ある師弟の過去話


「師匠、倒しましたよ!」
「ほう、見せてみろ」
 とある薄暗い森の中、二つの影があった。
 ひとつは闇色のコートを身に纏い、眩しい太陽のような色の髪をうなじの辺りで括り背中に細長く垂らして薄暗い色の帽子を目深に被り、まるでルビーのように深く輝く赤い瞳を持つ男。
 ひとつは、淡い色のワンピースに身を包み、絹のように柔らかく輝く銀髪を腰までたっぷり広げ、穏やかに澄み渡るアメジストのような瞳を持つ少女。
 男は樹にもたれて腕を組み、得物を手に魔物と格闘している少女をじいっと見つめていた。
 やがてその少女が魔物を倒したことを告げると立ち上がり、おもむろに近付く。
 魔物の身体を蹴り転がし、隈なく観察するとぺしりと少女の頭を叩いた。
「おい、クソガキ。まだ息があるじゃねえか、ヘタクソが」
「えっ、嘘……」
 沢山の銃弾を浴び、沢山の切り傷を受けた身体の持ち主は、しかしまだ僅かに呼吸を続けていた。
 ひゅう、ひゅうと喉から掠れた息を漏らし続ける獣の姿をした魔物のぎらつく瞳は男と少女を捉え殺意を滾らせている。
「いいか。霧から生まれたこいつらだが、確かにこうやって生きているんだ。ヘタに苦しませることの無いように確実に急所を狙って、確実に仕留めろ」
 男が手にした長棍を魔物の喉元に突き付け、ぐり、と押し込むと潰された喉から聞くに耐えない悲鳴が上がる。
 思わず目を逸らそうとする少女の頭を押さえ、魔物へ向けさせる。
「魔物と戦う時は、遠慮なんてするんじゃねえ。こうやって、一発で終わらせてやれ」
 片腕で少女の頭を押さえたまま、長棍を握るもう片方の腕をゆるやかに持ち上げ、一直線に振り下ろす。
 ぐしゃりと、骨が割れ血肉が飛び散る、先程魔物が上げた悲鳴以上に耳障りな音が二人の耳朶の中に潜り込んだ。
「……ま、ソイツの扱いは大分慣れてきたようだな。お前にしては上出来だろう」
「……はい」
 頭を押さえていた手をそのままぐりぐり動かし、乱暴に少女の頭を撫で付けた男は手を離すと踵を返す。
 掌に収まる得物を見つめていた少女も、やがて後を追ってその場を立ち去った。

 ◇

「相変わらずこの村の葡萄酒はイイモンが揃ってるねぇ!」
「師匠、あんまり飲み過ぎるのは良く無いですよ」
 とある村のとある酒場にて。
 喧騒の絶えぬ賑やかな酒場で二人は夕食を摂っているのだが、もくもくと食事を平らげる少女の隣にどっかり座り込んでいる男は食事よりも酒のほうを楽しんでいた。
「これの何処が飲み過ぎだってんだ」
「だって、それ、もうボトル三本目ですよ……それの何処が飲み過ぎじゃないって言うんですか?」
 少女がついと指差した先には空き瓶が二つ転がっており、今し方栓を抜いたばかりの三本目も既に半分ほど減っている。
「ハクエはまだ酒が飲めねえからわかんねぇだろうなぁ、この美味さが。残念な奴だなぁ」
「飲む度にべろべろになって人に迷惑掛けるくらいなら、ずうっと飲めなくて結構です!」
 ぷいと顔を背けてサラダを頬張るハクエと呼ばれた少女。
 視線を逸らされた男はというと、アルコールを摂取して血色の良くなった頬を緩ませ、とても優しい目で彼女を見ていた。
 心から愛おしいと思う者を、大切に見つめるようなその顔。
 けれど、ハクエが振り返るとその表情は何処へやら、酒に酔っただらし無い男のものに戻ってしまう。
「いいですか、今日はそれで最後ですからね!」
「あ? クソガキの癖に俺に指図すんじゃねえぞ」
「毎回毎回、酔っ払ったあなたを連れて宿に帰るのは誰だと思ってるんですか!」
「酔い潰れた師匠の面倒をみるのも弟子の務めだ」
「……ぜったい置いて帰ってやる……」
 すっかり眉間にしわを寄せてしまったハクエの頬を掴んで視線を交わし、眉間を親指でぐりぐり押す。
