亡国の影


 アレクサンドリア城下町の広場からやや外れたところ。
 人通りの多いところであるにも関わらず、何故か人が寄り付かないような、不思議と寂れた印象を受けるその場所。
 ひそやかにその場所に身を置く大きなボードは申し訳程度の廂を僅かばかりに伸ばし、ひっそりと建つ割にはどっしりと地面に根を張る柱はもたれ掛かってもびくともしない。
 肝心のボードの内容といえば、なんてことはない、ただの掲示板だ。
 すっかり風化して文字が読めなくなっている古い掲示物から、つい先日張り出されたばかりであろうシワひとつない綺麗なものまで、ひと気の無さの割に利用者は居るらしく様々な紙が張り出されていた。
 それは単なる掲示板というよりは、尋ね人であったり失せ物探しだったり迷惑をかけてくる魔物の討伐依頼であったりと、何かしらの助けを求める内容が多い。
 当然、謝礼もきちんと併記されているそれら掲示物はハクエの収入源の一つだ。
 既に解決しているにも関わらず剥がし忘れている者も時たまおり、無駄足を踏まされる事もあったりするが、定職に就いていない者の中には掲示板の依頼をこなして稼ぐ人間が多い。
 魔物の討伐なんて、特に報酬が美味いからだ。
 それが困難な相手であればある程金報酬額は跳ね上がり、腕ある者の格好の餌食となる。
 そんな、腕ある者の一人であるハクエはいつものように何か依頼ごとは増えていないかと、ひとつひとつ内容に目を通す。
「うーん……どれもいまいちパッとしないなぁ……」
 一通り眺め、肩を落とす。
 ハクエが得意とする分野の依頼ごとは無いようで、また今度かなぁ、と踵を返そうとした時。
 かさりと、紙の擦れる音がした。
 振り返ってみれば、先程と変わらぬ姿の掲示板がそこにある。
 風でも吹いたのかと思ったが、すぐ傍にいるハクエは風を感じていない。
 気のせいだったかと首を捻っていると、再びかさりと紙の擦れる音がした。
 かさり。
 かさりと。
 風なんて吹いていない。
 今日は穏やかな天気だし、家屋の屋根に留まっている風見鶏も一方を向いたまま暖かな陽の光を浴びている。
 それでもハクエの耳には、まるで風に吹かれて紙が擦れ合う音が入ってくるのだ。
 目の前の掲示板に貼られたそれらは全く揺れていないというのに。
 ……否、ひとつだけ、あった。
「……なんだろ、これ。こんなのあったかな」
 ようやく見つけたそれは、掲示板の真ん中でひらひらとその存在を主張させていた。
 他の掲示物とくらべ、かなり小さいその紙は張り出されてからかなりの年数が経っているらしくぼろぼろで、端の方は完全に擦り切れてしまっている。
 それなのに、真新しく張り出されている筈の紙の上に陣取っているのはどういうことだろう。
 奇妙なコントラストだと思いながらあからさまに不審なその張り紙に顔を近付ける。
 後々非常に後悔することになるのだが、この時のハクエは好奇心の方が勝っていた。
 雨風をたくさん浴びたのだろう、掠れて読めない文字を読み解こうと目を凝らす。
 所々完全にインクが落ちてそこに文字が有ったことすらわからない部分を除けながら、読める部分を読んでいく。
「どうか、あのひと、に、あわせて……ッ、?」
 読み上げてみると、ハクエの身体は不思議な感覚に陥った。
 喉を震わせて喋っている筈なのに、口から紡がれる音色はいつも聞いている自分の声とまるで違う。
 すこし低めの落ち着いた声色だった筈が、か細い少女のようなものになっている。
 その事に気付いた時には、金縛りに遭ったように身体が動かなくなっていた。
 おかしな感覚に口を閉ざしていた筈なのに、勝手に唇が動いて喋り始める。
 あの、か細い少女の声色で。

 ――どうか、どうかあの人に逢わせてください。
 もう、何度木々が生い茂っては花を咲かせて実を結び、そして儚く散って行ったでしょう。
 私の両手の指では数え切れない程になってしまいました。
 けれども、あの人はきっと今でもこの世界の何処かで生きているのです。
 きっと、今でも私の事を想ってくれているのでしょう。
 だけど、私は積み重なる時の重みに耐えられそうにありません。
 どうか、私が押し潰されてしまう前に、一目だけでも構わない、どうかあの人に逢わせて下さい――

