熱にあてられて
窓を開け放しても入ってくるものといえば蝉の鳴き声くらいで、暑さをしのぐのに有用なものといえば絶えず唸り声を上げる扇風機だけだった。ベッドの上で膝に漫画雑誌を広げてみても、あまりにも暑くて内容が頭に入ってこない。
眠気なのか、意識が朦朧としてきたのか、うつらうつらしていると、突然にレースのカーテンを大きく吹き上げ外の空気が流れ込んできた。
「なんだ、この暑苦しさは」
ドアを開け、室内に空気の通り道を作った張本人が、はああ……と大袈裟なほどに溜め息をつく。
暑い、と言いながら着ていたTシャツを破き散らして、露出した体躯には黒い紋様が刻まれている。文句を言うなら帰ればいいのに、宿儺はずかずかと私の部屋に踏み込んできた。
「エアコン、壊れちゃってて。夜までには修理してくれるそうなんだけど」
「阿呆めが。干物にでもなるつもりか? 小僧共がたむろしていた大部屋は空調が行き届いていたぞ」
「談話室でみんながホラー映画見るって言うから……私そういうの苦手なんだもん。あ、でも、宿儺がここにいるってことはもう映画終わった? なら私も……」
「待て」
ベッドから降りて部屋の出口に向かおうとすると、むんずと首根っこを掴まえられてしまった。
「せっかくの来訪者にもてなしの一つも無しか?」
当然のことのような目付きで見下ろされ、私は脱出の機会を失った。ちょっと待ってて、と声をかけ、向かうのは簡易キッチン。グラスに氷を入れ、二リットルパックの麦茶を注ぐのが、アイスもジュースも切らしているこの部屋での最高のもてなしだ。
「どうぞ」
扇風機の前を陣取り、どかりとベッドに腰を下ろした宿儺に麦茶を差し出す。既に額や首にはじんわりと汗が滲んでいた。涼しい部屋からやってきたなら尚更この部屋の熱気が堪えるだろう。
宿儺は一気にグラスの半量ほどを飲み干したが、暑さを払うには不十分であったらしい。こめかみから汗の珠が流れ、紋様に沿って伝い落ちる。
「ええっと……漫画でも、読む?」
手持ち無沙汰になった私は何の気なく漫画雑誌を差し出してみた。宿儺は麦茶のグラスをサイドテーブルに置き、受け取った雑誌を胡乱な目で一瞥した後、ぽいと放り捨ててしまった。
「要らん。小僧のものを既に読んだ」
「え、虎杖くんこれ買ってたの? なあんだ、貸して……ひゃあっ」
貸してもらえばよかった、と言い終わる前に強く腕を引っ張られ、私は背中からベッドにダイブした。すかさず宿儺が両足で跨ってくる。
「暇潰しにもならん、つまらぬ話しかできないのならもう黙れ。オマエはただ喘いで俺を愉しませれば良い」
獲物を前に舌なめずりをする肉食獣の眼差しが降ってくる。精悍な身体に墨絵のように走る紋様はじっとりと汗で濡れているというのに、その墨が滲んで消えるような気配はなく、ここから逃れる術はどこにもなかった。
「宿儺、待っ……んっ」
大きな手が私の首筋をつう、と撫でる。その気になれば簡単に皮膚を食い破ることのできる爪が私に与えるのはむず痒くて甘い、腰の奥に響くような感覚のみだ。
どんなにか繊細な力加減のもとで宿儺が私に触れているのだろうと思うと、そこに深い情のようなものがある気がしてしまう。私が彼を本気で拒めたことが一度として無いのは、そのせいだ。
「……宿儺、あついよ」
「ケヒヒッ、そうだろうな。この有り様では」
首から胸を伝い撫でる宿儺の手を目で追っていれば、私の着ているTシャツが汗で濡れて肌に張り付き、下着の色が透けていた。既に熱に浮かされていた身体が羞恥で更に熱くなる。
「案ずるな、すぐに何も考えられなくなる」
「……っ、あ」
服の裾から入り込んできて素肌を弄ぶ宿儺の手のひらもまた、しっとりと汗ばんで、溶け合うように熱い。その熱が暑さだけに由来するものでないのは、深紅に燃える瞳のギラギラとした欲の色から明らかだった。
彼にしてみればまだ行為の序の口にも至っていないはずなのに、なんでそんなに──と考えて、もしや私の恥ずかしい姿に興奮をそそられたのでは、と思い至る。
とても理解なんて及ばない遠い存在だと思っていた呪いの王にも、存外、俗っぽい感性があるのかもしれない。なんだか堪らない気持ちになって、私は宿儺の首に腕を絡ませた。
ケヒッ、と艶やかな笑みを深めた宿儺が覆い被さってきて、二人分の熱がじっとりと重なる。
カラン。麦茶の中の氷が小さく音を立て、溶け崩れた。
20210809
麦茶セッ…ス、なる概念を初めて教えてもらって、麦茶セッ…スと言いたいがために書きました。