デートの約束





 三ヶ月ぶりに会ったその男は、男ではなくなっていた。
「羂索? 半年前に身体替えたばかりじゃなかった?」
「そうなんだよ。使い勝手良くて気に入ってたんだけどね、暖かくなってきたら花粉症がひどくて、我慢できなかったんだ」
「花粉症」
「いや、参ったものだよ。鼻水が大量に出て一日中ティッシュが手放せないし、目も痒くて涙も止まらないし」
 公園のベンチで、有名コーヒーチェーン店から発売されている春限定ドリンクのカップを片手に肩を竦めるのは、額の傷跡が印象的な美女だった。三ヶ月前に会ったときは私好みの引き締まった肉体の若い男性の姿をしていたのに、もったいない。
 花粉症がひどかったから身体を替えただなんて、今まさに日本一迷惑な発情期で苦しんでいる全国の花粉症患者を敵に回しそうなセリフを、長い髪をかき上げながら悪びれる様子もなく言ってみせる彼──いや、彼女? 
 それにしても、千年という長い年月の中で暗躍し続けてきた羂索といえども花粉症には勝てないというのは、どうしようもなく滑稽だ。
「マスクとかゴーグルとかで花粉を避ければいいんでしょ? あの病気」
 私が羂索の隣に腰を下ろしながら軽く言うと、羂索は大袈裟なくらいにうへえと唇をひん曲げた。
「そういう簡単な話じゃないんだよ。花粉って衣服に付いたり、家の中にも入ってきたりするんだから。それに重装備を固めて下手に目立つと動きにくくなるしね」
「ふうん。まあ花粉の話は置いといて、羂索、今のあなたみたいな美女がそんなトンチキな顔してるのも相当目立つから」
「おっと……ご忠告どうも。女の身体だということをつい忘れそうになってしまっていけないね」
 羂索は片手で顔を半ば覆い、すぐに表情を切り替えた。美しい女の顔が完璧に作られた微笑を浮かべている。なんて面の皮が厚い奴だろうか。無性に腹立たしくて、羂索が持っているドリンクを一口奪ってやろうと彼女の腕ごと引き寄せる。しかし、ストローの先にリップの跡が付いているのが気持ち悪くて、すぐに返品してしまった。
「欲しければあげるよ? 今更、私に遠慮することも無いだろう」
「いらない。気が変わったの。……ねえ、なんで今回は女なの? 珍しいよね?」
「たまたまだよ。どんな身体でも良いというわけじゃないから、まずは使い勝手が第一の基準だ。その上で花粉症の体質ではなさそうで、手近にあった身体が、偶然これだったというだけさ」
「突然女装に目覚めたわけではないのね」
「女装……とは言わないだろう? 紛れもない女の身体なんだから」
「身体ごと着替えてるみたいなものでしょ、あなた」
「ははっ、それは言い得て妙だ」
 羂索は口を大きく開けて高らかに笑った。だから、美女はそんなふうに笑わないってば! 私が睨みを利かせると、羂索はちろりと舌を出してウインクする。これは私の機嫌を逆撫でしたくてワザとやっているんだな……と気付いたので、私はふんっとそっぽを向いてやった。誰が羂索の思い通りになんてなるものか。
「私だって本当は男の身体が良いんだよ。良い身体を見付けたらすぐに乗り換えるつもりだ」
「あらそう。身体の持ち主には迷惑な話ね」
「その場しのぎの肉体が欲しくなるほど厄介なんだよ、花粉症っていうのは。しかし、女の身体も厄介だ。毎月一度はすこぶる体調が悪くなるんだから。生殖機能に用がある時でもなければ使いたくないね」
「…………」
 羂索が白々しい声音で言うのに、私はひくりとこめかみを震わせそうになった。実際、震えてしまっていたかもしれない。一を見て十を読み取るこの男相手に、あまりそういう仕草は見せたくないのだけれど。
「ところで──」
 なにか言い掛けた羂索は一度言葉を切って、ストローに口をつけた。もったいぶって間を置くのは私にとって都合の悪いことの前触れであるような気がする。私は身体の前で腕を組み、羂索のドリンクの嵩がゆっくりと減るのを横目で睨んでいた。
「きみは私が女の身体をしている時、決まって当たりがキツくなると思うのだけど」
「そう? 私たちいつもこんな感じでしょ?」
「きみは自覚していないのかもしれないけどね、私の体感では明らかに違う。一体なぜだろうね。鍵になるのはさっきの私の発言。女の身体特有の機能について話をした時、きみは随分と嫌そうにしていたね」
「そりゃあ、私だって女なんだし、女の身体は厄介だって言われたら嫌よ」
「ところがきみは月のものがそれほど辛い体質ではなかったはずだ。反応したのは生殖機能のほうの話についてだね?」
「……ああもう、相変わらずまだるっこしい! 言いたいことはさっさと言いなさいよ!」
 痺れを切らした私がずいと顔を近付けて迫ると、羂索はにぱっと上機嫌に笑うのだった。
「つまりきみは、嫉妬しているんだ。何代か前の身体で私が身籠った時なんか、それはもう凄かったじゃないか。私が女の身体でいる間、私の身体がきみのものになることがないから、気に入らないんだろう?」
「〜〜〜っ! ああはいはい、そうですよ! どうせ私は卑しい哀れな独占欲女ですよ!」
「ふふっ、なにもそこまで卑下することはない。独占欲、結構なことじゃないか。百年生きてもそんな可愛げが残っていて、羨ましくすら思うよ」
「おかげさまでねっ!」
 私の中に可愛げなんていうものを根付かせた元凶をじろりと睨みつけ、私はベンチから立ち上がった。今日羂索と会ったのは私が秘密裏に集めた情報を渡すためで、その資料はまだ私のバッグの中にあるけれど、それを羂索に渡してやるつもりはもうすっかりなくなっていた。
「帰る! 例の情報が欲しければまた三ヶ月後、今度はちゃんと男の身体で来て私を満足させなさいよね! それまでお預けだから!」
「これは参ったね。せっかくここまで足を運んだのに、ただデートしただけで終わりになってしまった」
「デートだっていうならまともな格好でまともな所に連れていきなさいよ! 馬鹿っ!」
「わかったわかった。次はきみの期待に応えるとしよう」
 軽薄な笑みを浮かべる羂索を一度睨み、私は彼──いや彼女に背を向けて足早にその場を去った。これだけ乙女心を弄ばれたのだから並大抵のレストランでも肉体でも満足なんてしてあげないんだから。訳あって不老の私と他人の肉体を渡り歩く羂索との百年にも及ぶ付き合いの中で、一人としか関係を持っていないけれどいろんな肉体を味見してしまっているおかげで、私の舌はすっかり肥えているのだ。


20230312

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -