胃袋を掴むと無敵になれるらしい



 夕方は学生寮の調理室が忙しさのピークを迎える時間だ。火にかけた鍋二つの様子を見ながらリズミカルに包丁を操って手早く副菜用の小松菜を切り、その間に鍋の表面に浮かんだアクを取り除き──と、とにかくやることが多い。
 豚汁は味噌を溶き入れ完成。もう一方の鍋で煮ている小豆は良い具合の柔らかさになっていた。砂糖の半量を加えて混ぜ、溶けたら残り半分の砂糖を──

「相も変わらず精が出るな」
「わっ! 宿儺様!?」

 突然、千年前からの主君に声を掛けられて危うく砂糖のボウルを取り落とすところだった。
 声のほうに振り向けば制服のポケットに両手を突っ込んだ宿儺様が悠々と調理室のドアをくぐってくる。

「裏梅の使い走りに過ぎなかったオマエが一人で炊事を切り盛りしている様はいつ見ても面白い」

 調理師免許を取ったものの呪霊が見える体質が災いして一般社会での就職はうまくいか
なかった。そんな折に呪術高専に拾われて寮母として働いていた時には、私はただの現代人だった。呪肉した宿儺様が私の前に現れた時、私はこの方にお仕えしていた千年前の自分──いわゆる前世の記憶というものを取り戻したのだ。

「豆を煮ているのか」
「ええ。小豆を甘く煮たもので、私たちの時代より後に広まった甘味ですよ」

 まだ現代の味覚に慣れない宿儺様に、市販の餡は甘味が強すぎる。豆の風味と甘さをバランスよく味わってもらうため、自家製あんこ作りに勤しんでいるというわけだ。

「どれ、味見をしてやろう」
「あ、ちょ、待っ……!」

 静止する間もなく、宿儺様はさっき私が豆の柔らかさを確認するために使ったスプーンを手に取って鍋に突っ込み、小豆を口に入れようとしてしまう。

「だ、駄目ですって! 熱いですから!」

 私は宿儺様の腕と身体の間に飛び込んで、スプーンを持った手を渾身の力で突き飛ばすようにしてどうにかつまみ食いを阻止した。

「む? 冷ませば良いだろう」
「いえ熱いのだけが問題じゃ……ああぁ……」

 スプーンは難なく私の頭上を飛び越え、ふぅふぅと息を吹き掛けられてから宿儺様の口へ。

「……これが甘味か? 豆の味しかしないが。それに汁物のように水っぽい」
「まだ半分しかお砂糖入れてないからですよ……」

 調理の途中とはいえ私の作ったもので顔をしかめないでもらいたかった。がくりと肩を落としつつ、私は中断した作業を再開する。ボウルを傾け、中の砂糖を鍋の中へ。

「こうやってお砂糖を入れたら、またしばらく煮込んで水分を飛ばすんです。それでやっと完成なんですよ」
「随分と手間のかかるものだな」

 それはもちろん、他ならぬ宿儺様のためですから。

 口にするのはさすがに気恥ずかしい、単なる主君への敬意を超えた感情を胸にしまって、私は宿儺様の背をぐいぐいと押して調理室の出口のほうへ促した。

「さあさあ宿儺様、とっておきの甘味は夕食後にお楽しみいただけますから。私は食事の支度で忙しいので、しばらくお部屋で寛いでお待ちくださいね」
「ケヒヒッ。食卓を牛耳られた今となっては、オマエには敵わんな」
「そんな、宿儺様に敵わないなんて言われたら、私もう無敵になっちゃいますよ」
「クククッ、それは良い。確かにオマエの手に掛かればここの術師どもは皆、胃袋をやられて一網打尽だ。いつ仕掛けてやろうか──俺がその気になるまで、オマエはそのまま生きていろ」

 心底愉快そうに肩を震わせる宿儺様。今となっては、なんて言うけれど、昔から宿儺様は私を甘やかしていた。無礼な輩を目にした時はすぐ首を切ってしまうのに、私には気安い態度を許して傍に置いてくれるのだ。私が目一杯押したって本当はびくともしないはずなのに、楽しげに笑いながら私に合わせて部屋のドアに向かってくれて──宿儺様がそんなだから、私は家来としては分不相応な感情を抱いてしまう。

 宿儺様は廊下に出たところでくるりと振り向き、私の頭にぽんと手を置いた。

「良く励め。今宵も楽しみにしている」
「……はい!」

 わしゃわしゃと私の頭をかき混ぜる宿儺様の手は昔よりも小さいけれど、私にとっては温かく大きな手であることに変わりはない。昔も今も私に目をかけてくれる宿儺様の心を思うと、鍋の中身くらい熱くなっている私の顔には満面の笑みが浮かぶのだった。


20220210
3月頃〜7月頃の拍手お礼でした


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