七夕の夜に


 赤茶けた大地にさらりと心地よい風が吹き抜けるドワーフの里。
 そこに辿り着いたハクエ達は宿で思い思いに寛いでいる。
 そんな中、一行に徐に近づいて来る一人のドワーフがいた。
「旅の御方よ、この地に古くから続く慣わしを知っているド?」
「ならわし?」
 興味深そうな反応を見せたのはビビ。
 帽子に隠れて良く見えない表情ながら、その目は新たに与えられるであろう知識に期待を膨らませていた。
 ジタンやダガー、ハクエはそれを微笑ましく見つめながらドワーフに続きを促す。
「タナバタと言うド。七の月を一週巡った日の夜、コンデヤ・パタの空にはまるで川のように沢山の星が現れるんだド」
 むかし、この里で悲しい恋をした若いドワーフの男女を哀れに思った天の神が、毎年、二人が袂を別けたその日だけ、夜空に星の川を流し二人の逢瀬を認めたという。
 星の川が無事に流れて二人が会えるように、空の下で見守る人々は願い、また二人の逢瀬が叶った暁には願いを込めた人々には小さな幸せが訪れるのだと言う。
「なんだかロマンチックね……」
 頬に手を当てたダガーがうっとりと呟く。
 それに同調するようにジタンが大きな身振りで頷くと、さり気なくハクエの腰に腕を回した。
「悲しい恋……か、なんだか重ねちまうぜ」
「素敵な言い伝えですね!」
 意味深げにハクエの顔を見つめながら言うジタンだったが、ハクエはジタンの腕の中からするりと抜け出すと話をしてくれたドワーフに近寄った。
 項垂れるジタンに、小さな体を精一杯に伸ばし肩を叩くのはビビだけで、ダガーに至っては最早反応すら見せていない。
 このメンバーの中で、ジタンがハクエに対し口説を投げかけてはその心に擦りもせずに叩き落とされているのは周知の事なので、いちいち気にしていると大変だからだ。
 ハクエもまた、ジタンがあまりにも頻繁に口説いて来る上に、ダガーや街行く可愛い女性にも同様の言葉を囁いているのを知っている為、全く耳に入れていない。
 ジタンはハクエに対しては割と真剣なのだが、往来の性格のせいでそれが実る事は難しそうだ。
 一行の複雑な関係性を眺めていたドワーフは、それを見なかったことにして言葉を続ける。
「今宵、コンデヤ・パタでは二人の逢瀬を願って小さな宴が催されるんだド。旅の御方、楽しんで行くといいド」
「クイナが聞いたら宴の料理が全部消えちゃいそうね?」
 くすくす笑って一行に向き直ったハクエは、何故か落ち込んでいるジタンに首を傾げながらも手を叩いて喜んだ。
 コンデヤ・パタは、山や海の幸をふんだんに使った料理が絶品だと言う事を、到着して直ぐに食べた昼食で知っている。
 宴ともなればより豪勢に振舞われるだろう。ハクエはその味に思いを馳せて顔を綻ばせる。
「どんな料理が出るのかなぁ……楽しみだね、ダガー!」
「ハクエったら、クイナみたいにはならないでね?」
「ボクも、ナラワシとかウタゲとか、はじめてだから楽しみだな」
 どちらが歳上なのかまるでわからないやり取りに、ビビも二人を見上げて目を細める。
 ようやく起き上がったジタンは、やれやれと首を振ると頬を掻いた。
「……はぁ、本日も進展なし、と」
 その呟きを耳に入れてくれたのはドワーフだけで、しかしドワーフはジタンをちらりと一度見ただけで何も言わなかった。
 外が暗くなったら広場に来るといい。
 そう言い残して去って行ったドワーフに、ハクエは夜まで一眠りすることにした。
 他のメンバーは街を散策するようで、宿屋にはハクエ一人だけだ。
 硬い寝具の上でごろりと寝返りを打つと、天井を見上げてぼんやりと考える。
(ちいさな幸せ、かぁ……私が望む幸せは……)