 張り紙では擦り切れてしまって読めない箇所さえ、勝手に動く唇からどんどん溢れ出す。
 戸惑いながら辛うじて自由の聞く両の眼を必死で動かし、真横を捉えた瞬間にハクエの喉は引き攣った。
「……っ」
 思わず悲鳴を上げそうになったのだが、まるで声にならない。
 ハクエの視界に入ったことが嬉しいのか、それは唇の両端を三日月のように吊り上げて頬に擦り寄る。
 音の無い囁きはハクエの耳朶を凍えさせ、親しげに抱き着く両腕は氷のように冷たく重みを感じない。
 腕に押し当てられた胸元からは生者なら誰でもあるはずの鼓動が全く感じられなかった。
 真っ白な胴乱を塗り込めたかのように色の無い顔はひたりとハクエの頬に寄せられ、血の気が微塵も感じられない唇は先ほどからハクエの耳朶に言葉を送り続けている。
 千々に乱れた黒髪は風が吹いても無いのに不気味に揺らめいていて、真っ赤に濡れた瞳は一度たりとも瞬きをせずにただただハクエを見つめていた。
「会いたいの……あの人に。ねぇ、わかるでしょう」
 ようやく見つけた、と至極嬉しそうに笑んだ彼女はハクエの両頬を掴むと無理矢理視線を重ねる。
 ハクエが目を逸らそうとしても、追い掛けるように覗き込んでアメジストに己を映し込む。
 しわしわの唇からは何の音も聞こえない筈なのに、まるで鼓膜を震わせるように言葉が耳を通り抜け脳に響いた。
「あなた、わたしと同じなのね。ねぇ、少しくらい貸してくれたって良いでしょう」
 重ねられた視線の先にある赤色がぐっと近付けられる。
 抵抗しようにも、金縛りに遭っている身体はぴくりとも動いてくれない。
 ただ彼女を受け入れるしかできない。
 氷のように冷たい唇が血の通った桜色の唇に重ねられた刹那、ハクエの身体は糸が切れたように崩れ落ちた。
 いつも被っている、つばの長い薄暗い色の帽子が崩れ落ちたハクエを追うように音もなく地面に沈んだ。
 やがてハクエが身を起こし、徐に立ち上がる。
 けれどその挙動はまるで虚ろで力がない。
 ふらふらとした足取りで歩き始めた彼女は、あれだけ大切にしていた筈の帽子を置き去りに何処かへと消え行った。
「……これ、ハクエのか……?」
 それを拾い上げるものが現れたのは、それからすぐの事だった。

 ◇

 名も無き小国。
 そこで確かに生を受け静かに育ち、愛しい男とささやかな幸せを享受する筈だった。
 けれど、霧の下に国土を有するその国は決して安全とは言えず、常に魔物の脅威に晒されており度々討伐隊が組まれては生きて帰れる保証もなく討伐に出されていた。
 勿論、力ある青年である彼がそれに抜擢されない訳が無い。
 行かないでくれと泣いて懇願し、喚いて困らせた。兎に角彼に残って欲しかったのだ。
 けれど国の勅命に逆らえる訳もなく、やがて自分を置いて出発してしまった。
 帰ってきたら、もう二度と離れないからと、その言葉だけを残して。

 数ヶ月後、帰還した討伐隊の中に彼の姿はなかった。
 彼の最期を見届けた者はいないという。
 最後に姿を見た時は、早く魔物を片付けて、彼女の元に帰るのだと息巻いていたそうだ。

 嗚呼、きっと彼は逃げたしたのだろう。
 誰もがそう思った。そして、彼女はそれを信じた。
 きっと、いつか必ず戻ってきてくれる。
 信じたまま、幾年もの歳月が流れて行った。

