君ってやつは
さみしい、大人になるとこの一言が中々言えない。
子供の頃は伝家の宝刀ばりに乱用していた筈なのだが、身も心も成熟した今ではとてもじゃないがポロっと言える言葉では無くなっていた。
例えば、彼の横顔をこっそり見上げる時。
例えば、こっちを向いて欲しくて眼鏡の縁をじっと見つめている時。
例えば、離したばかりの唇から彼の体温が消えていくとき。
喉元までせり上がった4文字は、決まって私の口の中で溶けていく。
大人になると余計な事ばかり覚えてしまうもので、もしかしたら面倒くさいと思われるかな、とか。これってわがままだよね、とか。
失う物の重さばかりを秤にかけては、一人で勝手に落ち込んでいるのだ。
「……うっ、」
「また一人で考えて、一人で悲しくなっているのかい?」
――君は本当に学ばないな。
字面だけ見ればとても冷たく見えるけれど、私の足元にそっと跪く彼はクスクスと笑っていた。
「こんなに泣いたら枯れてしまうよ」
「かっ、枯れません」
「どうかな。そろそろ君の流した涙で湖ができそうだよ」
そう言って、藍染さんは私の目尻にそっと指を当てた。俯いた私の顔を覗き込んで、眉を下げて笑うその顔の美しさといったら。
本当にずるい。その綺麗なかんばせで軽口を叩くなんて。
「藍染さんはずるいです」
「僕が?」
「どうしてそんなに綺麗な顔なんですか」
「褒めてくれてありがとう」
「うっ、……せめて性格が悪ければ、私がこんなに悩むこともないんです」
「要約すると、僕は顔が良くて性格もいい最高の恋人だってことかい?」
「……あの、話聞いてました?」
この人、楽観的すぎるのではないだろうか。思わずポカンと口を開けて彼を見やる。
「勿論聞いているよ、つまりは僕にもっと甘やかして欲しいんだろう?」
「うわ、絶対聞いてない」
私が泣いている時、この人はなぜか決まって機嫌が良い。我慢して、我慢して、醜い感情を必死に胸に押し込めている時は放っておく癖に。耐えきれなくなって泣き出しそうになると、何処からともなくひょっこり現れるのだ。
そして甲斐甲斐しく世話を焼き、うんうんと話を聞いてくれるふりをする。
「全てを解決する言葉を君は知っているだろう?」
私の泣き顔を満足するまで眺めて、彼は言う。大きな手のひらで頬を包んで、柔らかい髪を靡かせて、とびきり甘い声音で魔法の呪文を囁く。
この男は本当にずるい。この顔で私に笑いかければ何でも叶うと思っているのだ。
……実際、何でも叶えたくなってしまう私も大分ちょろい。
「藍染さん、あのね」
――さみしい。
呟いた言葉は、彼の口内に飲み込まれていった。