めおと
明け方の冷え込みはどんどん厳しくなっていくというのに、宿儺が目覚めるとその横で白い腹が布から飛び出しているのは相変わらずだ。紬は毎朝、起きたあとしばらくしてから腹の露出に気付いていそいそと着物を直している。そんな姿を日々目にしている宿儺は、まったく懲りないものだと失笑した。
手持ち無沙汰ゆえに、さらけ出された肉の柔らかい感触を手のひらで味わうのは、宿儺の日課のようになっている。この肉はなにやら別格で、口に入れずとも十分に快い心地になれるのだ。
かじりつこうとすると不思議と紬が目を覚ましてしまうというのも、おとなしく手のひらだけで楽しんでいる一因ではあるのだが。
「ん……むにゃ……」
もぐもぐと口が動いている。なにか食っている夢でも見ているのだろうか。
夢というものを、宿儺は紬のもとで暮らすようになって初めて見た。内容はあまり覚えていないが、現実ではない体験をした感覚だけはある。それを夢というのだと紬から教わった。
宿儺が見る幻は決まって温かい。今、宿儺の手のひらに触れている温度のようでもあり、それに似た別のなにかのようでもある。判然とはしないが、いずれにしろ心地の良いものだ。
「んむぅ……ん……」
手のひらの下で規則正しく上下していた柔らかい肉がふと、身じろぎをした。その拍子で宿儺の手が薬師の胸の上を滑る。
指に触れた感触にいつもと違うものがあり、首を傾げた宿儺はもう一度それを探った。ほんのりと固さのあるそれはすぐに見つかった──のだが。
「っ、ひゃ、ぅ……?」
くすぐったそうに身を捩った紬が目を開けた。彼女は普段ならしばらく伸びをしてから覚醒するので油断していた。
紬はぼんやり宿儺の顔を見上げ、次に胸元とその上に置かれている宿儺の手に視線を移し、もう一度宿儺を見上げる。その時には紬の顔は真っ赤に染まり、寝起きとは思えないほどに両目が見開かれていた。
「ひゃ、ああああああ!?」
紬の手が素早く閃く。乾いた音が早朝の家の中に大きくこだました。
***
朝食を咀嚼するのに頭に巻いた布が邪魔になる。頬を冷やすために水で濡らした布を固定しているものだ。しかし、冷やしてもじんじんと痛むのは変わらないので苛立ちばかりが募る。
「こんなものはいらん」
とうとう宿儺は二重の布をぽいと床に放り捨てた。その下の、紬の平手打ちを見事にくらった頬には、くっきりと赤い手形がついている。
「ご……ごめんね?」
上目遣いに宿儺の顔を伺い、紬が蚊の鳴くような声で言った。
「ふん。手を上げるほど嫌ならば着物の中にしまっておけ」
「それはその……言う通りなんだけど……宿儺だって悪いんだからね?」
「なんのことだ」
「さ、触ったでしょ……!? なんであんなこと……!」
「そこにあったからだが」
宿儺が答えると紬は口をあんぐりと開けて固まってしまった。わけがわからん、と溜め息をついて、宿儺は薬草粥を口に運ぶ。
「あ、あのね……普段着物で隠れているところは、夫婦じゃないと触っちゃいけないの」
「なに?」
「とても大事な場所なので……その、胸、とかは」
「めおと、とは何だ」
聞き覚えのない単語に宿儺が首を傾げると、またもや紬は口を半開きにして硬直する。
「……ずっと一緒に生きると約束して、協力して生活する、子どもをつくる男女のこと……かな」
なぜか自信の無さそうな言い方だ。この薬師にも知らないことがあるのかと、宿儺はおかしなところで感心していた。
『めおと』について考える。協力して生活は──しているといえる。宿儺は獣を捕るし、主に力仕事も手伝う。紬は飯を用意し、衣類や寝床を整え、薬を作って銭も稼ぐ。
ただ、ずっと一緒に生きるわけではない。宿儺の怪我が治るまでの経過観察というだけだ──と考えると、宿儺の胸の奥がつきんと痛んだ。
何の痛みかはよくわからない。平手を受けた頬の痛みが飛び火したのかもしれない。
子どもをつくる男女──男女ではあるが、子どもは不要だ。子どもの肉は量は少ないものの柔らかいのが利点だが、ここではそれよりもっと美味い食事にありつけるのだから。
そもそも、子どもをつくる、とはどういうことをするものなのか、宿儺は知らない。だが、子どもは不要である上に他にもいろいろと考えたあとだったので面倒になり、深く追及することは諦めた。
「俺とオマエは『めおと』ではないということだな」
「そう……だよ……」
ゆえに着物の中に触れてはならない、ということらしい。ふん、と宿儺は鼻を鳴らした。
知ったことか。触れて快いものに触れることのなにが悪い。大事だというなら剥き出しにしている者が悪いのだ。
紬はなにやら物言いたげな顔をしていたが、宿儺はそれを無視して根菜の煮物を口に運んだ。
20211110
味を占めている若様
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