 ◇

「会わせて欲しいだなんて、相当な無茶振りよ……」
 あれから暫くふらふらと彷徨い、アレクサンドリアを出た所でハクエは意識を取り戻した。
 身体の自由こそ利くようになっているものの、酷く身体が怠い。
 それどころか、己の中に得体の知れないものが潜り込んでいるのを感じる。
 先程からそれは直接脳内に切々と願いを訴え、ハクエの身体を誘導している。
 取り敢えず己の国に来て欲しいという事らしい。
 彼女はいつ自分が死んだのか全く覚えてないという。
 最期の記憶は魔物が結界石を破って国に雪崩れ込んで来たものだから、きっと魔物に食べられてしまったのだろうと暗い声で言っていた。
 それでも彼に会いたい気持ちが強すぎてこの世に留まってしまっているのだとも。
 通行量の少なさから寂れた印象を受ける東ゲートを越え、アレクサンドリア領から外れる。
 そのまま海岸線沿いに北上していったところで、何処へ連れて行かれるのかと思案していたハクエは眉を顰めた。
(この先に、小国と呼ばれるほどの規模を持つ街なんて、ない……)
 正確に言うなら、今となっては存在しない。
 かつてハクエがこの辺りを旅していた時、小さな村こそあれど人の住まう国なんて見かけなかったし、村人から情報を集めている最中にもそんなこと一言も言っていなかった。
 ……霧深い山の麓に寄り添うようにひっそりと果てていた、亡国の骸を除いて。
(あの風化の進み具合、滅んでから数年程度なんてレベルじゃない。何十年、下手したら何百年と経っている……)
 情報を求めて足を踏み入れたものの、濃霧とひっきりなしに襲いかかる魔物に早々に撤退した事を思い出す。
 あれはもう、魔物の住処だ。
 啜り泣く声に導かれる先は亡国へと続いている。
 ハクエは諦め、代わりに深く深く息を吐いた。
「そんなに泣かないで頂戴。ちゃんと付き合ってあげるから」
 相変わらず頭の中に響く啜り泣く声に小さく呟けば、少し落ち着いたように思う。
 どうやら意思の疎通はできるようだ。
「ここまで来てしまったんだもの、最善を尽くさせてもらうわ」
 正確には、身体を乗っ取られて強引に連れて来られた、だが。
 敢えてそこには触れないし、その方がいいだろう。
 背中に担いでいたガンブレイドを徐に手中に収め、マガジンを付け替える。
 安全装置を解除し、いつ何が襲って来ても良いように神経を研ぎ澄ませた。
 その時。
「ハクエ!」
 少年特有のアルトがハクエの耳に届いた。
 勢い良く振り向いて、そこにいる人物に目を見開く。
「ジタン……!? どうして」
「はぁ、ようやく追い付いたぜ」
 肩で息をしながらハクエに寄るジタン。
 相当急いできたのだろう、額には大粒の汗が浮かんでいた。
「ハクエがこれを落とすなんて、普通じゃないと思ってね」
「あ……」
 頭に乗せられた僅かな重み。
 つばのひろい暗闇色の帽子はハクエがとても大事にしているもので、それを持って追い掛けて来てくれたのだろう。
 わざわざ、国境を越えてまで。
 取り憑かれていたとはいえ、大切な帽子を落としてしまっていた事にハクエは唇を噛んだ。
「何があったんだ?」
「……ちょっとね」
 ジタンの問い掛けに対する答えに詰まる。
 果たして喋っていいものだろうか。
「なぁに、追っかけてるうちにこんなとこまで来ちゃったんだ、多少の面倒ごとだって付き合ってやるぜ」
 その様子を見抜いたのだろう、ジタンが青い瞳を僅かに細めてハクエの肩を叩く。
 多少の面倒どころか相当な厄介に巻き込んで良いものかと首を捻るが、どうせジタンの事だから理由を話さずとも付いてくる気満々だろう。
 ハクエの脳内に響く声もまた、協力者は多いほうが良いと言わんばかりの勢いだ。
 先程同様、深く息を吐いたハクエはジタンに経緯を話し始めるのだった。

「――っていう訳なのよ」
「そっか……その女の人が、今ハクエに憑いてるっていうんだな?」
 顎に手を当てて唸るジタンに頷くと、がしがしと頭を掻きはじめる。
 幽霊かぁ……うん、ちょっと予想外だなぁ。でも、困ってるんじゃなあ……と、なにやらごちていたが、やがて一つ頷いてハクエに向き直った。
 とんとんと己の胸を親指で叩いて大きく逸らす。
「よっし、その、彼氏とやらに会わせてあげようぜ」
「そんな簡単にいくものかしら……」
 ジタンの答えに満足したらしい、再び急かし始めた声にハクエは最早何度目かわからない溜め息を吐くのだった。

