二人だと温かい



 夕餉の支度が終わった。私が鍋を調理場から囲炉裏へ運んでいくと、宿儺は私の古着を身に纏って、居間の隅にほったらかしにしてある籠を覗き込んでいた。宿儺と出会った時、山帰りの私が背負っていたものだ。

 宿儺は近付くものすべてを威嚇しなければ気が済まないような顔をしておきながら、おとなしく治療を受けたり着替えたりと、見た目の割には素直なところがあるらしい。
 まるで人に慣れていない山猫を相手にしているようで、自分よりも上背があるのにかわいらしく見えてくる。

「気になる? 今日山で採ってきた薬草だよ」
「こんなものが薬になるのか」
「刻んで絞ったり、煮詰めたり、乾燥させたり、いろんな種類で混ぜたりするとね」

 薬草は家の周りの畑でも栽培しているが、すべての種類を育てているわけではない。野山で簡単に採れるものは採りに行くことにして、畑では厳選した品種を育てている。
 宿儺が食べようとしていたトリカブトは毒性が強く、村の人間が山菜と間違えて口にしないように山に生えていたら除去するようにしているので、畑で管理するようになった。その代わりに食べるよう差し出したヤマユリの根は生薬にも野菜代わりにもなって便利なので栽培している。

「ほら、ご飯にしよう。準備できたよ」

 囲炉裏の前をとんとんと叩いて宿儺を呼ぶ。匂いにつられた動物のようにやってきて腰を下ろした彼の前に椀を二つ並べた。

 一つは栄養満点の汁物だ。野菜に加えて先程庭で採ったユリ根といくつかの滋養のある薬草も加えたので薬膳のようになったが、見るからに栄養状態の良くない彼に食べさせるにはちょうど良い。

 もう一つの椀には鍋から掬った雑穀粥をよそう。玄米と麦を半々ずつ混ぜたものにアワ、キビ、豆などを足している。混ぜ物をした粥は貧しく見えるかもしれないが、このほうが腹持ちも栄養価も高くなるのだ。

 それと野菜の粕漬けの小鉢をつける。庶民の食事としてはありふれた内容なのに、宿儺は露骨に顔をしかめていた。

「こんなどろどろしたものを食うのか?」
「んん……? 普段どんなものを食べてるの?」

 あんなぼろぼろの着物で、痩せた身体で、貴族の生活をしていたとも思えないのだが。

「肉だ。肉は無いのか」
「生憎、私も村の人も猟はあんまりしてなくて」
「ならばオマエを刻んで食ってやる」

 宿儺に物騒な目付きで睨まれて、首周りの毛がざわりと逆立つ心地がした。
 飢餓に苛まれた獣の血走った目だ。悪い冗談にしか聞こえないようなことでも彼ならやってのけるかもしれない、と思わされる。
 しかしながら、宿儺が自称する通りに食人の化け物だとしても、彼は怪我人であり、私の患者なのだ。ゆえに、薬師として私が述べる見解は一つしかない。

「やめておきなよ。不味いよ」
「……食ったことがあるのか? 人間を」
「無いけど、確実に不味いし栄養も無い。猪や鹿とは違うんだから」

 人間の身体は獣のそれと比べて機能が多い。そのためいくら栄養を摂取しても次々消費してしまう。肉にたくさんの養分を蓄えている獣と同じように食用とはならないものだ。

「どうしても切羽詰まった時の非常食としてなら否定はしないけど、目の前に質の良い食事があるんだからまずはこっちをどうぞ? あなたには決定的に栄養が足りてないの。そのままじゃ、怪我の治りも悪くなるよ」

 粥の椀をずいと差し出してやれば、宿儺は憮然としながらも下側の腕でそれを受け取った。一本の腕を怪我していても生活に支障が出ないというのはなかなかに便利そうだ。
 宿儺は顔の前に椀を持っていってすんすんと匂いを嗅いでいる。私は彼の警戒を緩めてやるつもりで、先に粥を口に運んでみせた。我ながらいい塩梅の食感だ。

 じっと訝しげに私を睨んでいた宿儺は椀に口をつけて箸の先で粥をかき入れた。しばし神妙な顔のままでもぐもぐと口を動かし続けていたかと思えば、今度は初めよりも大きく口を開けて粥をかき込んでいる。よかった、穀物の味も気に入ったようだ。

