mimoza



「ったく、おめぇら毎日毎日懲りねぇよな」


溜息を吐くラクサスの前にはボロボロになって不貞腐れている黒髪の少年。

身体のあちらこちらに擦り傷やら血やら泥やらがこびり付いている。少年――グレイ・フルバスターの身体には生傷が絶えない。それというのも出逢ったころから本人たち曰く馬が合わないナツ・ドラグニルとの日々の喧嘩が原因だ。


「とりあえず風呂入ってこい」

手当はそれからだ。

ラクサスはそう言って若干不満そうなグレイに着替えとバスタオルを渡して風呂場に押しやった。

我ながららしくないことをしていると思う。

ラクサスはなんだかんだ言ってグレイの世話を嫌だと思っていない自分に苦笑する。

いつのころからだろうか。グレイがこうしてナツとの喧嘩に負けてラクサスの処を訪れるようになったのは。ラクサスは記憶をさかのぼって始まりの日へと思いを馳せた。




グレイが同年代の子に喧嘩に負けるなどとおそらくギルドの誰もが予想しなかったことだろう。

それもそうだ。数か月ではあるがウルという師匠のもとで厳しい修行にも耐え、今では子供ながらに一人前にクエストをこなしているのだ。

たとえドラゴンに育てられたといっても年相応ではないグレイにナツが勝てるとは誰もが信じなかった。

しかし、ラクサスは偶然その現場に居合わせたのだ。


勝負に勝ったナツとて無傷ではなく、むしろフラフラになっていてもおかしくはない。そんな彼は喧嘩現場の河原で様子を見守っていたラクサスを見ると仰向けに倒れているグレイの方に視線を流した。

あいつを頼むとでも言っているのだろうか。

いっちょ前にかっこつけやがって。


ラクサスは腹が減った〜と独り言を言いながらたちさっていくナツの背中を見ながらひとりごちた。



本当はすぐ立ち去ろうと思っていたのだ。

だが、あまりにもグレイが楽しそうに見えたから少しだけ興味がわいた。

普段から何にも興味を示さず、つまらなそうな顔をしているグレイだが、唯一ラクサスとじゃれている時だけは楽しそうにしている。それはおそらくグレイだけが気づいていないことだ。事実、それを指摘したカナに対して全力で否定していた。

子供ながらに達観していると自分でも思っているのだろう。そういうプライドの高いところが邪魔してラクサスと遊んでいる時が楽しいなどとは素直に言えないのだ。

そんなグレイがナツとの喧嘩で見せた笑みをラクサスは見逃さなかった。ラクサスからしてみれば、可愛がっていた弟が漸く友達と遊ぶようになって嬉しいという気持ちの反面、離れて行ってしまうような寂しさのような感情が生まれ出てきた。


複雑な心境の中、ラクサスはグレイに歩み寄った。



「おい、いつまで寝てんだよ」

身体中泥だらけであちこちに擦り傷や打撲がある。

こいつらはガードするということを知らないのだろうか。攻撃は最大の防御と言わんばかりに殴り合った両者の傷の数は相当のモノだ。

ラクサスはグレイの切れた口端を親指の腹で撫でながら外傷を観察した。


目を瞑っていたグレイはラクサスの問いかけにゆっくりと重い瞼を持ち上げた。

「ラクサス……か」

「おう。……立てるか?」


長い睫毛が震えた。力を入れようとしているみたいだが、身体を動かすのも億劫なのか、グレイは力なく首を横に振った。

そして次の瞬間、グレイの身体は宙に持ち上げられた。

「ぅ…えぇっ!?」

「うるせぇな。耳元で叫ぶな」

「え、ちょ、どこ行くんだよ!?」

「うち」

ラクサスはそれだけ言うと戸惑いをあらわにしたグレイを肩に担いで自宅へと足を向けた。



それから風呂に入れてけがの手当てして飯食わせたんだっけな。


ラクサスは当時を思い出して口元をほころばせた。




「ラクサス、腹減った」


昔の借りてきた猫のような態度だったグレイは今や少しはなついてくれたのだろうか。以前よりは幾分か甘えてくれているような気がする。

「服はどうしたんだよ」

ラクサスは早々と風呂から上がって素っ裸で近づいてきたグレイにあきれ顔で小突いた。

「ああ…。忘れた」

それより腹が減った、と空腹を訴えてくるグレイを無視してラクサスは先ほどグレイに手渡した服を取りに脱衣所へ行く。


これだけは何度言っても治らない。わざとかと思うほど彼は素っ裸で現れる。恥も何もあったもんじゃない。目のやり場に困るということを彼は理解していないのだ。

というより、グレイの裸をどうしても直視できないという自分自身に若干嫌気がさすというものだ。同性の、しかもずっと弟のように接してきた相手の裸だ。目のやり場に困るというのはおかしな事態だ。

