そんな幸せが訪れてありますように


 冬のアレクサンドリアはとても寒い。
 陽光が惜しみなく降り注がれる日中でも吐息は白く濁り、指先は赤くかじかむ。
 通りを歩く皆がみんな厚手の防寒具を羽織っていて、それがまるで多種多様な着ぐるみの行列に見えてどこかおかしく見えてくる。
 そんなモコモコの人々の間を縫うようにしてアレクサンドリアのメインストリートを抜ける女性が一人。
 暖かい時期であれば惜しみなく晒されていたであろう柔らかな曲線は厚手のコートに覆われ、美しく靡く長い銀糸も今はマフラーの中にしまい込まれている。
 レースがあしらわれた可愛らしいロングブーツはメインストリートの石畳を軽やかに鳴らし、羊毛で編まれた暖かな手袋は少し大きめの紙袋を抱きしめていた。
 寒さに赤く染まった頬を暖めるようにマフラーに顔を埋め、帰路を急ぐ彼女の名はハクエ。
 心から敬愛する師を探し世界を駆けずり回っていた頃よりも、幾分か大人びた顔付きになっている。
 あれから三年の歳月が流れ、いちどは戦火に呑まれたアレクサンドリアの街並みも、今ではすっかり元通りになっていた。



 ハクエが住んでいる家は、アレクサンドリアのメインストリートから外れ、少し入り組んだ路地の途中に建っている。
 温かい色味のレンガで作られた家屋が立ち並ぶ途中、一見して他の家との違いは見られない。
 強いて言うなら、住んでいる人数が多いために他の家よりは少しだけ大きいという事だろうか。
 玄関先には丁寧に手入れがされた小さな花壇が並んでおり、季節にあった花々が美しく咲いている。
 数年前までは雑草ばかりが主張していただけだったのに、美しいものを愛でるのが好きなあの人に手入れを任せてからというもの、この近辺ではちょっとした評判になっている。
 花壇の植え込みやその周囲を装飾する木製の洒落たインテリアも、手先の器用な彼が造ってくれた。
 その出来栄えはまるで小さなカフェのバルコニーのようで、ハクエは毎日この小洒落た玄関先を通って出掛けるのが密やかな楽しみになっている。
 戦火に呑まれて焼かれてしまった玄関の扉も彼らの趣向に合わせて付け替えられ、小洒落たドアノブに鍵を差し込んでノブを捻ればからころと心地良い音を立ててカウベルが鳴った。
「ただいまー」
 玄関に入ってすぐに広がるリビングスペースには誰の人影もなく、物音一つしない。
 いつもはリビングのソファにだらし無く寝転がって雑誌を読み耽るこの家の大黒柱の姿がある筈なのだが、今はその姿すら見えない。
 けれど、ハクエがそれに気分を害した様子はない。
 むしろ、今が好機とばかりにダイニングキッチンに向かい、紙袋に入っていたもの達をいそいそと取り出した。
 大きめのダイニングテーブルの上に次々と姿を表すのは様々な食材たちで、ひとりの少女が抱えて来るには些か量が多すぎるようにも見える。
(……まだ、みんな帰ってこないよね?)
 ちらりとリビングの壁掛け時計を見上げるハクエ。
 同居人達には、今日は夕方まで外で時間を潰してくるようにお願いをしているから、それを聞き入れてくれているのならば、皆が帰ってくるまではゆっくり作業が出来るだろう。
 ハクエは軽く握りこぶしを作って気合を入れると、手早くエプロンを付けて広げた食材達に手を付けた。



