この忍術学園にもう何人目かもわからない天女がやって来てすでに数週間が経つ。今回の天女、紅藤あげはさんはすっかり忍術学園に馴染んでいた。僕が学園の中を歩けば、やれあげはさんが障子を破っただとか、やれあの天女が箒を飛ばしてきただとか、そんな話を聞かない日なんてないほどだった。ていうか何してるんですかあげはさん。
そろそろ本気で土井先生あたりが胃に穴を開けてしまわれるんじゃないだろうか…。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、たった今僕が頭の中に浮かべていた顔が少し先の正面に立っていた。


「(何を見ているのだろう…?)」


いつもなら僕が、というよりも生徒の誰かが近くに来れば必ずと言っていいほど彼女には容易に気付かれてしまうというのに。それなのに今日のあげはさんは僕の方を見ることはなく、ただじっと外の方を見つめている。僕も気になって彼女と同じ方向に視線を移す。


「…お前たち、今日は何をやらかしたんだ…?」

「えへへ…」

「いやあ…」

「つい…」

「「「土井先生、ごめんなさぁーい」」」


聞こえてくる会話に僕はああ、と理解する。彼女の視線の先にいたのは一年は組のよい子たちと土井先生だった。乱太郎たち、今日は一体何をしたんだか…。
僕は見慣れてしまった光景にこっそりと苦笑を漏らす。そしてもう一度あげはさんに視線を戻した。


「(………?)」


何故、彼女はそんな顔をするのだろう。
乱太郎たちを見るあげはさんの目はどこか悲哀を帯びていた。あげはさんはここに来た時から、学園中の生徒たちの疎ましげな視線も態度もものともせずのらりくらりといつも楽しげで、何より自由な人だった。だから驚いた。そして知りたくなった。
――彼女が今にも泣き出しそうな顔で彼らを見つめる理由を。


「……あげはさん?」

『!…何だ、善法寺じゃないか。今日もトイレットペーパー補充してんの?それ完璧フラグじゃん』


僕が声をかけると今までのことなんてなかったように、あげはさんはいつも通りヘラリと笑った。


「フラグって何ですか…。あげはさんは…書類を持っているから委員会に配っている最中ですか?」


僕が彼女の手にしている紙の束を見て答えると、正解、と返ってきた。やっぱりいつも通りだ。


『ちょうどよかったよ。あとは保健委員会だけだったから』


はい、と渡された書類を僕は受け取る。その拍子にトイレットぺーパーが一つ、僕の手から転がり落ちた。
あ、と声を零すのと同時に手を伸ばせば、そこに足場はない。ああ、落ちるな、なんてどこか他人事のように思っていたけれど、不意に腕が力強く引っ張られて僕は廊下から足を踏み外すことはなかった。


『やっぱりフラグじゃん…』


呆れたように僕の腕を掴んでいるのはあげはさんだった。


「あ、ありがとうございます」

『いいよ、なんとなくこの展開は読めてた。相変わらず不運だよね君は』


少し憐れんだように言われてしまって僕は返す言葉がなくなる。僕だって好きで不運なわけではないんですよ…。


「あの、あげはさん…、」

『ん?………って、げ』


あげはさんは僕の声に首を傾げて、すぐに顔を顰めた。え、僕何かした?


「あげはさん…?」

『…今、七松の声が聞こえた』

「え?」


そう言われて耳を澄ますと確かに。遠くからこちらに近づいて来るであろう、いけいけどんどーん!という小平太の声が耳に届いた。…前から思っていたけれど、あげはさんって耳良いよなあ。


『七松は、面倒くさい。あいつのバレーはあたしを殺す気だ』

「ああー…」

『ってなわけであたしはとっとと事務室に戻る。じゃあね、善法寺』

「あ、ちょっと待ってくだい!」


くるりと踵を返して戻ろうとするあげはさんを思わず引き留めてしまった。彼女は止まってくれたが、顔は思いっきり顰められている。何止めてくれてんだお前…とでも聞こえてきそうだ。…うん、相変わらず清々しい人だ。ちょっと傷ついた。


「えっと…」

『何?早くしてほしいんだけど…』

「あっ、はい!あの、あげはさん…」

『うん』

「困ったことがあったら僕に相談してくださいね?」

『は…?』


あげはさんがポカン、と口を開ける。あ、その表情珍しいな、なんて考えながら僕は続けた。


「一人で抱え込まず、誰かに吐き出した方が楽になる場合もあるんです。だから、あげはさんも弱音の一つや二つ吐いたっていいんです。僕がいつでも聴きますから」


さっきのあげはさんの泣き出しそうな顔が脳裏に浮かぶ。この人にそんな表情は似合わないと思った。だから、僕をもっと頼ってくれないかな、なんて。
あげはさんは少しの間呆けたように僕を見ていたけれど、すぐにふはっと吹き出した。


『子供にそんなこと言われるほどあたしは弱くないっての。というか善法寺はまず自分の不運を何とかするべきでしょ』

「いや、それは…あはは…」

『でも…』


あげはさんはそこで一旦言葉を区切って、そしてふわりと微笑んだ。


『ありがとう、善法寺』


彼女はそれだけ言って、今度こそ事務室に戻っていってしまった。
…ていうか、ちょっと待って。…え?


「あげはさん、あんな風にも笑うんだ…」


僕はトイレットペーパーが床に転がり落ちるのにもかかわらず、両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。多分、僕、首のあたりまで真っ赤だ。
こんな顔ではしばらく誰にも会うことなんてできないなあ…。僕は思わず本日二度目の苦笑を零した。




貴方と同じ世界がみたい
(土井さんを見ると松陽先生を思い出してしまうなんて、)
(言えないよなー…)


title:たとえば僕が



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