そして彼は笑った

「みょうじさんって援交してるの?」

 からっと乾いた熱い空気と照りつける容赦ない日差しにけだるさを覚えながら屋上でサボっていた私は突然横から掛けられたなんとも失礼な一言で閉じていた瞳を開いた。
 視線の先には細身でひょろっとした男の子。靴の色を見れば同級生だということが分かる。というか私はこの人を知っている。知っているけど名前が出てこない。

「あ、ぼく水色っていうんだ。小島水色」

 そうだ、水色君だ。私の友達がよくしゃべっている。爽やかでかっこいいとか、可愛いだとか、そんなことを。

「私はなまえ。みょうじなまえ」
「うん。知ってる」 

 にこにこと微笑みながら近づいてくる水色くんはどうやらサボるつもりらしい。しかも用意のいいことにコンビニの袋の中からはアイスの袋が覗いている。
 仕方ないので私も腰を少し上げてスペースを一人分空けた。扉のすぐ横のスペース、屋上の影は少ししか伸びていないから私と水色君が座ればなんとも息苦しい。
無意味に胸元のシャツをぱたぱたと開く。

「みょうじさん昨日ぼくとすれ違ったよね?」

 ガサガサと袋をあさりながら投げられた問いで私はようやく合点がいった。
 確かに夜の繁華街で私達はすれ違った。私は十個年上の人と腕を絡ませ、水色くんはグラマラスな大人の女性と手を繋いでいた。最初はなんだか若い子がいるな〜とか何の気なしに見ただけだったけど、水色君はなんと制服で堂々と繁華街を歩いていた。だから私は水色君を見たことがあると感じたのだ。

「あ〜あれやっぱり水色君だったんだ?なんか見覚えあるなぁって思ってた」
「ぼくもびっくりした。みょうじさん真面目そうなのに案外ちゃっかりしてるんだね」
「いやいや屋上でサボってる時点で真面目じゃないでしょ」
「あれ、怒るとおもったのに」

 私の友達に今すぐメールしてやりたくなった。爽やか?可愛い?冗談はよしてくれ、とんだ性悪男じゃないか。

「水色君こそ、遊んでるんだね知らなかった」
「あ、やっぱり怒った?」
「怒ってはないけど、言い方ってもんがあるでしょ」

 もう考えるのも面倒臭くなって私は体を丸めて再び目を閉じる。別に水色君に知られたからといって何かが変わるわけじゃないし、ましてや水色君だって同じことをしているのだ。あ、でも一つ訂正しておきたい。

「ご飯食べるだけだよ」
「え?」
「私は遊んで、ご飯食べるだけ。お金も貰ってない」

 まぁ、おごって貰ったりはしてるけどね。そう言えば水色君は目をまん丸にしてそのあと何故か少し落胆したような表情をするから、私は首を傾げる。なんだなんだ、一体何が気にいらなかったって言うんだ。

「そっか」
「そうそう、だから最初の質問の答えはノー、ね」
「ふぅん」
「まだなにか、ひゃあ!」

 突然首元に冷たいものが当たって私は飛び上がった。灼熱とも言える真夏日の今日、久しく感じることのない刺激は大きくて、首を押さえながら大きく仰け反る。

「ふっ、あははっ」

 視線を水色君に投げれば、それはそれは愉快そうに笑う水色君がいて、殴ってやろうかと言う気持ちに襲われた。いい加減ほっといての一言でも言い放ってやろうか。

「はい」

 口を僅かに開けて生ぬるい空気を吸い込んで、押し出そうとした時、目の前に一本のアイスが差し出される。みずみずしく光を反射するそれは紛れもないソーダアイスだ。ごくり、無意識に喉が上下する。

「くれるの?」
「いらないならぼくが食べるけど」

 この天気だから表面は溶けかかっていて、ぽたぽたと地面に染みをつくるアイスは熱い日には非常に魅力的で、私は素直に受け取る。小さくお礼を言えばどういたしまして、と飄々とした返事が返ってきて、私はシャクリとアイスに噛み付いた。
 安っぽい味はどこか懐かしくて、乾いた喉を潤していく。そのまま無心でアイスを食べていれば水色君も同じくソーダアイスに口をつけた。ん?ちょっと待て。

