春を待つスターゲイザー



「都合よく使われている気がしませんか」

 目を眩しく光らせる鋼鉄の匣が臭い排気を吐き出しながら行き交う様には未だに慣れない。
 心細くて、隣に佇む僧衣姿に少し身を寄せたら、白檀の爽やかな甘さが香ってきた。千年前から変わらないこの芳香は、私の心に凪をもたらしてくれる数少ないものの一つだ。

「呪詛師との連絡役のことですか?」

 肩で切り揃えられた、赤みの混ざった白髪を揺らし、裏梅さんは私に視線を向ける。

「はい。体よく雑事を押し付けられているような」
「しばしの辛抱ですよ。もう一度、宿儺様にお仕えするまで」

 正面に設置されている電光機の色が赤から緑に変わった。白色の縞模様で描かれた橋を渡り、動きの止まった鋼鉄の怪物の間を抜けていく。
 迷いなく足を進める裏梅さんと、一歩後ろに続く私。目的地は無機質な巨大建造物群の只中にある庭園であり、呪霊たちに協力する呪詛師と会うことになっている。

 夜の庭園には人影もないのにあちらこちらに電光の灯篭が点いていて眩しいくらいだ。それでも街中よりは明かりは控えめだが、こんなに煌々と照らしていては月も星も主張を失ってしまう。
 呪詛師との待ち合わせの時刻にはまだ早い。裏梅さんは長椅子に腰掛けた。私はその横で、花壇の前にしゃがみ込む。色鮮やかな花々が整然と植えられている様は、現代の街の様子にそっくりだと思った。派手なだけで趣がまったく感じられない。

「私たちのしていることは本当に、宿儺様のお役に立っているのでしょうか」

 ぽつりと呟きが漏れた。どうにも今夜は、弱音が顔を出してしまう。

「星々の声は、なんと?」

 落ち着いた声音で応じる裏梅さんは、空を見上げた。眩しさで星が隠されてしまった空を。

「宿儺様は貴女の占星術を買っておられた」
「……判らないのです」

 文明の明かりは広く世界を照らしはしたが、その代償に虫の音は小さく、花の匂いは薄く、星の瞬きは霞んでしまった。千年前に見ていた空とは全く違う。

「詠もうとしても、星はなにも語ってくれません」
「それは──さぞ心細いでしょう」

 私は小さく首肯した。

「星詠みの力を失った私でも、もう一度お仕えすることはできますか? まだ私に──その価値はありますか?」

 胸に渦巻く不安の根は、おそらくこれだ。私から占星術を取ってしまったら、並み程度の呪力しか持たない平凡な小娘しか残らない。占星以外でも役に立とうと思っているのに難しい。千年前からの従者だというだけであの方が、私なぞを傍に置いてくださるだろうか。

「こちらへ」

 裏梅さんは問いには答えず、長椅子の隣をとんとんと指し示す。私は素直に従った。穏やかな微笑がすぐ傍にある。

「宿儺様は苛烈な御方ですが、慈悲の心も持ち合わせていらっしゃいますよ」
「ええ……そう、ですね……」
「心配はいらない。星が道を示さないのなら、私の元を離れないようになさい」

 僧衣に包まれた腕が私の背中に回り、そっと抱き寄せてくれる。私は母に縋る幼子のような心地で裏梅さんの肩に頭を預けた。ゆっくりと撫でてもらいながら白檀の甘い香りに包まれて、目を閉じれば千年前の光景が目蓋の裏に蘇ってくる。

 大きくて頼もしい四つ腕の背中と、少し振り返っては微笑みかけてくれる横顔と。大好きな二人のために尽くす時間はまさに我が世の春だった。願わくはあの場所を、もう一度。



20210409
ツイッターにて「juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負」に参加させて頂きました。
お題「春を待つスターゲイザー」
裏梅さんはいい匂いがすると思うんだ。精神的には宿夢のつもりで書きました。

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