しかし、そうは思ってもそこらの女の子よりよほど白くてキメ細かな肌を見ていると言いようもない衝動に駆られるのだ。


ラクサスが脱衣所に置いてあった服を掴みながら心の中の葛藤を消化しきれないでいると、突然背後に人の気配がした。


そして後ろからぎゅっと抱きしめられる。


「…グレイ」


しょうもないことを考えていたとはいえ、背後のグレイの気づかなかったというのか。ラクサスは己の気の緩みに溜息をもらす。

そして先ほど考えていたことがグレイにも伝わっていたのではないかと思うようなグレイの行動に為す術もない。


「おい。服着ろ」

「……やだ」

首元にグレイの艶やかな髪の毛が当たってくすぐったい。

いや、それよりも素っ裸で抱き着かれているという事実にラクサスは眩暈がしそうになる。

「ったく…。てめぇは何がしてェんだよ。お兄ちゃんにはさっぱりわかりません」

「いつから兄貴になったんだよ」

「かわいくねーなぁ」

「別に可愛くなろうとしてねぇよ」


ああ言えばこう言う。けれどそんなやり取りも嫌いではない。ラクサスは腹に巻きついているグレイの腕を掴むと反転させて引寄せた。


突然ラクサスの太い腕の中にすっぽりと収まったグレイは見るからに動揺している。


「ちょ、な、んだよっ」

「こうしてほしかったんだろ?」

「〜!? ち、ちが……っ!」


グレイはラクサスの言葉に真っ赤になって否定する。

そんなグレイの態度にラクサスはさらに追い打ちをかけるようにからかう。


「なんだぁ〜? もっと先のことがシてぇってか?」

「なっ、なっ、……っ!?」

金魚のように口をぱくぱくさせながらグレイの動揺は増す。

さすがにからかいすぎたかとラクサスは投げやりに冗談だよ、と言い放つと先ほどから手にしていた服をグレイに着せた。

無言で着せられたシャツはグレイの身体よりは一回りくらい大きくシャツだけでミニスカートくらいの丈はあった。

そしてぶかぶかの服を着せられたグレイはその裾を握りしめながら俯き加減につぶやく。

「ガキ扱いすんな」

「ああ?」

聞こえてはいたが意図がわからずラクサスはグレイに聞き返す。するとキッと睨みつけるようにあげられた顔は先ほどまでの恥じらいはなく、むしろ好戦的な光をその濃紺の瞳に宿しているようだった。


「ガキ扱いすんなっつってんだよっ。…つーか、ラクサスの方こそ、おれに突っ込みたいんじゃねぇの…?」

薄い唇が弧を描き、ラクサスを誘うように、瞳は眇められる。

その妖艶な仕草にラクサスは思わずごくりと喉を鳴らす。



「…ガキにゃ興味ねぇよ。つか、どこでそんな誘い文句覚えてきたんだ。それより、もっと子供らしい甘え方でも覚えろ」


ラクサスはまだしっとりとしているグレイの髪の毛をくしゃりと撫でて双方の気を治まらせるようとりなした。


これはグレイなりの甘え方なのかもしれない。少なくとも今まで、グレイが他の誰かにこうしてすり寄るところなど見たことないし、聞いたこともなかったから。

なんだかんだ危ない橋を渡ってきたグレイなら周りに悟られずにこういう関係を持っている人がいるのかもしれない。しかし先ほどの初心な反応を見るとそれは考えにくい。

むしろ危ない橋を渡ってきたからこそ、こういう歪んだ甘え方になってしまったのかもしれない。

グレイはもともと聡い子だ。プライドは高いが、己の目的や信念のためならばあっさりと全てを投げ打つことができる。そして誰にもその苦しみを悟らせようとしない。それが仲間を想ってのことでもあるし、反対にある一定の場所から自陣に踏み込ませないようにするためでもある。

早くに家庭を失い、師を失い、孤独を覚えてしまった少年の、それが生きる術であったのだ。

それを誰が批難できよう。

ラクサスはそう思うと居た堪れなくなり、先ほどと同様に、しかし先ほどよりは優しく包むようにグレイを抱きしめた。




「てめぇはまだ子供だ」

「んなこと、ねぇ…っ」

「んじゃ、子供に戻れ」

「は……?」

「今まで甘えられなかった分、いっぱい甘えてわがまま言ってみんなを困らせろ。そんでバカみたいに強がんな。もうお前には心を開ける仲間がたくさんいるはずだ。怖がってんじゃねぇよ」


それに、俺もいるだろ。

ラクサスはそう言ってふっとグレイに微笑んだ。


さっきまで強気だったグレイの表情は今では口はへの字になり、眉尻も下がっている。そしてラクサスを真っ直ぐ見つめているその瞳には光が乱反射してまるで夜空に星がちりばめられているかの様だった。

瞬きをした瞬間弾けたように零れ落ちた雫はグレイの頬を伝い、二人の合わさった胸に吸い込まれていく。

グレイは唇を震わせながら、ラクサスの熱い胸板に顔を埋めた。再び火照りだした顔を隠すように。


「…甘えてんだろうが。あんたに。ずっと。知らなかったのかよ、鈍感……」

「はっ、そういやそうだったな」

ぶっきらぼうに発せられたグレイの言葉にラクサスは短く笑う。


自分から手を差し伸べたとはいえ、その手を取ろうとしなかった手負いの猫がいつの間にか、心を開いてくれていたとは嬉しい誤算だ。

自らこちらに来てくれた時点で気づいてもよかったものの、やはり、自分は鈍感であったのだろうか。いや、わかりにくい愛情表現のせいにしておこう。

にしても、今度はもっと年相応の甘え方を覚えてもらわねばならない。何度もあのような顔をされてはかなわないから。

ラクサスは股間に集中している熱に気をもみながら、どうにかグレイを甘えさせる方法はないものかと考えるのであった。



「ラクサス、腹減った」




そうだ。まずは、好きなもんあげて甘えさせるとこからか。



「おう。何が食いたい」

黒猫は嬉しそうに喉を鳴らした。




 



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