「こっちもおいしいよ。採れたてのユリ根、食べてみて」

 汁物の中から白いユリの鱗茎をつまんで、食べるところを見せてやる。ほっくりした食感と優しい風味の汁が合わさって滋味深い味わいだ。
 汁物を啜った宿儺は、ほう、と息をついた。何度か聞いた溜め息とは全く違って聞こえる音だった。出会ってからというもの、怪我の治療の間も、身体を拭いている間も、ずっと険しく吊り上がっていた目尻がとろりと緩んでいる。目は口ほどにものを言う、とはまさにこのことだ。

 無心で食事をかき込む姿を眺めていると、どうにも大型の獣に餌付けをしているような気分になってきて、私まで頬が緩んでしまっていた。

「……おい、なにを笑っている」
「ふふ、誰かと一緒に食べるご飯は美味しいなあと思って」
「オマエ、一人なのか」

 宿儺がぽつりと言った。私に確認しているようでもあり、独り言でもあるような言い方だ。
 彼が内心でなにを考えているのかまでは私にはわからない。けれど、単語と単語のあいだの僅かな間に、声になっていない音があったような気がしていた。

 オマエ、も、一人なのか。

「──そうだね」

 曖昧な肯定を、痩せた獣はどう感じたのだろう。箸も口も動きを止めて、宿儺が私を睨んでいる。彼が抱えている飢えは、単なる空腹だけではないのかもしれない。

 しかし私は薬師なので、まずは身体の状態を整えてやることが先決だ。

「ほら、たくさん食べてね。おかわりあるよ」

 鍋の中に残っている粥を掬ってやると、宿儺は素直に椀を差し出してくる。良いことだ、と頷きながら二杯目をよそってあげた。二人分、しかも食べ盛りの男の分も食事を用意するのには慣れていない。作りすぎたかとも思ったのだが、彼の食べっぷりを見ていると、鍋一杯の粥はぺろりと宿儺の腹に収まりそうだ。

 ***

 鍋や食器の片付けと私自身の身の回りのことを済ませ、茶で一服しているうちに陽は沈みつつあった。眩しいくらいの西日が囲炉裏に射し込んできている。

「宿儺、どこか行くあてはあるの?」

 こんな時間に尋ねるのは意地悪な質問だったかもしれない。村の人間でもなく、洛内からやってきたわけでもなさそうな彼が、野山を放浪した末にここに辿り着いたのであろうことは容易に想像ができた。

 そもそも、治療をしながら名を聞いた時の受け答えも妙なものだった。

「人は、両面宿儺と俺を呼ぶ」

 まるで彼自身の名ではないような言い回し。親の顔も、付けられた名も知らずに放浪し、運良く生き永らえてきたみなしごかと思われた。
 哀しいことだが、珍しいことではない。飢えで、病で、戦で、人は容易く死ぬ。幼子だろうとその親だろうと、死は誰にでも分け隔てなく訪れるくせに、薬はそれを必要とする者すべてに行き渡るわけではないのだ。

 だからといって、そんな世の中に嘆いていてもなにも解決しない。薬師としての私の使命は、一人でも多くの救える命を救うことだ。
 目下としてその対象は、放っておいたら飢えのあまり本当に食人に手を出してしまいそうな危うさを秘めた、少年と青年のはざまにいる四本腕の彼ということになる。

「行くあてがあったことなど無い。食って寝る、それだけだ」
「じゃあしばらくここに泊まってね」
「……どうしてそうなる」
「経過観察が必要だからよ」

 私が自分の右腕を軽く叩いてみせると、彼は右上腕に巻いた布に視線を落とした。

「どこにいるのかわからなかったら、怪我の具合を診られないでしょう?」
「診てくれと頼んだ覚えは無い」
「一度は診たんだから、あなたはもう私の患者なの。薬師として半端な仕事はできません」

 ぴしゃりと言い切ると、宿儺は押し黙ってしまった。

 沈黙は肯定と解釈して、私は寝床の準備に取り掛かった。普段自分が寝ている場所のすぐ横にもう一枚の布を用意する。床に敷く、藁で編んだむしろは一枚しか無いので、狭いけれど我慢してもらおう。直に床で寝るよりはマシのはず。

 陽が落ちてきて家の中が暗くなってくると、時間との戦いだ。
 灯りに使う油は京まで出掛けないと手に入らないので節約しなければならない。寝床の支度を終えた頃には、山陰に沈んだ陽が空を橙に染める僅かな明るさだけが頼りになっていた。それもじきに夜の闇に呑まれてしまう。