「んな冷たい事言うなよ。お前みたいな可愛いお嬢ちゃんが傍にいるから気分が良くてつい飲んじまうんだ」
「……そ、その手にはもう掛かりませんよ」
 男としてはそれは本心なのだが、酔った時にしか口にしないものだから逃げ口上と思われているらしい。
 しかし、酒気を帯びて血色の良い男の頬に負けず劣らず頬を赤らめているあたり、少なくとも照れてはいるようだ。
 その様子を初々しく思い、また僅かに加虐心が燻られる。
「ほーぉ? それじゃあ、その真っ赤な頬はなんなんだろうな?」
「ちょっと、やだ……お酒臭いです!」
「そりゃあ飲んでるから当たり前だろ、逃げんなって」
「ッ……、ばかスヴェン!」
「いって」
 顔を寄せ、わざと吐息が掛かる様に艶のある声で囁けば耳まで真っ赤にしてわなわなと震え出す。
 もう何度目になるか分からない遣り取りなのに、相変わらずの初心な反応が面白くて調子に乗っていたら手を抓られた。
 たいして痛くは無いのだが、スヴェンと呼ばれた男はひとまず大人しく手を引っ込める。
「へいへい、仕方ねぇからこれで最後にしてやるよ」
「絶対ですからね。あと、ウエイトレスさんに変な視線を送るのもやめて下さい」
「えー」
「あなたがそんな顔したって気持ち悪いだけですよ!」
 だって、あのねーちゃんのケツ見てみろよ。
 あんなにデカいのにふりふり振って誘ってるみたいだろ、見ない方が失礼ってもんだ。
 何てこと言うんですか馬鹿!
 飛んできた張り手が頬を打つ直前、その手首を掴み取って引き寄せればハクエは予想外の行動にバランスを崩した。
 そのまま腕の中に招き入れて膝に乗せ、グラスを煽る。
「んなヤキモチ妬くなって」
「妬くわけないでしょう! はやく離してください!」
「心配しなくても俺はいつまでもお前だけのお師匠様だぞ〜。ほら、敬え、崇めろ」
「もうやだこの酔っ払い……」
 がくりと項垂れ諦めた様子の銀糸に頬を寄せれば仄かに甘い香りが感じられ、抱き寄せた腕に収まる身体は柔らかく温かい。
 まだ酒を飲めない年頃ながら、女性として熟しはじめているハクエの将来が楽しみでならないスヴェンは真上からよくわかる、谷間の出来はじめている彼女の胸元を見てだらしなく口もとを歪ませる。
 それを見咎めた彼女に頬を抓られたが、やっぱり痛くない。
 なんだかんだ悪い気はしていないようで、素直じゃないなあとスヴェンは内心ごちた。
 そこがまた愛おしい所でもあるのだが。
 グラスを空にしたスヴェンが残りを注いでしまおうとボトルに手を伸ばせば、華奢な手がそれを取り上げた。
「仕方ないから、注いであげますよ。……これで最後ですからね」
 白く細い手から生える整った指が深い色のボトルを持ち、添えられた手のすぐ先に開く注ぎ口からとくとくと赤い液体を流し、グラスに満たす。
 それが自分の膝の上に収まっている、まだ酒の飲めない年頃の幼い愛弟子が行なっているのだと思ったら、ぞくりと背筋を何かが駆け上るのを感じた。
「ハクエ、将来お前は絶対に良い女になるぞ。俺は楽しみで楽しみでしょうがねえ」
「お酒ついでもらった位で何言ってるんですか、ほんと馬鹿」
 コト、と固い音を立ててテーブルにボトルが戻される。
 グラスに注がれたワインを舐め、熟した果実の味に満足気に目を細めた。
 腕の中にいるハクエといえば、ジュースをちびちび飲んでいる。
 桜色の唇に吸い込まれていく液体をじっと見つめていれば、やがて視線に気付いたのか上目で見上げ首を傾げた。
 動きに合わせて揺れる銀糸が膨らみをもつ胸元に滑り込んでゆく。
 それを見て、ふと悪戯心が首をもたげた。
 手にしたグラスを掲げ、首を傾げてみせる。
「……飲んでみるか?」
「……はぁ?」
 私はまだ子供なんだけど、なにいってるんですか?