 ところ変わって、同じアレクサンドリア城下町はメインストリートの片隅にある酒場にて。
 三人の男が小さな丸テーブルを囲んで酒を煽っていた。
 まだ昼間だというのに遠慮なく酒瓶を転がす男達は、一見して何の集いなのかさっぱりわからない。
 一人は太陽のように眩い金髪をうなじの辺りで一つに結い、そのまま細長く背中に垂れ流している、闇色のコートの中に浮かび上がるような赤い瞳が印象的な男。
 一人は赤目の男よりは鈍い色味の金髪をこれまたうなじの辺りで一つに結って拳一つ分伸ばし、臀部から伸びる猫のような獣の尻尾が特徴的な、深い海を映し出したような碧眼を持つ青年。
 残る一人は腰まで波打つような銀髪が美しい、きめ細やかに整った肌を惜しげもなく晒している、鈍い銀髪と同じ碧眼を持つ細身の男。
 皆、数年前とは違って街に溶け込むような、冬の寒さを凌ぐような格好をしている。
 とくとくとグラスに葡萄酒を注いでいた銀髪が呆れたような声を上げる。
「はぁ……君たちも、こんな昼間から良くもまぁ飲んだくれる気になるよ」
 それに言葉を返すのは、赤目の方の金髪だ。
「んな事言って、お前だって飲むのを愉しんでいるんじゃねえか。それが何本目か言ってみやがれ、ん?」
 銀髪の肩を抱き、散らばった酒瓶を乱暴に並べ立てる。どれも今し方銀髪がグラスに注いだものと同じ銘柄だ。
 赤目の金髪の乱暴な絡みに、鬱陶しそうに顔を歪める銀髪の男。
「あぁ嫌だ嫌だ。君はいつまで経ってもガサツなんだから。そんなのでよくあの子の保護者が務まったものだよ」
「あ?俺が愛情たっぷりに育てたからこそアイツはあそこまで良い女になったんだろうが。鼻の下伸ばしてんじゃねぇぞ」
「鼻の下を伸ばしているのは君だろう?仮にも娘として扱っている子に対して向ける表情じゃないね」
「うっせ、あんだけ一緒にいりゃ情も移るってもんだ」
 憎まれ口を叩き合う二人であるが、その表情は穏やかだ。
 それを眺めていた碧眼の方の金髪が、発泡酒をぐびりと飲んで口を開く。
「しっかし、オレ達がこうやって酒を飲み交わすようになるとはなぁ……」
 しみじみと呟かれた言葉を耳に入れた二人は意外そうな顔で碧眼を見た。
「まさかキミがそんな事を言うとはね」
「なに達観した気になってやがんだ、青年」
 少し小馬鹿にしたような言い方をしているものの、その表情は変わらず穏やかである。
 ぐび、と喉を鳴らして碧眼と同じ発泡酒を飲んでいた赤目が笑った。
「ま、それもぜーんぶ、あのクソガキが頑張ったお陰だな」
「あぁ……そうだな」
 しゅわしゅわと泡のはじけるジョッキを見詰める碧眼。
 彼の脳裏には、数年前経験した目まぐるしい冒険の数々が蘇っていた。
 語るには壮大すぎる冒険劇の数々。その傍らには、いつも一人の少女の姿があった。
 稀有な運命を持って産まれた彼女は、いつだって美しい銀糸を靡かせて自分達の手を力強く握ってくれていた。
 彼女の尽力があったからこそ、この奇妙な三人組はこうして平穏な日々を享受し、昼間から酒を飲み交わす事が出来ている。
 ……こう書くとちょっと男としてダメなように見えなくもないが、それは今日が特別な日だからだ。それくらいは許して欲しいと思う。
 そう、誰にともなく内心ごちる。
 そんなやり取りをしている間にも、丸テーブルの上に申し訳程度に並べていたつまみが綺麗に男三人の胃袋に収まり、酒もすっかり尽きてきた。
 ちら、と酒場の隅にある壁掛け時計を見上げた三人はそれぞれに目配せをし合ってひとつ頷く。
「そろそろ、僕らのオヒメサマの準備が済んだ頃だと思うんだけど、どうかな?」
「あぁ、もう充分時間を潰せただろうよ」
「潰し過ぎだと思うけどな……」
 このまま向かったら、酒臭いと怒られるんじゃないか。
 金髪碧眼の青年はそう続けたが、二人は軽く笑ってその言葉を流し、席を立つ。
 赤目がテーブルに代金を置き、ずかずかとスイングドアを押し潜る。
 残された二人もそれに続き、酒気帯び三人組は足取り軽く帰路に着いた。