 薄暗い居間に戻ると、囲炉裏の前に座っている宿儺の紅い四つの目が闇から浮かび上がってきたかのような光を帯びていた。……いい目印になる、なんて言ったら彼は怒るだろうか。

「寝る準備できたよ。真っ暗になっちゃう前においで」

 促すと、宿儺は危なげない足取りで私の後ろについてくる。この家に慣れている私でさえ物にぶつからないようそろそろと歩いているというのに。彼は私よりも随分と夜目が利くようだ。

「宿儺はここ、私はこっちね」

 自分の寝床に身体を滑らせながら告げると案の定、四つの紅が歪む。暗い部屋の中だというのに彼のしかめっ面がはっきりと見えるような気がした。

「……狭い。俺はどこか部屋の隅で構わん」
「まあまあ、おいでよ。一緒に寝よう? くっついて寝ると寒さ対策にもなるよ」

 しばらく渋面のままで立ち尽くしていた宿儺は観念したように息をついて私の隣で横になる。向けられた背中は、身体を拭いた時には随分と痩せて見えたのに、着物を纏った状態を間近で見ると広く大きく感じられた。

「おやすみ、宿儺」
「……」

 返事はなく、外で鳴く虫たちの声ばかりが聞こえてくる。
 部屋の中には冷たい夜の闇が満ちているが、右隣からは温もりが伝わってくる。かすかな呼吸音が次第に細く長く規則的になっていくのを耳にしながら、私も眠りに落ちていった。

 瞼の裏に朝日を感じて目を覚ます。やけにすうすうすると思って顔を右に向けると、寝付いた時には大きな背中があった場所はもぬけの殻だった。

「……まあ、そうだよねえ」

 苦笑し、溜め息を漏らす。
 終始一貫して山猫のような印象だったが、それを裏切らない別れ方だ。腹を満たすために人里に下り、目的を果たして去っていった。義理や情とは無縁なのが、彼の世界なのだろう。

 そのうちまた気紛れに出会うこともあるかな、と考えながら大きく伸びをする。背中が気持ちよくほぐれて身体が目覚めてきた、と感じたその時だ。

 ごとんっ。

 家の戸の向こうから、重量物が落下したような盛大な物音がした。
 何事か。倒れるような農具をそんなところには置いていなかったはずだけれど。

 そっと戸に近付いて慎重に開けると──向こうからも戸に手が伸ばされていたところだった。

「え……宿儺?」

 去ったと思った山猫が、決まりの悪そうな顔をしてそこにいた。
 貸した着物は土で汚れていて、左上の腕にまた新たな裂傷ができて血が滴っている。

 私は寝ぼけているのだろうか。いまひとつ状況が呑み込めない。

「狩ってきた。オマエの飯は悪くないが、肉が無いのは物足りない」

 宿儺が目を向けた先を追えば、家の前に栗色の毛の獣が放り投げられていた。獣の首は切断されていて胴体のみだが、鹿とみて間違いないだろう。

「そっか……そうかあ」

 へらっと頬が緩んでしまうのが自分でもわかる。山猫だと思っていたものが狼になって、獲物を持って戻ってきた。くすぐったくて温かい、なんともいえない心地がする。

「でも無茶はよくないよ? また怪我をして……」

 傷のところを避けて宿儺の左上の手を取る。実のところ、薬師として振る舞っておかないと平静が保てなくなってしまいそうなのだ。

「この程度、どうということは無い。肉を食えば治る」
「確かに体力がつけば自然に治るけど、ちゃんと治療はしようね。それからお肉だけじゃなくて満遍なく栄養を取ること」
「オマエの言うことはよくわからん」

 ぷい、と顔を背ける宿儺。その横顔がなんだか無性に微笑ましく見えてしまって、気づけば私は彼の頭に手を伸ばしていた。

「おかえり、宿儺。出ていっちゃったのかと思ったんだよ?」
「──やめろ。俺には、食って寝ることができればどこでもいい。それだけだ」
「うんうん、そっか。今日もたくさん食べようね」
「やめろ、と言っているだろう」

 桃灰色の髪をわしゃわしゃ撫で回していた手を払い除けられてしまう。引っ掛かれないぶん、山猫よりも触れ合いやすいといえるかもしれない。

 こうして私と、少し変わった患者との心温まる共同生活は幕を開けたのだった。


20211116
馴れ初め編、一段落。
孤独な痩せ狼みたいな若様が初めて人の温もりに触れる瞬間を思うと胸が張り裂けそうです。


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