交わらぬふたり


 バケツをひっくり返したような豪雨が続く夜の事。
 とある山の麓にある小屋の中で外の様子を伺っていた白銀の髪を持つ女が憂鬱げな息を吐いた。
「まったく、お生憎様な天気ね」
「……泣き言をいう暇があるなら、早く準備を整えたらどうだ」
「わかってるわよ」
 ぎゅ、とブーツの紐を締め、立ち上がる。
 爪先で床を叩いて具合を確かめ、腰にぶら下げているポーチにありったけの弾倉と消耗品の類を詰め込む。
 外套を羽織り、得物を定位置に収めた後に振り返った。
「さあ、いきましょ」
「……さっさと終わらせるぞ」

 山間に申し訳程度の木材で舗装された、あまり足場が良いとは言えない道を歩く男女。
 先頭に立つのは女のほうで、普段は腰のあたりまでたっぷりと伸ばしている白銀の髪を束ね上げ、薄暗い色の帽子を目深に被り、外套を羽織って雨風から身を守っている。
 外套の隙間から伸びる華奢な手が握る銃剣が、木材の隙間を潜って伸び散らかっている雑草を切り払い、進路を確保する。
 その動作は、豪雨の山の中という悪条件を物ともしない身軽さで、視界の悪さをものともせず、的確に道を妨げるものだけを切り払っている。
 彼女が道を拓く後方を歩くのは、燃えるような焔色の髪を持つ巨漢で、その肌は女と比べ青い。
 白銀の髪を持つ小柄な女と並べてみると、男の背の高さはより際立っている。
 なにせ、猫背がちに歩いているというのに、それでも女の頭ひとつ分以上は差があるように見えるのだ。

 この二人が何故、酷い豪雨の中足場の悪い山の中を歩いているかといえば、なんてことはない。
 単に、受ける依頼が被ってしまったのだ。
 女はアレクサンドリアで、男はトレノでその依頼を見かけて依頼主の元へ向かったのだが、そこで偶然出会した。
 魔物の討伐という依頼で、更に報酬額も良いとなれば、確実に自分の手柄にしたいもので、二人はどちらが引き受けるかでそれはたいそうに揉めたのだが、肝心の依頼主は二人が知り合いであることを知るなり、さもありなんとばかりに宣った。
『それなら、二人で行けばいいじゃないか』
 こちらは、その魔物にほとほと困り果てているのだ、報酬なら、人数が増えた分、ちゃんと考えるから。
 クライアントにそう言われてしまえば、二人はその提案を飲み込まざるを得ない。
 かくして二人は、夜の山間にだけ出現し、依頼主が治める集落を脅かすという魔物の討伐に出発する事となったのだ。

 しばらく山間の道を進むうち、ふいに女が立ち止まった。
 男もまた立ち止まり、身を屈めて様子を伺う。
「見える? あれ」
「……あぁ、見える」
 山道が一部、えぐられていた。
 この豪雨は暫くの間続いていたというし、土砂崩れでも起きたのかと思えたが、それにしては不自然だ。
 二人が注意深く観察すると、それは大きな爪痕の形をしている事がわかった。
 えぐられて盛り上がった土を乗り越え泥水が爪痕の中に流れ込みはじめている所からして、この爪痕が出来てからは間もない事が推測できる。
 それは、この大きな爪の持ち主が近くにいることを示していた。
 草刈りに使用していた得物を持ち直す女と、両手に嵌めた鉤爪を構える男。
 警戒心を強めた二人は、注意深く山道を進んでいく。
 獲物を見つけるのは容易かった。
 木々を押しのけるようにして悠々と進む巨大な影。
 この地域の生態系を無視して住み着いている、ドラゴン系の魔物は一際目立って二人の目に映った。
「二人で『協力して』討伐するんだからね、一人で暴れないでよ」
「……お前こそ、俺の足を引っ張ってくれるなよ」
 魔物が二人に気付いた様子はない。
 二人が二言三言、小さな声で言葉を交わした後、男は音も立てずに女から離れると木々の合間に消えていった。
 それを横目で確かめた女は、手にしていた得物をおもむろに構える。
 ひどい豪雨の中、視界は最悪で魔物の姿は見辛いように思えるが、彼女の視界には捉えた獲物の姿が鮮明に見えていた。
 鷹の目――一時的な効果ではあるが、飛躍的に視力を上昇させる、己の得物をより使いこなすために習得したアビリティ。
 それこそが、彼女がこの豪雨に見舞われた山間で、まるで晴れた日の昼間のように立ち振る舞える理由にほかならない。
 戦闘における彼女の強みは、状況に応じてその立ち位置を変えられることにある。
 彼女の持つガンブレイド。一見片手剣のように見えるその武器は、刀身に寄り添うように銃口が伸び、柄にあたる部分には弾倉が己の存在を主張している。
 一人旅をしていた時や、共に行動をする仲間が後衛だった時は剣士として前衛に。前衛と組む場合は、射手として後衛に。
 今回、任務を共にする焔色の髪の男は、その両手に嵌めていた鉤爪が示すように前衛にあたる。
 お互いの戦闘スタイルを熟知している二人は、先の会話でそれぞれのロールを決め、『共闘』すべく作戦を決めていたのだ。
 射手としてガンブレイドを構えた彼女は、音も気配もなく魔物に接近する男に合図を投げるため、引き金を引いた。

