やさしいぬくもり


 建物の間をすり抜けて髪を散らかす風を冷たく感じるようになる季節。
 整然と敷き詰められた煉瓦の舗装路の上で小さな足を包む革靴を鳴らしていた子供がぶるりと身体を震わせる。
「だいじょうぶ?」
「ヘーキよ」
 サスペンダーに縫い付けられた白い羽根がふるふる揺れている。
 気遣わしげな声を掛ける少女に健気に笑いかける子供は、すこし頬が赤くなっていた。
 手のひらまですっぽり収まる長袖をこすりあわせて身を暖める子供に、少女はひとつ笑みを零しておもむろに近付く。
「最近寒くなってきたもんね、ほら」
 少女が身に纏っていた外套を広げてみせると、小さな身体はすっぽりと包まれた。
 急に暗くなった視界に目をぱちくりとさせた子供は、自分が彼女の外套の中に招き入れられた事を知ると騒ぎ出す。
「ちょっと! これじゃ前が見えないじゃないの!」
「ごめんごめん。じゃあ、こうしようか」
 外套の中から響く子供特有の甲高い声を聞きながら、対して悪びれた様子を見せない少女は子供を軽々と抱き上げた。
 そうすれば、照れた様子でいる子供の顔がぴょこりと飛び出る。
 すうと息を吸って、たっぷり数秒吐いた後、子供は少女に視線を合わせた。
「レディになんてことするのよ」
「エーコがあまりに寒そうだったから、こうすれば暖かいかなって思って」
 にこにこと笑いかける少女に、エーコと呼ばれた小さな子供は唇を尖らせた。
 確かに、今日は寒いと思っていたし、出来るなら暖を取りたいと思っていたのだが、まさかこうやって彼女の外套に包まれた挙句抱きしめられるだなんて思ってもいなかった。
 恥ずかしくて、早々に降ろしてもらおうと口を開きかけたのだが、慈しむように自分を見つめるアメジストを見ていたらなんだかその気も失せてしまった。
 だって、自分より一回り年上の彼女に抱き締められていると何故だかとても落ち着くし、事実、外套の中で自分を抱えているその腕は暖かい。
 まったく記憶にないけれど、きっと母親に抱き締められるのと同じ心地なのかなという考えがちらりと脳裏を過ぎった。
 それを誤魔化すために、もう一度溜め息を吐いたエーコは彼女の胸に己の頭を傾ける。
「エーコ?」
「……寒いから、早く帰りましょ」
 ぎゅ、と外套の裾を小さな掌が握りしめる。
 引き結ばれた小さな唇が照れを紛らわそうとしているようで、少女の顔は綻んだ。
「そうだね、早く帰ろっか」

 煉瓦の舗装路を歩くブーツが、コツコツと固い音をひびかせる。
 エーコが視線を何処かに飛ばしているのを見て、それを追ってみれば樹々に茂る葉っぱが紅色に色づいている事に気がついた。
 街路樹なのだろうか、等間隔に植えられた樹を覆う紅葉が美しい。
 少女が感嘆の息を吐く傍ら、エーコがぽつりと静かに呟いた。
「こんなきれいな葉っぱ、はじめてみるのだわ」
 その言葉に、エーコと出会った召喚師の里には枯れた木がひとつだけ寂しそうに項垂れていた事を思い出す。
 エーコが物心ついた時には既に滅んでいたというあの里では、季節を感じさせる美しい情景が見れることは無かっただろう。
 ただでさえ大きな瞳をもっと大きく開かせて、食い入るように紅葉を見ている小さなこども。
 少女は、己の胸中に言い様のない想いが広がるのを感じた。
 いくつか立ち並ぶ樹のひとつに近付いて、枝から紅色に染まった葉をちぎり取る。
 不思議そうな顔をして見上げるエーコに差し出せば、こてりと首を傾げられた。
「なに、これ?」
「綺麗な色してるから、おみやげ」
「ふぅん」
 たいして興味なさそうな口振りをしながらも受け取った紅葉をじいっと見つめるエーコに、少女は優しい音色で語りかける。
「この国はね、四季の移ろいに合わせて色んな景色が見れるんだよ。寒くなり始めのこの時期に、葉は色づいて冬支度をはじめるの。あと数ヶ月もすれば、雪が降ってこの辺り一帯真っ白になって綺麗なんだよ」
「ゆき?」
「そう、雪。寒いとね、白くてふわふわした冷たいものが空から降って、地面に積もるの」
「それ、とっても見てみたいのだわ!」
 幼い子供をあやすような口振りで話す彼女の言葉に耳を傾けていたエーコが、未知なるものに瞳を輝かせた。
 予想通りの反応を見せてくれた子供に微笑んだ少女は、エーコを抱き締める腕に力を込める。
「うん、一緒に見よう。雪だけじゃなく、二人で一緒にいろんなものを見ようね」
「ぜったい、約束なんだからね!」
「うん」
 即座に頷けば、まばゆいほどに満面の笑みを見せてくれるエーコが愛おしい。
 この子供が胸の内いっぱいに秘める寂しさを自分が少しずつ取り除いてやりたいと、さきほど渡した紅葉を嬉しそうに眺めるエーコを見ながら考えた。



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