 そう言わんばかりの心底怪訝そうな表情を返された。
 ハクエの言うことは至極まともだ。だが、この時のスヴェンは彼女の師匠という格好良い肩書きより、飲んだくれのダメ男という方がぴったりだった。なんてったって酔っぱらいである。
 そのダメ男はグラスに指先を浸してたっぷり湿らせると、おもむろにハクエの口に突っ込んだ。
「んむっ……!?」
 反射的に動いた舌が異物を排除しようと押し返してくるが、逆にそれを指先で絡め取る。
 舌の上に丹念に塗り込むように指先を動かせば、ハクエの肩はふるふると小さく震えた。
 温かくぬめる咥内の感触を楽しみ、最後に上顎に沿って歯の裏を撫でれば苦しそうな呻き声が漏れる。
「ん、ししょ……」
「どうだ、初めて口にする酒の味は」
 瞳がとろんと潤み、こじ開けた口の端から唾液が零れる。
 ちゅ、と粘着な音を立てて指を引き抜けば、くったりと胸元に寄りかかって来た。
 顔を上げさせて濡れた口もとを拭ってやる。
「……さいてー、です」
 端から見れば、年の離れたカップルが場所も選ばずイチャついてるように見えるこの光景。
 場所が場所なら非難を浴びるだろうが、しかしここは酒場だ。
 酒場の隅にあるテーブルで静かに絡む二人を誰も気にする様子はないようだ。
 完全に大人しくなったハクエの頭をあやす様に撫でて抱きかかえると、グラスの中身を飲み干し立ち上がる。
 空いている手でポケットをまさぐり、数枚の紙幣を取り出すと無造作にカウンターの上に置いて店を出た。

「おーい。お前が面倒見られてどうすんだよこのクソガキ」
 店を後にしたスヴェンは宿に向かって歩いていた。
 声色こそ呆れた様な色をしつつも、腕の中でぼんやりしているハクエを見る目は優しい。
「だって、師匠が無理やりお酒のませるんだもん……」
「悪かったって、お前がまさか酒一滴でそんな風になるとは思わなかったぞ」
 口調がいつもスヴェンに対して使う慕う気があるのか微妙な敬語でなく、子供のような甘えた声になっている。
 首に腕を回して大人しく運ばれている酔っ払いは、とはいえ流石に酒の一滴だけでここまでなる筈はないだろう。
 対するスヴェンと言えば、ハクエには散々酔っぱらいと言われていたが、実はたいして酔っていない。
 首元に顔を埋めてくるハクエ。
 あー、はいはいよしよしと息を吐きながら優しく頭を撫でれば嬉しそうに笑った。
「……本当は酔ってないだろ」
「いいえ、酔ってます」
「仕方ないからそういう事にしといてやるよ、心優しいお師匠様に誠心誠意感謝しな」
「あなたの弟子は無理矢理飲まされたお酒に酔ってるから難しいことはわかりません」
「んだとこの」
 頭を撫でていた手に力を込めてぐりぐりと回せば、ひどいじゃないですかと笑い声が返ってくる。
 普段は見ていてはらはらする程に甘え下手な愛弟子は、こちらからちょっかいを掛けた事で素直に甘えてくれているらしい。
 酒という口実を差し出せば、ちゃんと乗って来てくれた。
(……最近は、無茶をさせてばっかりだったからな)
 わざわざアレクサンドリアを離れ、この村に滞在しているのは他ならぬ、彼女の鍛錬が目的だ。
 本来なら、保護者のいるこの年頃の子供には戦いを教える必要はないのだろうが、彼女が抱える事情はそれを許してくれない。
 本人はその事情を露とも知らないが、だからこそ己が叩き込める限りの知識と力をその身の糧とさせなくてはならない。
 それで昼間の森では彼女を一人で戦わせていたのだが、どうやら疲労が蓄積されているようだ。
少し、詰め過ぎてしまったようだ。今日は座学は無しにして早々に寝かせてやろうと思いながら角を曲がった時。
「いてえな、おい!?」
「おっと、悪ぃな」
 通行人とぶつかってしまった。
 しかも、運の悪い事にゴロツキのお手本のような格好をした男たちにだ。
 でっぷりとした身体を揺らしたゴロツキの一人は、謝罪もそこそこに立ち去ろうとしたスヴェンの肩を掴んで引き止める。
