丈直しの意味



 寒くなってきたら水浴びは最も日の高い時間に行うものだ、とは紬が言っていたことだ。そうしないと冷えっ放しで身体に悪い、と。彼女は寝ている間に裸同然になるくせに二言目には寒い、暖かくしよう、と口にするのだから奇妙なものだ。

 宿儺は失笑混じりに着物を脱ぐ。呪印の刻まれた、精悍に引き締まった肉体が惜しげなく外気に晒される。次いで右の主腕の傷に巻いた布をほどくと、宿儺の身体を覆い隠すものは一切なくなった。

 川の流れに足を差し込む。陽光で温まっているとはいえ、まもなく冬を迎えようとしている季節だ。水は皮膚を刺すように冷たい。さすがに身を震わせつつもう片方の足も川に沈め、より深い所まで足を進めた。川の流れが宿儺の腰骨にぶつかって左右に割れ、細やかな波が文様を作っている。

 副腕一対を使って上半身に水を掛け、身を清めながら、ふと腕の傷が目についた。左の主腕の傷は既に完治して、跡も残っていない。右のほうも順調に塞がっていって、もう少ししたら布で保護する必要もなくなると薬師は言っていた。

 宿儺が紬のもとへ身を寄せているのはこの傷の経過観察のためだ。治ればここにいる理由もなくなる。それを思うと宿儺の胸に小さな痛みが走る。ここ最近はずっとそうだ。傷もなく、出自不明の痛みについて薬師にどう問えばいいかもわからず、そもそも彼女の顔を見ると痛みが遠のいてしまうので、ずっと放置してしまっている。

「チッ」

 無性に苛々して、宿儺はざぶんと頭の頂までを川の水に沈めた。全身を刺す冷たさが雑念までも洗い流していくようで清々する。水面から顔を出した宿儺は岸に向かって歩きながら勢いよく頭を振って髪の水気を払った。

 濡れた体を布で拭いて、着替え用にと持たされた着物に袖を通す。衿を合わせて帯を巻こうとしたところで──その違和感に気付いた。

 ***

 宿儺が家に戻ると先に水浴びを済ませていた紬は日当たりのいい縁側に腰掛けていた。なにやら細かい手作業をしているようで、彼女の視線は膝の上に落ちている。

 濡れた黒髪が陽の光を受けて艷やかに輝く。頭の丸みに沿って張り付いた髪が肩口でくびれて、首の白さ、細さを際立たせていた。見慣れたもののはずなのに妙に腹の奥がざわついて落ち着かず、かけるべき言葉も見付からなくて、宿儺はわざと足元で大きな音を立てながら歩いた。

「あ、おかえり。水、冷たかったでしょう?」

 紬がぱっと顔をあげて、穏やかな笑みで宿儺を迎える。

「どうということはない。それより、これは? 長さが変わっているが」

 宿儺は着物の裾を持ち上げてみせた。そうすることでくるぶしが覗くのだが、いつもならなにもせずに着ているだけでもこの程度の丈だった。紬が「丈が足りない」と嘆く着丈だ。着物自体は新しいものではなく薬師の古着のままなのに、丈だけが変わっている。

「よかった、ちょうどいいね。着物を手直ししてみたの。丈が短いのが気になってたから」
「そんなことができるのか」
「腰まわりの縫い代を下ろすとね、長くできるんだよ」

 宿儺は紬の横に腰を下ろした。彼女の膝の上には宿儺がよく借りているまた別の着物があり、その手には細い針を持っている。

「もうちょっとでこの着物も直し終わるから待ってて。そうしたら傷に薬を塗るから」
「……構わないのか?」
「うん、もう治りかけだし焦って治療しなくても……」
「そちらではない。この着物のほうだ」

 紬がきょとんとして見上げてくるので、宿儺は長く息をつかねばならなかった。この女は聡いくせに所々で察しが悪い。特に宿儺が口にしにくい事柄について、それが顕著なのが厄介だ。

「今は俺が借りているだけでオマエのものだろう、これは。手を入れたらオマエが着る時にまた直すことになる」

 完治の目処も見えているのに、なぜこんなことを。宿儺には紬の考えがまるで読めなかったし、彼女が唇を引き結んで膝に視線を落としてしまった理由もわからなかった。

「……いいんだよ、ずっと着てて」

 声だけはいつもの調子を保っている。けれども眉尻は情けなく下がって、いつか彼女が出掛けている間に猪を獲ってきた日のことを思い出させる横顔だ。それは不快ではないしむしろ好ましい部類なのに、なるべくなら見たくはないという、矛盾した思いを宿儺に抱かせる。

 紬の言葉を額面通りに受け取って、ここを去るときにも着ていこう、と決めるだけで良いはずなのに、なにかが宿儺の中に引っ掛かっている。なにがどこで悪さをしているのか宿儺自身にもわからなくて、わからないから問うこともできない。悶々として、言葉にできない不快感だけが積み重なっていってしまう。

 近々狩りにでも行くか、と宿儺は山へと目を向けた。思い切り体を動かせばこの不快感も多少は紛れるだろう。ちょうど熊が冬眠を前にして丸々と肥えている時期だ。一頭でも仕留めてくればしばらくの間、肉をたらふく食うことができる。腐る前に食べきらねばと指摘すれば紬もしぶしぶ頷くしかないはずだ。


20211115


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