 やがて辿り着いた亡国に足を踏み入れてみれば、濃度の高い霧がハクエとジタンに襲いかかってきた。
 数歩先でさえまともに見れない程の霧の中から頻繁に飛び出してくる魔物たちを払い除けながら、ハクエの頭に響く声を頼りに足を動かす。
「ジタン、この辺は瓦礫が多いから、足元に気をつけて」
「あぁ、わかってる」
 ヘタをすればお互いの姿さえ認識できなくなってしまいそうだ。
 頻繁に声を掛け合い、逸れてしまわないように注意を払う。
 きっと、ここは大通りだったのだろう。
 幅の広い道の両脇に朽ちた看板をぶら下げる家屋がちらほらと見られるが、通りの長さの割に建物の形を留めているものはとても少なかった。
 無残にぶち撒けられた、かつて建物の形を成していた瓦礫達を踏み越えて奥へ奥へ進んでいく。
 やがて辿り着いた小さな家は、その入口こそ破壊されていたものの、中は住居としての体裁を保っていた。
 玄関を踏み越え、リビングと思わしき部屋へ入る。
 ここにも相変わらず霧が漂っていたが、不思議と魔物の気配は感じられない。
「……ここが貴方の家なの……?」
 誰にともなくハクエがそう呟けば、肯定の声が返ってくる。
 しかしその声は、問いかけた筈のハクエの唇から発せられた。
「ええ、ここが、わたしの家。ここで、彼と、幸せになるはずだった」
「ハクエ……その声!?」
 普段のハクエの声とまったく違う、か細い声にジタンが思わず後退った。
 ハクエもまた、勝手に動く唇にぎょっとして固まる。
 その時、動揺する二人の間に一つの影が浮かび上がった。
 その影はアレクサンドリアの街でハクエに取り憑いた者と同じ姿で、年の頃はハクエと同じかいくらか上か。
 胴乱を塗り込めたような肌の色はそのままだったが、黒い髪は整えられて真っ赤だった瞳は栗色に落ち着いている。
 まだ少女の面立ちを感じさせる彼女の血の気の無い唇は僅かに開かれ、その瞳は二人を虚ろに見つめていた。
 その様子は薄ら寒いものを感じさせ、ジタンとハクエの背に氷のように冷たい汗が流れ落ちる。
「ずっと、あなたみたいな人を待っていたの」
「あんたがハクエに取り憑いてるのか……?」
 彼女が唇を開けばハクエの口から声が漏れる。
 奇妙な光景にジタンが首を捻っていると、ハクエの身体が何かに引っ張られるように動き出した。
「あ、おい!」
 唇をぱくぱく動かしているハクエだが、まるで声が出ていない。
 意識こそあるものの、彼女に身体を乗っ取られてしまっているようだ。
 視線だけで助けを求めてくるハクエを追い掛けたジタンは、その先にあるものを見て声を無くした。
「こ、これは……」
 立ち尽くすハクエと少女の眼前には、二つの亡骸が有った。
 ぼろぼろのワンピースを身に纏って事切れている亡骸を抱き締めるようにして同じく事切れている軽鎧に身を包んだ亡骸。
 どちらも白骨化して長いようで、衣服は風化して本来の色がわからない程だ。
 呆然とそれを見つめていたハクエだったが、やがて力が抜けたように膝から崩折れると軽鎧を着ている亡骸の手を取る。
 その顔は泣き出しそうに歪んでいて、白骨化した手を愛おしそうに頬に寄せて囁いた。
「もう、ずっとずっと前に帰ってきてくれていたのね……」
 かくんと、頷くように頭蓋骨が揺れる。
 鎧の上からその亡骸を抱きしめたハクエは、ごめんなさいと呟いて瞼を下ろす。
 その隣に膝を付いて様子を見守っていたジタンは、徐ろにハクエの身体を抱き締めた。
 愛しい者をその腕の中に招き入れるように、優しく、優しく腕に力を込める。
「ごめんな、すぐに帰ってくることができなくて」
「いいえ、いいえ。わたしこそ、あなたを待っていることができなかったもの、ごめんなさい」
 低く囁かれる声に、か細い少女のそれで返すハクエはジタンの胸元に擦り寄った。
「これで、ずっと一緒にいられるな」
「えぇ、もう、二度と離れないで頂戴ね」
 その顔を上げさせて、優しく撫でる。
 うっとりとした顔でジタンを見上げたハクエは、そっとジタンの頬に触れ返す。
 その手を取ってゆっくり唇を重ねれば、一筋の涙を零して意識を失ってしまった。
 そこでようやく、ずっとハクエの傍らに立ちすくんでいた霊が動いた。
「ごめんなさいね、彼女を使ってしまって。あなたにまで、手伝わせて。けれども、わたしだけじゃここに戻ってくる事ができなかったの」
 ジタンの腕の中で意識を失っているハクエに触れながら少女は頭を垂れる。
 ハクエの身体を使ってでなく、己の唇から言葉を発する姿にジタンは彼女があるべき場所に帰ってこれた事を察した。
「死んだわたしは、どうしても最期に彼の安否を確かめたくて、国を離れたわ。でも、それも途中で力尽きてしまった。そうしている間に彼が戻ってきてくれて、そして逝ってしまっていたなんて、ひどい話よね」
「なぁ……なんで、ハクエだったんだ?」
 穏やかな顔をしている少女に問い掛ける。
「そうね、そのこはわたしよ。大切なものを追い求めているの、わかるわ。だからこそわたしは、そのこの身体を借りて帰ってこれたの。波長が合うっていうのかしら」
「大切なもの……」
「そのこの大切なものに、あえるといいわね」
 そう言い遺して彼女は消えてしまった。
 残されたジタンは腕の中で意識を失っているハクエに視線を落とす。
「ハクエ……」
 ぐったりとしている彼女を抱き締め、首元に顔を埋める。
 ただでさえ濃い霧の中に長時間いるだけでも心身ともに悪影響を与えるというのに、あの少女に取り憑かれていたのだ。
 その疲労は途方も無いだろう。
 しばらく無言で抱き締めていたジタンだったが、やがてハクエを背負うと亡国の骸を後にするべく歩き始めるのだった。