 ◇

 遠くから低く響く太鼓の音で目が覚める。
 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 外はすっかり暗くなっており、遠くから賑やかな喧騒が聞こえてくる。
 宴はもう始まっているようだ、ハクエはゆっくり起き上がるとぼんやり窓の外を眺める。
「……すごい、綺麗……」
 夜空を見上げれば、塗りつぶされたような宵闇の中、白く流れる川があった。
 よく見れば川に寄り添うように無数の星が連なっており、きらきらと輝いている。
 遠い昔を生きたドワーフの男女は、それぞれあの川の畔に立ってお互いを確かめるという。
 決して触れられぬ距離。
 けれども、焦がれる人が確かにそこにいるという代え難い幸福。
 ハクエには、とても羨ましく思えた。
(私には……あの人が生きているのかさえ確かめる術がない)
 ぎり、と掴んでいた窓枠に爪を立てる。
 ジタン達と旅をするようになってから、少しは彼の手掛かりを拾えるかと思っていたが、実際は一人で旅をしていた時と何一つ変わらなかった。
 クジャを追い掛けてやってきた、未知なる大陸。
 霧の大陸ばかりを探し回っていたハクエにとっては、新たに開かれた可能性に他ならない。
 今度こそ、なんでもいい。足取りだけでも掴みたいと、ハクエの心には焦燥感が生まれていた。
 それを押し殺してクジャを追っているのだから、ハクエの心は度々切ない痛みを訴える。
「師匠……あなたは今、どこにいるのですか……」
 ぎゅ、と胸のあたりで拳を握る。
 天の神が、小さな幸せをもたらしてくれると言うならば。
「会いたいです……師匠……!」
 小さな悲鳴は夜空に溶けて掻き消えた。
 遠くで響く太鼓の音が、まるで嘲笑うかの様にハクエの耳に潜り込んでくる。
「……そんな都合の良いお話、あるわけないか……」
 じわりと目頭が熱くなった、その時。
「お嬢さん、こんな楽しい宴の晩に一人悲しげな顔をして、どうしたんだい」
 ハクエは弾かれた様に顔を上げると窓から身を乗り出した。
 外を見回して、ドワーフの里が据えられた巨大な木の根で出来た橋の陰に人影を見付けると迷わず窓辺から飛び出す。
 もつれそうになる足を必死で動かし駆け寄れば、その男は岩にもたれ夜空を眺めながら酒瓶を掲げていた。
「そんなに慌てると、すっ転んじまうぜ」
「……師匠……!!」
 数え切れない位夢に出るほど焦がれた優しいテノールと赤い眼差し。
 確かにそこに彼はいた。
 闇色のコートに身を包み、くいと酒瓶を煽る姿は3年前と何一つ違わぬままだった。
 座る彼の目前まで辿り着いたハクエは、言葉を無くして立ち尽くす。
 微かに聞こえる太鼓の音が、まるで己の鼓動のように思えた。
「この酒はオミキって言ってなぁ……普段俺が里の周りの魔物を追い払ってっから、貴重な代物だけど感謝の印ってことで分けてくれたんだ。なかなか美味いぞ」
「……師匠……」
「あぁ、つまみも貰ったんだったな。この山菜料理と焼き魚は最高だぜ?お前も食ってみろ」
「師匠!!」
 まるで世間話をするかのようにハクエに語りかける男。
 耐えかねたハクエが声を上げると、喉奥でくつくつと笑った。
「幽霊でも見たようなひでぇ顔してんな、ガキンチョ」
 そろそろと近寄ると、静かに隣に座る。
 腰掛けた瞬間、力強く抱き寄せられた肩にハクエは小さく声を上げた。
「わっ」
「どうして俺がここにいるかって顔してるな? 残念だがそれは内緒だ」
 頬に手を添えられたかと思うと、上を向かされる。
 互いの吐息が掛かる程に顔が近く、赤い瞳は優しくハクエを見つめている。
 優しい瞳さえ、かつてハクエが目にしていたものと何一つ変わらない。
「……師匠、お酒臭いです」
 ちらりと彼の足元を見れば、手にしていた酒瓶の他にいくつか瓶が転がっているのを見つけた。
 だいぶ酔いが回っているらしい。
「……おい、こんな時にまでその呼び方はやめろ」
「……スヴェン」
 低く囁かれる声におずおずと彼の名を口にすれば、酒の匂いを漂わせた男は嬉しそうに微笑んだ。
「ハクエ……綺麗になったな。まだまだガキだってのに、恐ろしい女だぜ」
 頬に添えられた手に力が入ったかと思うと、更に引き寄せられる。
「三年間ずっと俺を追いかけていたのか?バカみたいに良い女だな……喰っちまいたい位だ」
 浮くように呟かれた言葉と共に近づいてくるスヴェンの顔に、ハクエはぴくりと身体を震わせるとゆっくり瞼を閉じた。
「……なんて顔してやがる、ガキのくせに」
「いたっ」
 しかし降ってきたのはいつか額に感じた柔らかな感触ではなく、鼻先を軽く弾かれた痛みだった。
「なにするんですか!」
「なーに期待してやがんだ、まだ俺に追いつけてないくせに」
 抗議の声を上げれば、鼻で笑うように返される。
 ぎっと睨みつけたハクエだったが、言葉の意味を考えて困惑の表情を見せる。
「追いつけてないって……?」
 自分を抱き寄せる腕は力強く、確かなぬくもりを持っている。
 今鼻先を弾かれた痛みだって本物だし、この酒臭さは3年前までうんざりするほど嗅いでいた。
 それなのに、彼は、まるで今己はこの場にいないような口ぶりでそれを囁いた。
 身体が急に重くなり始めた。
 視界が回り始め、全ての音が遠くに聞こえ始めていく。
 けれど太鼓の音だけは変わらぬ音で耳の奥に響き続ける。
「……スヴェン……いや……!」
 縋るような声を上げたハクエに、スヴェンはあくまで優しく囁き続ける。
「今日は七夕だからな。3年間もめげずに俺を探し続けた愛しのバカ弟子に、優しいお師匠様からのささやかなご褒美だ」
 身体がまるで自分のものではないように動かない。
 意識さえ薄らぎはじめる中、唇に柔らかな温もりを感じた。