 ひんやりとした感触を受け、意識が浮上する。
 瞼を押し上げて視界に入ったのは見慣れぬ岩肌で、遠くで豪雨の音が響いていた。
「……気がついたか、ハクエ」
 低い声が鼓膜を震わせる。
 視線だけを動かすと、焔色の髪の男が自分を見下ろしているのが見えた。
 男の向こう側に焚き火があるようで、逆光がかって表情までは伺えない。
 身体の節々が痛く、寒気がする。
 頭を強く打ったようで、動かそうとすると鈍い痛みが走った。
 起き上がるのは諦めて、ハクエと呼ばれた女はそのまま視線だけを男に投げかける。
「……サラマンダー、私は……」
「魔物の攻撃で崖下に放り出されたんだ」
 淡々と返される言葉に、記憶を手繰り寄せる。
 引き金を引くとともに飛び出した弾丸は魔物の背中を撃ち抜いた。
 当然、魔物はハクエめがけて襲いかかり、それを木々の間を縫うようにして走り抜け、避ける。
 何度も方向を変えて暗い山の中を走り、魔物が完全にハクエに夢中になった頃合いを見て、サラマンダーが待機する場所まで誘導し、死角から一撃を叩き込む。
 当然、それだけで倒しきれる訳はなく、その後はサラマンダーが前衛を張り、ハクエが後方から援護する。
 不意を突かれた魔物の体力を奪い、惑わせ、疲労させ、確実に仕留めるのが目的だった。
 一見、戦闘は順調に運んだように見えた。
 しかし、魔物にトドメを刺す刹那、最期の悪あがきと言わんばかりに振るわれた尾の薙ぎ払いに身体を持って行かれたハクエは、そのまま崖の向こうへ身を投げ出された。
 ……そこからの記憶はない。
「魔物は仕留めたし、証拠の牙も入手した。後はお前の体力が戻るのを待って、山を下るだけだ」
「……足、引っ張っちゃったわね」
 先ほどのひんやりとした感触は、サラマンダーがブーツを脱がした為に感じた冷たさのようだ。
 崖下に落ちた時に脚をやられたらしく、健康的に伸びた脹脛の一部が痛々しい色に変色している。
 何度か痣を擦ってハクエの反応を確かめたサラマンダーが、ゆっくりとオーラを発動させた。
 身体がじんわりと温まり、徐々に痛みが薄れていくのを感じる。
「ありがと」
「……寒いのか」
 外套に身を包んでいたお陰で身体こそ濡れてはいないものの、気温の低い山の中はとても寒く感じる。
 思わず身震いしたハクエに気付いたサラマンダーが、脚の手当をしながら視線を寄越してきた。
「ちょっとだけ。でも、大丈夫」
「そうか……」
 口数の少ないサラマンダーとともに過ごす時間は、他の仲間と過ごす時と比べ、とても静かだと感じる。
 けれどそれは決して居心地が悪いわけはなく、若干の心地良さをハクエにもたらしてくれる。
 あたたかで大きな掌に脹脛を包まれる感触に身を委ねていたところ、不意に裏腿に手が這わされた。
「……サラマンダー?」
 逆光に遮られ、サラマンダーの表情は伺えない。
 ただ、あたたかで大きな手が腿をまさぐるのみだ。
「ねえ、ちょっと、そこはケガしてないんだけど……わっ」
 困惑した声を上げれば、おもむろに抱き上げられた。
 焚き火に当たるように向きを変えられ、膝の上に乗せられる。
 サラマンダーと大きな体格差のあるハクエの身体はすっぽりと包まれ、大きな腕に抱きすくめられる。
 焚き火に向かった事で表情を伺えるようになったサラマンダーは、複雑な面持ちでハクエを見下ろしていた。
「……こんな小さな身体で、どうしてそこまで身を削る」
「あなたからしたら、そりゃ誰でも小さく見えるわよ」
 身を案じてくれているのだろう。
 気遣わしげな声を掛けるサラマンダーの言葉に、しかしハクエは唇を尖らせた。
 身体のラインをなぞるように撫でるサラマンダーの掌は、ハクエの華奢な身体をいとも容易く包み込んでしまう。
 あたたかなサラマンダーの手になぞられて、ぞくぞくと身が震える。
 冷えた身体をじわじわ暖められて、溶けてしまいそうだ。
「そういう事じゃない」
「あなたがそういうところを心配してくれるなんて、意外だわ」
 湧き上がる感覚に戸惑っていると、顎を掴まれた。
 強引に視線を重ねられ、焔色の髪に隠れた眼差しを受ける。
「……」
 口数少ないサラマンダーが多くを語ることはない。
 けれど、その視線には沢山の感情が込められている事を、間近で見るハクエには理解できた。
 その目に込められた想いを理解した上で、身体を撫でる大きな掌にやんわりと己の手を重ね、止めさせる。
「大丈夫。そういう性分なのよ、私」
「……不器用な女だ」
「わかってる」
 撫でていた手を止められたサラマンダーは、改めてハクエを抱き込むとそのまま目を瞑った。
 ハクエもそれに倣い、彼の体温で暖を取るために身を寄せ目を瞑る。

 お互い一人でいることを好む性分であるサラマンダーとハクエが、共に過ごしていて心地よさを覚えるのは、単純に二人の相性が良いからなのだろう。
 性格の面でも、戦闘の面でも申し分のないハクエの事をサラマンダーは少なからず気に入ってはいるのだが、不器用な性格であるために、なかなかどうして押すことができない。
 ……偶然共に行動する機会を得ることが出来たのだが、結局、今回も中途半端に終わってしまった。
 ハクエの捻挫を理由に滑らかな肌を堪能できただけ、良いとしよう。
 腕の中で、自分の体温によって徐々に温くなっていくハクエの柔らかな身体を抱きしめながら、サラマンダーは豪雨が過ぎ去るのを待った。



− | −
BACK | TOP ]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -