夢の中



 宿儺は温かな水の中を漂っている。
 ぼんやりとした光の泉の中だ。輪郭のあるものは何一つとして見えないが、それを不快だとは思わない。
 どこかから音が反響している。女の声のような音。不明瞭だった音は次第に意味のある言葉のように聞こえてくる。

 ごめんなさい、という単語が聞こえた。声はどうやら謝罪を述べているらしい。
 こんな姿で、うんで、ごめんなさい、と。

 女は宿儺の形のことを言っているのか。だとしたら、なんということはない。四つ目、四つ腕の異形である自分は人とは相容れないものだと、宿儺は初めから知っていた。物心ついた頃には化け物として追いやられてきた宿儺の、一番古い記憶に焼き付いている原風景は、宿儺を化け物と罵り畏れる人間どものひきつった顔なのだから。

 しかし──別の音も響いてくる。これも女の声だが、初めの声の主とは別人だ。

「形が少し違う人は時々いるよ」

 宿儺をそういうものとして受け入れ肯定する、変わり者の女の声。

「大丈夫」

 その声を聞くと宿儺の裡に温かなものが満ちる。

「おかえり、宿儺」

 異形の化け物を、恐ろしい呪いを、ありのままの姿で認めて柔らかく包む温もり。
 宿儺が初めて獲得した心地の良い居場所。
 これのために、帰ってきた。
 返答は、なんと云うのだったか──そうだ、確か──
 ──ただいま。

 うっすらと開いた目の焦点が合わず、宿儺は数度まばたきを繰り返した。ようやく結んだ像は、見慣れた家の天井を映している。屋内は明るく、既に日は高く昇っているらしい。

「すぴ……んぅ……んん……」

 身体の横で間抜けな声がするので顔をそちらに向けようとするが、やけに首を動かしにくい。自分の状態を確かめるべく腕を動かそうとしたら今度は痛みが走る。そういえば全身が酷い有り様になったのだったと宿儺は思い出した。
 全身に青臭い薬の匂いが強くまとわりついている。身体を動かしにくいのは倦怠感に加えて、至るところに布を厳重に巻かれているためらしい。

 どうということはない。野山を放浪していた頃はどんなに手酷い怪我を負っても動かねば食べ物にありつけなかった。痛みは、くるとわかっていれば無視することも容易い。自らの肉体をねじ伏せるようにして身を起こす。
 改めて横に目を向ければ、布とむしろを被って小動物のように身体を丸めたものがいる。彼女の着物は血や泥で汚れていた。宿儺の怪我の手当てをして、そのまま着替えもせず夜通し看病するつもりでいたが力尽きた──そんなところだろうか。

「んぅ……ん、あ、あれ……?」

 もぞもぞと身じろぎをした紬が目をこすっている。やがて宿儺が起き上がっていることに気付いたらしく勢いよく立ち上がった。普段の寝起きの様子からは考えられない鬼気迫る表情で、彼女は宿儺の肩を押す。無論、布を巻いていない場所を選んで。

「だ、だめだよ宿儺、まだ安静にしてて! ほんとにひどい状態なんだから!」
「起き上がったくらいで騒ぐな。このくらいならどうということは……」
「だめったらだめ! 寝てなさい!」

 あまりの剣幕に気圧されるかたちで、宿儺は渋々寝床で横になった。薬師はほうと息をつくが、まだ情けなく眉を下げている。

「具合はどう? 吐き気とか、頭痛とかはない?」
「それは無い。身体が痛むだけだ」
「……うん、それは……。ええとじゃあ、ごはんは食べられそう?」
「ああ、食う」
「よかった。それならお粥を作ってくるね」

 紬が立ち上がろうとする。すると、家の中だというのに身体の横を冷たい風が通り抜けたような心地がして、宿儺は無意識のうちに副腕を伸ばして紬の手首を捕まえていた。

「宿儺? どうしたの?」
「……? いや……」
 捕まえた宿儺と、捕まえられた紬と、両方ともが目を丸くしている。
 ふっと頬を緩めたのは紬が先だった。彼女は宿儺の顔のすぐ横に腰を下ろす。

「もうちょっと、そばにいようかな」

 言って、宿儺の額にそっと手のひらをあてる。傷のせいか宿儺の身体は熱を帯びていて、彼女の手がひんやりとして心地よい。昨晩の雪を思い出すが、あれは容赦なく攻撃的に宿儺の体温を奪うものだった。ゆるやかに火照りを和らげる紬の手は冷たいのに温かい、不思議なものだった。

「……なにをしている?」

 額に手を添える行為の意味がわからず、薬師に問う。彼女はにっこりと笑みを深めた。

「これはね、手当て、っていうの」
「治療なのか?」
「うん。原始的な治療だけど、人によってはすごくよく効くんだよ」

 宿儺はその、よく効く部類に入るということだろうか。身体の不快感が和らいで、じんわりと温かさに包まれる。夢の続きを見ているかのように。



20211125
宿儺視点なので、若様が意味を理解しきれていない言葉は漢字をひらいてます。


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