出づる若芽に紅を差す
「どうやったら人間一人が綺麗さっぱり消えていなくなるってのよ……」
野薔薇は呻き、唇を噛んだ。朝食の時間になっても姿を見せない、唯一の同姓の同級生を起こそうと部屋を訪れたら、一人分の空白を開けたベッドは冷え切っていた。
バッグもスマホも置きっ放しで、ふらりと外出しただけとは到底思えない。野薔薇は虎杖や伏黒にも声を掛けて心当たりを探し回った。しかし級友の行方は杳として知れない。
***
「クックッ……小僧共めが無様に騒ぎ散らしているな。探し物は己の裡にあるとも知らずに」
私の頭上から、底意地の悪さを隠そうともしない笑い声が降ってくる。虎杖くんが取り込んだ呪いの王、両面宿儺。普段は抑え込まれている宿儺が自由に動けるということは、骨ばかりが埋め尽くすこのおどろおどろしい空間は、彼の心の中──生得領域なのだろう。ちゃぷん、と足元で血の色をした水が揺れた。
「オマエは小僧共の滑稽な姿で俺を愉しませた。対価として顔を上げ、声を発しても良いぞ」
彼の興が乗らなければ、ここでは見ることも話すこともできないらしい。偶然にもその条件を満たすことができた私は、骨山の頂きに座す地獄の君主を見上げた。
「ここに──しばらく、いていいですか?」
「ほう? 異なことを口にするものだ」
「なんだか最近、みんなの所は居心地が悪くて」
三人の同級生は皆、高く掲げた理想に向かいひた走っていて、それが私には眩しすぎる。せっかく生まれ持った術式を役立てたいというだけで呪術師になろうと思った自分が、ひどくちっぽけに思えてしまうのだ。
肩身が狭く、どこか誰も知らない所に逃げたい──などと願ってしまっていたせいで、私は呪いの王の生得領域なんかに飲み込まれてしまったのかもしれない。
「ケヒヒッ……奴らめ、必死に探している当の本人から憎まれ口を利かれようとは思ってもみるまい。愉快なことよ」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
私は慌てて訂正した。悪口を言ったつもりではなかった。呪いの王に呪詛を聞き届けられてしまったら、どんな恐ろしい事態が起きるかわからない。
「みんなと離れて考え事をしてみたいだけなので……しばらくここにいさせてください。邪魔になったら放り出してもらって良いですから」
「放り出すもなにも、オマエがここにいるのは自身の術式の作用だろう。勝手にしろ」
「え……私の……?」
「……己の術式の何たるかさえ判っておらんとは」
骨山の頂上から落とされた溜め息が随分と大きく聞こえた。かと思えば、次の瞬間にはすぐ目の前に宿儺の姿があった。伸びてきた手に顎を掬われ、上を向かされる。
「雑念で目が曇っているなら、それを払う術を教えてやろうか」
「ど、どうやっ、て……?」
「簡単なことだ。余計なことなど考えられぬようにしてしまえば良い」
不敵な笑み。その瞳の奥に潜むものは危険だと理解しているのに、まるで誘蛾灯に群がる羽虫にでもなったようにふらふらと吸い寄せられ、視線を逸らすことができない。
宿儺の顔が近付いてくる。キスされる……!? ぎゅっと目を瞑りそれに備えるが、唇に訪れたのは予想と反して鋭く強い痛みだった。
「っ……!」
口の端を噛まれたのだ。傷口がじんじんと熱を持っている。追い討ちとばかりに宿儺の指がそこを拭い、真横になぞる。ぬるりとした感触が唇に走った。
「ハッ。似合わんな。女としては些か未熟であったか」
自分でそうしておきながら、血を口紅代わりに塗りたくられた私の顔に嘲笑を落とす宿儺。私は青ざめれば良いのか顔を赤くすれば良いのかわからず、ぽかんと口を開け間抜け面を晒してしまっていた。
20210424
ツイッターにて「juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負」に参加させて頂きました。
お題「悪口・ふらふら・冷えたシーツに君はいない」
最初にお題を見た時えちちな話しか思い付かなくて、他の話を書いて発散して改めて練り直し、失踪事件と前世との因縁を絡めた設定を考えたら楽しくなっちゃってシリーズ化したもの。