ちいさな理解者


 じー。
「……」
 じいー。
「……」
 じいいーーっ。
「……そんなに見つめないで欲しいんだけど、エーコ」
 大きな瞳からびしばし遠慮なく突き刺さる視線に耐えかねたハクエは声を上げた。
 野営の準備をするにあたり、調理当番に割り振られたハクエとエーコは黙々と食材を切っていたのだが、いつからかエーコは手を止めて熱心な視線をハクエに送り続けている。
 少し離れた所から、ジタンが今晩のおかずにするための獲物を探しまわっている声が聞こえる。視界の隅にはサラマンダーが黙々とテントを張っている姿がちらついている。でも、この辺りにいるのは、ハクエとエーコだけ。
 そのエーコと言えば、幼子特有のふっくらとした柔らかな頬をさらにぷっくり膨らまし、大きな瞳をキリッと尖らせている。子供が好きなハクエはその姿さえ可愛いと思ったのだが、どうやらエーコのご機嫌はよろしくないようだ。
「……ずるい」
「え?」
 ぽつりと呟いたエーコに、聞き取れなかったハクエは思わず聞き返した。
 傾げた首に合わせて、料理の邪魔にならないように結い上げていた銀糸がさらりと揺れる。
「ハクエ、何でもできちゃうんだもの。弱点が見つからなくって、ずるい!」
「……はい?」
 堪らず声を張り上げたエーコに、ハクエは目を瞬いた。
 それまで淡々と人参の皮を向いていたのだが、思わず手が止まりそうになる。
 ぱちぱちと何度か瞬きをした後、続きを促した。
「エーコ、知ってるんだからね! ジタンがハクエにお熱で、ハクエも悪い気してないってコト!」
「うん!?」
 急に何を言い出すのだこの娘っこは。
 何を見てそう思ったのか知らないが、勘違いも良い所である。
 促した先に続いた言葉に動揺を隠しきれなかったハクエは、危うく包丁で指を切るところだった。
 この調子では、とても刃物を扱っていられない。諦めて息を吐くと、人参と包丁を静かにまな板の上に置いた。
 その代わり、煮立った鍋に転がしていた芋をボウルに放り込み、おもむろにすり潰し始める。これならうっかり手が滑ったとしても怪我をする事はない。
 腕でボウルを固定したハクエは、そこでようやくエーコに顔を向けた。
「それが、どうしてずるいに繋がるのかな」
「ハクエなら気付いてると思うケド、エーコってば、ジタンのコトが大好きなのよね…… だから、ハクエに負けるワケにはいかなくって、リサーチをしていたの!」
「はあ」
 気付いてるも何も、エーコがジタンに夢中なのはメンバーの共通認識事項なのだが。
 生返事をするハクエに対してエーコは捲し立てる。
「それで、ハクエの苦手なトコを探して、それが出来るエーコの姿をジタンにアピールすれば、エーコの株は一気にアップすると思ったの!」
(なかなかに黒い事考えるわねこの子)
「それなのに、ハクエは全然弱点を見せてくれないのだわ! 料理だって、戦闘だって、何でもこなしちゃうって、ズルい! このままじゃ、ジタンがハクエに取られちゃう……」
「そうは言われてもねぇ……」
 『ジタンが取られちゃう』なんて事はないから安心して欲しい。そう言おうと口を開いたものの、エーコは頬を膨らませながらも真剣な表情だ。
 困ったように頬を掻いたハクエは、何を見てエーコがそう思ったのかを考えることにする。
 料理をはじめ、家事を一通りこなせるのは全てをハクエに押し付けて怠惰の極みに浸っていた師匠のせいだし、戦闘が得意なのも半強制的に師匠に叩き込まれたからだ。
 時たま『もしかして雑学王なんじゃないの』と評される程の知識量だって座学でみっちり教えこまれたものだ。
 さらに言えば、やたら旅慣れているのも師匠を探して長らく一人旅を続けていたからであるし、それに伴ってある程度の地形や気候などが読めるようになった。
 ……こう考えてみると、今の自分を形成する殆どにあの師匠が関わっている気がして、ハクエの口は知れずに歪んだ。
 自然と芋をすり潰す手に力が入るが、エーコは気付いていない。
「どうしてハクエは何でも出来ちゃうのかしら?」
「何でも出来るわけじゃないよ、エーコ。私は、そうする必要があったからそうしただけ。出来ないことも、沢山あるよ」
「そうする必要?」
 きょとんと首を傾げるエーコが可愛くて、歪んだ口元が今度は緩む。
 恋する乙女を納得させるような言葉を探しながら、口を開く。
「私はね、大切な人の為にそうする必要があったの」
「スヴェンって人のコト?」
「そう。本当は、何にも出来ない女だったの。でも、大切な人の為に、出来ない事だって出来るようにしなくちゃならなかったし、弱みなんて見せても、足元を掬われるだけだった」
 芋がボウルの中で押し潰され形を変えていく。
 ボウルの中の芋とハクエの表情を交互に眺めていたエーコは、やがて何か合点がいったように頷いた。
「ふーん、ハクエは甘えベタなのね」
「そう? みんなには頼っているつもりなんだけど」
「ううん、きっとハクエの言っているものとは違うのだわ」
 エーコの言う意味がわからなくて、首を傾げる。
 ハクエは『エーコだってやれば出来るんだから、黒いこと考えてないで頑張りなさい』といった事を伝えたかったのだが、どうやら違う形で伝わったらしい。
 今の会話で何かを得たエーコは、それまで膨らませていた頬から空気を抜いてにっこり笑った。
「エーコったら、ハクエの弱点を見付けてしまったわ!」
「そうなの?」
「うん! でも、これはジタンへのアピールポイントにはならないわね、エーコだけの秘密!」
「本人には教えてくれないの?」
「ハクエはニブチンだから、言ってもわからないわ、うん」
 なかなかに失礼な事を平気で捲し立てるちびっ子に、ハクエは苦笑した。
 ハクエの弱点とやらを見付けた事で機嫌を良くしたエーコは、そのハクエが諦めた人参の皮剥きに挑戦しているが、その手はぎこちない。
 手を切ってしまわないだろうか。はらはらと見守っていると、エーコは再び口を開く。
「結局、ジタンにアピールするにあたってのポイントは掴めなかったけど、良い収穫があったわ!」
 ハクエが剥いていた時よりもだいぶ分厚い人参の皮が、ぽとぽと地面に落ちていく。
 怪我をしないで皮剥きを済ませることが出来たようで、今度はまな板の上に乗せて刻む。やや不恰好な見てくれだが、幼子が切ったにしては充分な出来だ。
 既にオニオンなどを煮込んでいる小鍋にそれらを放り込んで、かき混ぜる。
「ハクエ」
「なあに?」
 鍋から立ち上る湯気と匂いが食欲をそそる。
 芋をすり潰した終えたハクエは、皿に移し替えながらエーコを見た。
「エーコ、ハクエには負けないわよ! でも、ハクエが負けそうな時はエーコが助けてあげるからね」
「なぁにそれ」
 矛盾してるじゃないと呟けば、ハクエにはわからなくていいもんねと生意気な言葉が返ってくる。
 満足そうな顔で鍋の中身をかき混ぜるエーコが可愛くて、ハクエは顔を綻ばせた。
 その言葉に文字通り助けられる時がくるのは、だいぶ先のこと。



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