした黒崎君がいた。
 夕日に縁取られた頬は赤くて、あたしは一瞬勘違いかと思った。けれども確かに黒崎君は片手を口許に寄せて頬を染めていた。
 
「……顔、赤いけど」
「うっせぇ」
 
 これ、いけるんじゃないの。もう一度あたしの肺が言葉を吐き出そうと空気を吸い込む。新鮮で、新しくて、きらきらとした空気があたしの体を一杯にした。
 今度こそ、届いて。ぐちゃぐちゃで可愛くないあたしの顔が黒崎君に近付くまであと数センチ。慌てて口を塞ごうとする黒崎君の手を両手で包む。
 
「まっ、」
「あたし黒崎君の事が」
 
 好きです。
 
 ――さて、答えはどっちだったのでしょう?