「いてえじゃねぇか、兄ちゃんよォ」
「悪かったって、そう怒んなよ」
「それが謝るヤツの態度か? あぁ?」
 更には反対側の肩も痩せたゴロツキに掴まれてしまった。
 腕の中にハクエがいるというのに、至極タイミングが悪い。
「ん、師匠……どうしたんですか?」
 スヴェンの首元に顔を埋めたままだったハクエがぼんやりと顔を上げた。
 慌てて伏せさせようとするが、遅かった。
「兄ちゃん、可愛い彼女連れてんじゃねぇか」
「そうだなぁ、その女寄越してくれたら、ぶつかった事はチャラにしてやらんでもねぇな」
 無精髭を撫で付けながらでっぷりしたゴロツキが言えば、痩せたゴロツキは舌なめずりをして下品た笑い声を上げた。
「悪いな。コイツはまだガキなもんで、あんたらみたいな大人の相手は務められねぇんだよ」
「尚更いいじゃねえか、なぁんも知らない身体を汚すってのはとんでもねぇ快感だぜ?」
「そうそう、若いと締まりも良いしな」
 言いながらハクエに腕を伸ばしてくるゴロツキを、数歩後ろに下がることで避ける。
 ハクエも己が狙われている事には気付いているようで、スヴェンの腕の中から降りるとゴロツキ達を睨み上げた。
 男たちに気取られないように背中に手を回し、そこに収まっている長棍を静かに握りしめる。
「ヒャハハ、見ろよ。このお嬢ちゃん、俺達の事睨んできてるぜ」
「気が強い女はへし折り甲斐があっていいなぁ、おい」
 既に頭の中ではその身体を好き勝手にしているらしい、いやらしい顔つきでハクエを見るゴロツキども。
 ハクエが生理的嫌悪感に顔を歪め、スヴェンの後ろに下がる。
「さて、兄ちゃん……怪我したくなけりゃ、その女コッチに寄越しな」
「あいにく、可愛い弟子を下衆野郎にすごすごと渡すようなナヨっちい性格じゃなくてね。……断らせてもらおうか」
「んだと!?」
 鼻で笑いながら言えば、案の定頭に血を上らせたゴロツキが襲いかかってきた。
 でっぷりしたゴロツキが懐から取り出したコンバットナイフをパチンと組み立て、スヴェン目掛けて突き出す。
 その隣からは、ダガーを構えた痩せたゴロツキが振りかぶっている。
「……おい、クソガキ。特別授業だ」
「……え?」
 手を軽く振ってハクエを更に数歩下がらせる。
 薄暗い色の帽子で表情こそ見えないものの、その口元は至極楽しそうに歪んでいた。
「昼間は対魔物だったが、今回は対人編だ。俺が手本を見せてやるから、そのぼんやりした目ぇこじあけてよーく見てろよ」
 背中に回した手はそのままに、眼前に飛びかかってきていたでっぷりした男の顔面にブーツの踵をめり込ませる。
「まず、相手の急所を的確に狙う。これは魔物も一緒だな」
「ぉごっ……」
 ぼきりと、何かが折れる音がした。
 ぐり、と踵を捻ればごり、と何かが抉れる音がする。
「けど、人間は魔物と違って頭が回るから、単純な攻撃ばかりは仕掛けて来ない。そこで、コッチも単なる脳筋ばっかりしてねーで頭を使って先手を討つ」
 反動をつけて思い切り蹴り飛ばせば、突進してきた時よりも勢い良く吹き飛んでいった。
 壁際に積み上げられた木箱にぶつかり、がらがらと派手な音を立ててその中に崩れ落ちる。
 それを見届けずに、背中に回していない方の腕をひゅんと風を切る音と共に振るえば痩せた男が崩折れた。
 ダガーを取り落として、腕を抑えて蹲っている。
「とはいえ、熟練者は兎も角、猿が棒きれ持ったような相手ならこうやって誘い込んで隙を狙うのもいいだろう」
 俯いている顎を爪先で強制的に持ち上げてみせると、先程同様思い切り蹴り飛ばしてでっぷりした男と同じ木箱に吹き飛ばす。
 コツコツと、革のブーツを鳴らしながら土煙を上げる木箱に歩み寄るスヴェン。
「その程度の相手なら、大抵一発入れりゃ怯むだろうよ。それで相手が戦意を失うなら見逃してやれ、なんせ人間だからな」
