うちの猫が寝惚けている



 私の飼い猫は、化け猫である。名前はすくにゃ様という。


 スマホのアラーム音がけたたましく鳴り響く。私は頭から布団に潜り込んだまま腕だけをヘッドボードに伸ばして目覚ましの音を消した。

 まだ寝ていたい。けれど起きなければならない。掛け布団をかぶったまま、もぞもぞと睡魔と義務感の間で揺れる。なかなか目が開かないあたり睡魔のほうが優勢だ。

 と、そこで違和感に気付いた。
 私のベッド、こんなに狭かったっけ。

 ベッドの右側は壁にくっついている。これは今まで通りで問題ない。おかしいのは、反対側にも壁が聳えていることだ。私はそろりそらりと布団から顔を出して外界の様子を伺う。

「〜〜〜っ!?」

 声にならない悲鳴が漏れる。目の前にあったのはいやに整っている男の顔だった。

「なんで人間に化けてるのよ……」

 朝起きたら知らない美形の男が横に──とは少女漫画のようなシチュエーションだが、なんということはない。私の飼っている化け猫の人間の姿だ。

 入れ墨の刻まれた顔は恐ろしげに見えるけれども、目蓋を閉じていれば案外可愛げがある。壁だと思っていたものは、和服を纏ったこの男の身体だったのだ。

「いつもは猫のままで寝てるのになあ」

 心臓には悪かったが、おかげで目は覚めた。布団から出ようと身を起こす。すると、その腕がぐいと引かれた。

「……すくにゃ?」

 見れば、彼の眼がうっすらと開いている。夢と現の狭間を漂っている顔だ。

「ん」
「わ、っと……」

 寝惚けているにしては強い力で再度腕を引かれ、私はベッドに逆戻りしてしまった。すくにゃの整った顔が先程よりも近く、長い睫毛に肌をくすぐられそうなほどの距離にある。
 濡れた暖かい質感が頬に触れた。

「ちょ、すくにゃ……」

 舐められたのだと理解してすぐ静止しようと声を上げるが、すくにゃはぺろぺろと頬に舌を寄せるのを止めない。
 愛猫が顔や手を舐めてくるのは、今までも時々あったことだった。微笑ましい仕草に胸がほっこりして、首や背中を撫でながらされるがままになっていたものだ。

 でも、これは──化け猫が人間の姿になった状態で同じことをするなんて、これは飼い主と猫というよりも恋人同士のような──

「すくにゃ! すくにゃ、待って!」

 頬を舐めるすくにゃの舌がだんだん移動して、口元に近付いてきた。私は慌てて彼の肩を掴み、身体を遠ざける。
 すくにゃは目元を手で数度擦ったあとに、訝しげに顔をしかめた。

「……む? なんだ、この手は」
「なにって、すくにゃが舐めるから……」
「オマエは起きて早々寝言を口にするのか。俺が畜生の真似事などするはずがなかろう」

 自分がなにをしていたのか覚えていない? もしかして──寝惚けていた、のだろうか。

「許可なく触るな。離せ」

 すくにゃの肩を掴んでいた私の手がぽいっと剥がされる。次いで彼の身体が靄に包まれたかと思うと、恐ろしげな顔つきの男性から立派なトラ柄の猫へと姿が変化した。
 四本足でベッドから飛び降りた愛猫すくにゃは軽快な動きで本棚の上に登ってしまい、こちらに背を向けた。威嚇するようにゆらゆらと尻尾が揺れている。

「……もう、勝手なんだから」

 私もまた嘆息と共にベッドから出た。顔を洗って、朝食の支度をしなければならない。
 テキパキと手を動かしながら考える。今日の帰りには奮発して、マグロのお刺身でも買ってきてあげようか。
 素っ気ないくせに不意に可愛いところを見せられるのに、きゅんとこない猫好きなどいない。ついつい甘やかしてしまいたくなる。恐ろしい見た目の男性に化けるとはいっても、やはりすくにゃは私の愛猫だ。
 猫が飼い主の顔や手を舐めるのは、愛情表現の一種なのだ。



20210417
4月〜7月頃の拍手お礼でした。
拍手は猫で統一しようかと思ったんですがちょっと続かなかったのでこれで打ち止め…

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