「よしっ、できた!」
 ハクエが台所に材料を広げてから、何時間経っただろうか。
 帰宅した頃は真上に輝いていた太陽もすっかり傾き、窓辺からは黄昏色の燃えるような色が差し込んでいる。
 ぴかぴかに磨かれたダイニングテーブルには所狭しと料理が並び、その中央にはホールケーキが鎮座していた。
 パーティーでも催すのかと思われるような豪勢な料理の数々は当然すべてハクエがこしらえたもので、分量にすると四人から五人分くらい、と言ったところだろうか。
 数本のシャンパンと栓抜きをテーブルに乗せたハクエは、準備は整ったとばかりに息を吐く。
 あとは、この家の住民達の帰宅を待つばかり。
 そわそわと落ち着きのないハクエがテーブルに並べた料理の配置を調整していると、からころとカウベルの響く音がした。
 次いで、わいわいと賑やかな男達の声が飛び込んでくる。
「おーい、クソガキー。お前の愛しのお師匠様のおかえりだぞー」
「ただいまーって、スッゲーなこれ!全部ハクエが作ったのか!?」
「ふふ、流石僕のハクエだね。どれも美味しそうじゃないか」
 ばらばらな足音が玄関からリビングを通り抜け、ダイニングまでやってきた。
 好き勝手な言葉を口にしながら、ハクエが腕によりをかけて作り上げた料理たちを目にした彼らは、驚きに目を大きく開き、ハクエに笑顔を向ける。
 その表情が見たくて一人台所で奮闘していたハクエは、してやったりとばかりにはにかんだ。
「おかえり、みんな!」
 そのまま三人に近寄って、けれど漂う匂いに顔を顰める。
「ちょっと、確かに今日は適当に時間潰して来てって言ったけど……まさか、昼間から飲んだくれてた訳!?」
「だってなぁ、男三人が仲良く何時間も出歩いてたって気持ち悪いだけだろ」
「意気揚々とオレ達を酒場に引っ張ってったのはアンタだろ……」
「ボクとしてはあんな烏合の溜まり場みたいな所に行くのは不本意だったんだけどね」
「の割にはダリ輸入の葡萄酒を随分とお気に召していたようだけどな?」
 非難がましいハクエの言葉に、男達は一斉に言い訳をはじめた。
 やんのやんのと口々に好き勝手な言葉を連ねるが、酔っ払いだからかてんでまとまりがない。
 やがて深い深い溜め息を吐いたハクエは、諦めと共に手を振った。
「追い出したのは私なんだから、もう責めたりしないわよ。それより早くはじめましょ!」
「そうだな、折角ハクエちゃんが頑張ってくれた所悪いけど、あっという間に平らげちまうぜ?」
「ふふ、いっぱい食べてね……でも、その前に」
 言いながら先ほど並べたシャンパンを手に取り、栓を抜く。
 その様子を見た碧眼の方の金髪がグラスを手に取り注ぐのを手伝ってくれた。
 小さな感謝の言葉と共に四人分のグラスにシャンパンを満たし、各々の手に持たせる。
 そして、皆でゆっくりと視線を交わし合い、最後に一斉にハクエを向けた。
 その視線を受けたハクエは、静かにグラスを持ち上げて微笑んでみせる。
 赤と青。ふたつの光を優しく受け容れて穏やかに輝くアメジストが、いまこの瞬間に、自分と彼らがここにいるという事を、心から喜ぶように細められる。
「今、こうして皆と過ごせるようになった事、今でも夢みたいに思ってる。でも、それは皆が『生きたい』って願ってくれたからこそ叶えられた現実」
「ま、オレは最初っから死ぬつもりなんて無かったけどな!」
「あんだけビービー泣き喚かれちゃ、死んでも死にきれねぇってもんだ」
「ふふ……あの時のキミの我が儘には本当に困ったよ」
 静かに語るハクエの言葉に、各々がちいさく肩を竦める。
 当時の事を思い返しているようで、その表情には懐かしさが滲んでいた。
 彼らの反応を受け小さく笑ったハクエは、言葉を続ける。
 一言一言、噛みしめるように、万感の想いを込めて、ゆっくりと紡ぐ。
「ジタン、クジャ、師匠……スヴェン。私の我が儘に付き合ってくれて、ありがとう。この幸せを得られたからこそ、私は覚悟する事が出来た」
 そこで言葉を切ったハクエは、グラスを大きく掲げ、促す。
 名前を呼ばれた彼らは、そんな彼女の想いに応えるべくグラスを持ち上げた。
「私達が『家族』になってから、今日で三年目――この幸せが末永く続く事を願って、乾杯ッ!」
 ちりん、とグラスがぶつかり合う控えめな音がダイニングに響く。
 共に穏やかな日々を過ごせるよろこびを、愛しいひと達の笑顔が変わらずそこにあるしあわせを、これから彼女に訪れる未来がやすらかである事を願いながら。



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