ある朝の光景



 宿儺の朝は早い。陽が昇ると同時に目が覚める。
 かつて野山を放浪していた頃は活動できる時間にはなるべく動いて食糧を確保せねばならなかった。その習慣が身に染み付いている。

 ただし今は、血眼で食べ物を探す必要はないのだ。苦労せずとも食うことができ、放浪せずとも寝床があり、化け物として術師に命を狙われることもない。
 早く起きたところでやるべきことは特になく、まだ薄い明かりしか届かない室内の天井を見上げるばかりだ。ただぼんやりと過ごす時間があるなどと、以前の生活では考えられなかった。

「う、うぅ……ん」

 隣でもぞもぞと白いものが動いている。宿儺は寝返りを打ち、左の主腕で頬杖をつく形で半身を起こした。

 くっついて寝ると温かい、などとのたまっていた薬師──紬が、ほとんど着物を剥いだ状態で眠っている。夜は寒い、という感覚など本当は無いのではないか、と訝しんでしまう有り様だ。

「すぅ……すぅ……」

 規則正しい寝息に合わせて白い胸が上下している。ごつごつと骨の浮き出た宿儺の身体とはまるで違う、なめらかで柔らかそうな肉だ。
 実際の感触はどんなものだろうか。ふと湧いた疑問へ率直に従って、宿儺はその肌に手を伸ばした。

(…………柔い)

 白い腹に置いた指が容易く沈んでしまいそうだ。力を込めれば簡単に破れてしまいそうな薄い腹。布を纏っていなかったにしては温かく、押せば弾力が返ってくる。宿儺はそのまま、へその周りを手で一周した。第二の口の裂け目がある己の腹とは違う、よどみのない手触りが伝わってくる。

 触り心地の良いものといえば兎の毛皮などが思い浮かぶ。一方で紬の肌は毛に覆われてもいないのに、なぜだか手を離すのが惜しいと感じてしまっていた。

 腹に置いていた手を顔のほうへと滑らせて、一層柔らかそうな膨らみへ触れる。想像通りの感触は快いもので、手のひら全体で覆うように掴めば初めて味わうまったりとした弾力があった。こちらも手放しがたい中毒性のようなものがあり、しばし宿儺は柔らかな肉の感触を無心に味わっていた。

(うまそうだな)

 ごく、と喉が鳴る。
 人の肉など食べるものではない、と彼女は言っていたか。不味いという点では宿儺も同意する。
 だが、すべての肉が同じ味とは限らない。鹿の肉にも良し悪しがあるように、人の肉も出来の違うものがあるのではないか。ここまで手のひらを愉しませる肉ならば、口にすれば更に宿儺の舌を悦ばせそうなものだ。
 ほんの少し、かじるくらいなら──

「んぅ、ん、んん〜〜〜っ」

 機を見計らったかのように細い四肢がばたばたと動き、牽制されたような気がして宿儺は小さく身を引いた。
 紬がぐっと伸びをして、更に伸びて、伸びきったというところでようやくその瞼が上下する。

「んぁ……おはよぅ……」
「……」

 半分も空いていない寝惚け眼だ。なにかを察知したわけではなく、単にちょうどよく目を覚ましただけらしい。
 宿儺になにか言うでもなく、ふらふらと立ち上がった彼女は緩慢な動きで水場へと向かっていく。宿儺はなぜだか所在のない心地になり、もう一度寝床に横たわることにした。

「ぅぎゃっ!?」

 そこに、足がもつれた猿のような奇声が聞こえて宿儺は身を起こす。声の出所は間違いなく紬だ。壁の向こうへと顔を覗かせれば、彼女はのぼせたような赤い顔をして着物の合わせを握りしめていた。
 恐る恐る、のような。怒りを堪えているような。奇妙な視線が宿儺を射貫く。

「……見た?」
「なにをだ?」
「……ならいいの」

 重く息をつく薬師に、宿儺は首を捻る。彼女がなにを気にしているのか皆目見当がつかない。その仕草は身体を隠しているように見えるが、意図がまったく理解できなかった。

 腹になにか異変があると思っているのだろうか。ならば問題はない。見た目も、触れてみても、奇妙な点など何一つなかった。実に快い腹だった。
 それを伝えてやろうと考えたのは宿儺なりの気遣いだ。一切の他意はない。

「オマエの腹には何もおかしなところはなかったぞ」
「ぎゃああああ!? やっぱり見たんだ!?」

 血相を変えて悲鳴を上げた薬師はこの世の終わりのような顔をして奥へと引っ込んでいってしまった。彼女の態度が豹変した理由にもついぞ心当たりがなく、宿儺はただ首を捻るのみだった。



20211121
しばらく一人暮らししてたからナチュラルにだらしなくて寝起きだいたいはだけてる夢主


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