「ねぇ」
「ん?」
「最初から私の分まで買ってきてたの?」
「そうだけど」
「え、怖いんだけど」
「ストーカーとかじゃないから安心してよ。ただ気になったんだ、どうして大山さんがあの人といたのか」
「なんで気になるの?水色君と私一回も話したことないよね?」
「ないよ。けど、ぼくも同じようなことしてるからただ単に興味本位かな」

 ふぅん。シャクシャクとリズムよくアイスを食べればあっという間にアイスは棒だけになった。棒にはハズレと何百回も見た字がプリントされていて、ちぇっ。小さく呟けば水色君に笑われる。

「みょうじさんだって最初わかんなかった」
「そりゃあわかんないようにメイクしてるもん。わかる方が凄いよ」
「……なんで聞かないの?」
「なにを?あ、一緒にいた女の人のこと?すっごい美人だったね、水色君やるじゃん」
「いや、違うけど……まぁいっか」

 あ、これはあれか水色君があの人といることを見られてしまったのを気にしているのかな。だったら別に気にしなくていいのに。私はご飯だけとはいえまぁ世間的に見れば援交に見えなくもないことをしているし、水色君がそれに近いことをしていても注意したりするはずもないのに。
 これは一言フォローするべきかな、今度こそ私から話そうと思ったのに水色君が先に口を開く。おいおい、今度は何だ。

「落ち着くんだ、女の人といると」
「……へぇ?」
「うわっ興味ないって感じ傷つくなー」
「いやいや、分かるよ私も落ち着くもん」
「そう?」
「うん。昨日一緒にいた人はもう一年ぐらいの付き合いだけど、落ち着くから一緒にいる」

 私は別に家庭環境が複雑だから、とかお父さんがいなくて父の愛情を求めて年上の人と一緒にいるなんてそんなバイオレンスな事情なんて抱えていない。両親は健在だし、愛情もまぁそれなりに受けていると思う。
 落ちつくのだ、ただ単に一緒にいて。それは友達といる時や好きな雑誌を見ている時とは少し違う。何かが埋められていくようなこの感覚を人は恋と呼ぶのかもしれないけど、いまいちピンと来ていないからきっと違う、けれども居たいからいる。
 そんなあやふやな理由で私はこれまで生きてきたから、途端に水色君に申し訳なさが込み上げてきた。だって、きっと水色君は私みたいにふわっとした理由じゃない。水色君があの女の人と歩いていた時の水色君の顔は今とは全然違う顔だった。今隣にいる水色君はさわやかな夏に染まった好青年だけど、昨日はまるで駆け落ちする恋人達みたいだった。

「私達またすれ違うかもね」
「そうだね」

 雲ひとつない空にこれでもかと言うぐらい照りつける太陽。建物によって僅かにできた影に身を潜める私達はまるで罪人のようだ。サボっているからあながち間違ってはいないのかもしれないけれど。
 ちらり、水色君を見れば何もない青空を見上げている。華奢な体にさらさら靡く髪は軽くて今にも倒れそうに思ってしまう。
 最初はなんて無礼な奴なんだとむっとしたけど、案外水色君は寂しがり屋なのかもしれない。私も同じ部類ではあるから、こうして屋上で二人ぼーっとするのも夏の一コマとしてはアリなんじゃないかと思えるぐらいには水色君のことを理解できたつもりだ。きっと半分も理解できてはいないけど。
 その時、軽快なチャイムの音が屋上の扉と校舎全体から響いてきて、私達はどちらともなく立ち上がった。軽くスカートを叩きながら開けたボタンを閉めなおそうと下を向いたとき私の視界に水色君の手元が写りこむ。そうして、私は小さく声を上げた。

「あたりだ」
「え?あ、ほんとだ」

 水色君の手に握られた棒には良く分からないキャラクターが踊りながらアタリと喋っていて、私はにこりと水色君の肩を叩く。驚いているけど散々私に失礼なことを言ったんだからこれぐらい許してほしい。

「今日はいいことあるかも」
「もう半日しかないけど?」
「じゃあ明日いいことあるんじゃない?」
「例えば?」
「また私達でアイス食べるとか」
「遠まわしに買ってこいって言ってるでしょ」

 ふふっと笑えば水色君も笑う。なんだ年相応の顔もできるんじゃないか、水色君はそっちの顔のほうが似合ってる。それを素直に伝えれば水色君は驚いた顔をして、今度はその瞳に落胆は浮んでなかったからきっともう大丈夫だろう。

 暑くてだるい夏の日が、今日だけは涼しく感じた。