 ハクエが目を覚ますとアレクサンドリアにある宿の一室に横たえられていた。
 ぼんやりと天井を見上げ、身を起こせばソファで寝ているジタンが視界に入る。
 気を失ってから、ここまで運んでくれたのだろう。
 決して易しい道のりではなかったのに、なんとも頑張ってくれたものだ。
 口を半開きにしたまま寝ているジタンの頭を優しく撫でて、部屋を出る。
 向かう先は広間にある例の掲示板だ。
 彼女の気配が身体の中から消えているということは、恐らく全て終わっているという事なのだろうが何となく行かなくてはならないような気がしたのだ。
 ボードに辿り着いてみれば、昨日見かけた張り紙はまだそこにあった。
 穏やかな風に吹かれて揺れているのを剥がし、視線を落とす。
 書かれていた文字はすっかり読めなくなってしまっていた。
 代わりに、紙の隅の方に真新しく書かれていた文字を見つけてハクエは眉を歪める。
 くしゃりと紙を握りつぶし、ファイアを唱えて灰にする。
 終わった依頼だから残しておく必要もないし、彼女たちの為にも、何より自分の為にもそうしたほうが良いと思ったのだ。
「……よかったわね、あなたは見つけられて」
 開いた掌から風に乗せられ流れていく灰を見ながら、誰にともなく呟いた。
 風見鶏は屋根の上でからからと回り、穏やかな陽射しはハクエを優しく照らす。

 ――どうか、あなたは無事に逢えますように――

「……余計なお世話よ」
 彼女から事情を聴く中で、ふと思ってしまったことを感じ取られていたらしい。
 気を利かせて遺された言葉に対して悪態を吐いた表情は悲しく歪んでいた。

 もし、彼がこの先ずっと戻って来なかったら。
 待ち続けて待ち続けて、身が保たなくなってしまったら。
 己もまた彼女のようになってしまったら。

 そんな事、考えたくもないし、そうなってはならないのだ。
 だからこそハクエはその身が動く限りひたすらに彼を探し続けている。
「あなたに心配されるまでもない、私はちゃんと自力で見つけ出してみせるわ」
 一際強く吹き抜けていく風に、力強く言葉を乗せて拳を握る。
 遠くから、彼女の声が聞こえた気がした。



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