どうか末永く

 初めて浮竹様にお会いした時、こんなに綺麗な殿方がいるのかと、私は驚いたものだ。
 
 彼の長い髪は動く度にしなりしなりと揺れ、光に当たればきらきらと輝いた。穏やかな顔つきは性格が表れているかのようで、実際に浮竹様はとてもお優しい方だった。笑うと眉が困ったように下がる所が好ましいと感じたのは何年前の事だろう。
 
 私と彼は所詮“お見合い”の席で出会ったのだ。お見合いといっても、私は始めからこのお見合いの席に意味が無いことを悟っていたのだが、両親は娘の気持ちなど二の次なのか護廷十三隊の隊長様と繋がりを持てたことが大層おきに召したようで、しきりに浮竹様に話しかけては彼を困らせていた。
 私は口を閉じて無意味に思える会話をただただ横で流し聞く。浮竹様もこんな席を設けられてご迷惑なのだろうな、と。それだけが気掛かりだった。
 
 私の家は名家に入りはしないが、それなりに裕福な家だったので、両親の期待はいかに私が立派なお立場の方に嫁げるかにかかっていた。
 幼い頃より両の手では足りぬほどの習い事をこなし、礼儀作法を叩き込まれ、一切の手抜きは許されない生活だった。そしてある日、突然気付いたのだ。自分はなんてつまらない女なのだろうと。
 与えられた物は多く、その割には手にしたものは何一つない。いつの間にか自分が好きなものが何なのかさえ分からなくなってしまって、そうしていつしか考えるのも辞めてしまった。
 
『申し訳ありませんみょうじ殿』
『……えっ』 
 
 彼と会話をしたのは、延々と続きそうに思えた両親の質問攻めが終わり、あとは若い二人でと決まり文句で取り残された時だ。
 浮竹様は疲れたように息を吐き、お茶をすする。申し訳ないと思いつつも私はやはり浮竹様のお顔立ちに見惚れ、所作まで美しい様に圧倒されていた。浮竹様は湯飲みを音もたてずに机に置き、私を真っ直ぐと見つめる。
 一切のブレがない視線にたじろいだのは私を見透かされているようで怖かったからだ。
 
『貴方との見合いの席だというのに、今の今まで貴方と会話ができませんでした』
『……いえ、とんでもございません。浮竹様こそ、両親が長々とつまらない話をしてしまいご不快でしたでしょう』
『そんな事はありませんよ。娘さん思いのとてもいいご両親ですね』
 
 それが社交辞令だというのは彼の笑顔ですぐに分かった。両親が話したことと言えば「私達の娘は多才で器量が良い」などといった戯れ言だ。言えば言うほど必死さがあふれる事に彼等は気づいていないようだった。常人が彼等の会話を聞けば、そこに娘への愛情が無いことなど丸わかりだろう。
 自分自身への失笑に頭が冷える代わりに、でもそうか、このお方は嘘がつけない方なのだな、と胸がほんのりと暖かくなった。優しい人に久しく触れていないせいか、浮竹様が眩しく見えてしまっていけない。
 私は腰を引き、三つ指を揃えて浮竹様に頭を下げた。何も持たない私が唯一彼に捧げられる事だ。視線を床に落としても、彼の慌てる気配が伝わる。
 
『今回は両親が無理に頼み込み、席を設けて頂いたと伝え聞いております。誠に申し訳ございません』
『そんな、顔を上げてください。私は貴方とこうしてお会いできてとても光栄ですから』
『……私は、つまらない女です』
 
 優しすぎる声音に、ついぽろりと本音が出てしまった。はっとして口許に手を当てても時既に遅く、浮竹様を伺えば、彼はぽかんとした表情で私を見ていた。
 やってしまったと後悔が込み上げ、はやくこの場が終わればいいのにと唇の端を噛む。けれども、浮竹様が何故か柔らかい笑みを浮かべるので今度は私がぽかんとしてしまった。
 何か言うべきなのだろうかと口を開いたり閉じたりしていると、浮竹様の方から話しかけてくださる。
 
『では、みょうじ殿の好きな色を教えて下さい』
『……すきな、いろ』
 
 それは予想もしていなかった問いであった。味わうように繰り返してみても、やっぱりよく理解出来ない。
 恐らく今まで生きてきた中で、好きな色など聞かれた事は無かった。というより自分の好きな物など、考えたことも無かったように思う。
 浮竹様は急かすこともなくただ黙っていた。つまりは私の答えを待っているということで、私は焦る。
 好きな色、私自身がすきなもの。暫し逡巡して、頭の隅にちらついた欠片をそのまま口に出してみる。これで、合っているのだろうか。
 