 ◇

「……おねえちゃん……ハクエおねえちゃん!」
 飛び上がるようにして起き上がると、すぐ脇でハクエを呼びかけていた声の主は驚いて尻餅をついた。
「……ゆ、め……?」
 起き上がったにも関わらず、いまだに浮遊感の残る身体がとても重い。
 思わず呟いた言葉に、頭上から声が降ってきた。
「なーに寝てんだ、ハクエ? もう宴ははじまってるぜ!」
「ジタン、ビビ、ダガー…?」
「寝ぼけてるの、ハクエ?」
「クイナが暴走して手がつけられないんだ、止めにいかないと飯がなくなるぜ」
 ぼんやりとした頭でぐるりと周囲を見回す。
 自分を覗きこむようにして立っているジタンとダガー、そしてのそのそと起き上がっているビビ。
 太鼓の音は大きく聞こえ、すぐ外でドワーフ達の賑やかな歓声が聞こえる。
 当然、そこにスヴェンの姿はない。
「どうした? 具合でも悪くなったか?」
「ううん、なんでもない……いこっか、おなかすいちゃった!」
 一瞬陰りを見せたハクエの表情に心配そうに声を掛けたジタンだが、笑顔を見せたハクエに続けようとした言葉を飲み込む。
 ダガーとビビも気遣わしげな表情を見せていたが、ハクエの様子に表情を切り替えた。
「ハクエの好きそうな食事がたくさんあるのよ、いきましょう」
「おねえちゃん、はやくいこう!」
 ベッドから立ち上がったハクエは、一度大きく伸びをして皆に向き直る。
 その瞳は、いつも通りの穏やかなアメジストの輝きを湛えていた。



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