 土煙の中から、ゆらりとゆらめく影が二つ。
 そこではじめて、スヴェンは背中に持った長棍を持ち上げた。
 天に突き出すように真っ直ぐ伸ばし、ぐるりと振り回す。
「ただ、どうしようもなく頭の悪い奴も、中にはいるもんだ。己の弱さを知らずに果敢にも血泥に塗れて来る奴がいたら、遠慮なんてしてやるな」
 土煙が晴れると、その中から刃物を手にした血まみれのゴロツキ達が現れた。
 息も絶え絶えな筈なのに、それでもスヴェンを見る目はぎらついている。
「ッンの野郎! よくもやりやがったな!」
「目にものみせてやる!」
 目深に被った帽子の下で、ニヤリと口の端を釣り上げた。
 尖った犬歯が見えるほど、それは至極楽しそうに。
「ぶっ殺せ」
 強かに打ち付けられた長棍は、舗装路に亀裂を走らせた。
「……俺のガキに手ぇだそうとするからだよ、雑魚が」
 舗装路に深々と突き刺さった長棍を引き抜けば、ぱらぱらと残骸が散る。
 しかしそれには血の一滴もついておらず、付着しているのは土埃だけだ。
「し、師匠……その人たち……」
「あ? ションベン漏らして仲良く寝てるよ」
 ハクエが恐る恐る覗きこめば、確かにスヴェンの言うとおり二人のゴロツキは情けない姿を晒して気絶していた。
 ほうと息を吐くハクエを横目に見ながらひゅんと長棍を振って土埃を払い、背中の定位置に戻すスヴェン。
「ほんとうに、殺しちゃったのかと思いました……」
「バーカ。気絶させるだけで十分だ、こんな雑魚ども」
 だらしなく伸びたゴロツキの足を蹴って木箱の残骸に押し込める。
 通り道を確保した所で、ハクエの手を引いて宿へ向かう。
「あー、ったく。せっかく可愛い可愛い愛弟子ちゃんとイチャイチャしてたのになー、とんだ災難だぜ」
「な、何言ってるんですか」
 先ほどの事を気にかけているのだろう、ちらちらと背後へ視線を飛ばしながら元気を無くしているハクエ。
(はぁ、ったく。ほんと災難だぜ)
 せっかく彼女の疲労を癒やそうとしていたのに、これではまるで意味がない。
「……あいつらは気絶させるだけで済んだがな、ハクエ」
「……?」
「相手がお前よりも遥かに強かったり、明確な殺意をお前に向けるやつも今後でてくる事だろう」
「え……」
 引いていた手を握り直し、隣に立たせる。
 戸惑うアメジストに視線を重ね、口調を強める。
「殺すつもりでやらねーと、こっちがやられる、そういう状況になった時。お前は相手を殺せるか……?」
「それはどういうことですか……?」
 その表情には、怯えの色さえ含まれていた。
 じいっと見つめていたが、やがてニッと口の端を上げてぐしゃぐしゃ頭を撫で付ける。
「ま、そんな事にはならねーだろうよ、なんてったってこの強くて頼もしいイケメンのお師匠様がついてるからな」
「なに馬鹿な事言ってるんですか」
 白い目を向けるハクエ。
 わだかまりこそあるものの、少し調子が戻ってきたようだ。
 ぐしゃぐしゃにしてしまった銀糸を今度は優しく撫で付け、整える。
「今日は、なんだか疲れました」
「そうだな」
「はやく、宿に戻って休みましょう」
「そうだな、早く宿に戻って座学をしねーとな」
「えぇ!?」
 信じられないといった表情で見上げるハクエの額を軽く弾く。
 ぎゃあぎゃあ文句を言い始めた銀髪を引きずり宿へ向かう道すがら、思う。
(……そんな時がこないのが、一番いいんだけどな。でも、避けられっこねえから、こうする事しか俺にはできねぇ)
「強くなれ、ハクエ。強くなって、生きろよ」
「……師匠?」
 眼下で喚く華奢な体躯の持ち主を見て、ふと笑う。
 それをみたハクエは、きょとんとした顔で見上げてきた。
 それがたまらなく可笑しく、またどうしようもなく愛おしくて、再び優しく頭を撫でた。
 それはまだ、彼が彼女の元から去る前の話。



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