『……白が、好きかもしれません』
『そうですか。では好きな花はありますか?』
『多分、すみれが好きです』
『好きな生き物は』
『……すずめ、でしょうか。小さくてまるい姿が可愛らしいと思います』
『あぁ、私も雀は可愛らしいと思います。それでは好きな食べ物はありますか』
『……栗羊羮は美味しいと思っています』
 
 絶えず続く質問に私は息切れを起こしそうになりながらも必死に答え続けた。胸の奥がバクバクと脈打って忙しい。同時に、こんなにも自分には好きなものがあったのかと驚いた。
 浮竹様は私の返答に相槌を打ち、時には一言二言、感想も付け加えて下さる。そのどれもが暖かさに満ちていて私は不思議な心地に浸りながらも、一生懸命答えた。
 
 そうして、質問の数が両手では足りなくなった頃、ふと浮竹様が口をつぐんだ。
 やっと終わったという安堵感と、少しだけ残念な心地が降り積もり、途端に落ち着かない気持ちが胸に溢れる。それを察したのか浮竹様は首を少しかしげて笑顔を見せてくれた。その笑みに、あぁやっぱり綺麗なお方だなぁとついつい見惚れてしまう。
 
『……貴方は決してつまらない方などではありません。自分を見せる術が分からないだけなのです』
 
 浮竹様の言葉が耳に入った瞬間、鼓膜を突き抜けて直接心臓を打たれたような錯覚を覚えた。
 彼は今、なんと言ったのだろうか。無意識に右手が胸元の着物を握りしめる。浮竹様はやはり真っ直ぐと私を見据えていた。
 
『きっとみょうじ殿の周りには自身を縛り付けるものが多かったのですね。ですが、周りが何をしようとも貴方自身を縛ることなど決して出来ません』
『……』
 
 息ができない、苦しくて、逃げ出してしまいたいのに。どうしようもなく嬉しさが込み上げて目尻が熱くなる。何なのだろう、こんな感情なんて私は知らない。
 
『私は今日、貴方に出会いお話できたことを嬉しく思います』
『……私もです。私も浮竹様とお会いできて良かった』
 
 するりと滑り出た言葉は紛れもない本心で、私の心からの叫びだった。
 それが合図だったかのように私の両目からは涙が溢れた。慌てて両手で顔を覆うも、指の隙間から漏れる嗚咽までは隠せなくて、浮竹様はそんな私の背を泣き止むまで撫で続けてくれたのだった。
 私はあの日の手の温もりを生涯忘れることは無いだろう。
 
 
 
 

 
 
 
「なまえ!どうした?大丈夫か?」
 
 はっと、沈んでいた意識が浮上して私はパチパチと瞬きをする。声が聞こえた方を見上げると、十四郎様が私を心配そうに見下ろしているではないか。
 
 そうだった、私は洗濯物を畳んでいたのだった。ついつい思い出に浸りすぎてしまったらしい。手早く手元の服をたたみ、彼に向き直る。
 途端に浮竹様がおろおろと私の肩を掴み「具合が悪いのか?」と問いただすので、私はついつい笑ってしまった。
 
「ごめんなさい。ちょっと昔の事を思い出していて」
「昔の事?」
「貴方と初めて会った時の事ですよ」
「あぁ、懐かしいな。あの頃のなまえは本当に無表情だったなぁ」
「あらやだ。貴方ったらそんな事を思っていらっしゃったの?」
「ははは、それが気になってどうやったらなまえが表情を変えてくれるかと質問攻めにした記憶があるよ」
「まぁ、それであんなに……」
「色々と聞いたよなぁ、好きな食べ物に好きな動物。あとは……好きな色だったか?」
「あぁ!そうそう、それで私ずっと考えていた事があったんです」
「なんだい?」
「貴方に好きな色を聞かれた時、どうして白と答えたんだろうって」
「……好きだからじゃないのかい?」
「えぇ、そうなんです。確かに好きなんですが、」
 
 きっと、貴方の色だったからですね。
 
 そう私が告げると、彼はあの日のように優しく笑った。