夕立つ夢想



「……はい、三十分くらいですか。わかりました。よろしくお願いします」

 送迎役の補助監督さんとの通話を終え、私はスマホを制服のポケットに入れた。
 都心からは随分離れた山間部での任務の帰りだ。呪霊を追って山道を駆け回った私と虎杖くんは、補助監督さんと離れ離れになってしまった。祓霊後、道路沿いに歩いてようやく辿り着いた道の駅で、迎えの車を待つことになった。
 
 まだ日が暮れるような時間ではないのに暗くなってきた。雲行きが怪しいな、と私が空を見上げていると、道の駅の自動ドアが開いて虎杖くんが店から出てくる。

「連絡ついた?」
「大丈夫、迎えに来てくれるって。……なに買ったの?」

 せっかく来たし、と、私が電話している間に土産物売り場を物色していた虎杖くんは買い物袋を手に下げている。彼がゴソゴソと取り出したのは瓶入りの透明な飲料だった。

「じゃーん。ご当地サイダー。こういうの見つけると飲みたくならねえ?」

 虎杖くんがキャップを捻る。ぷしゅ、と軽快な音を立てて、瓶の中に小さな泡が立ちのぼった。
 差し出してもらった瓶を、ありがとう、と受け取る。虎杖くんは二本目のサイダーを呷り、大きく喉を上下させた。腕に下げた買い物袋にはまだ重みが残っているようだった。

「他にも買ったの?」

 袋の中を覗き込むと、黄褐色の丸い果物がごろごろ詰め込まれている。その中の一つを手に取ってみた。瑞々しくて張りがある、いかにも食べ頃だと主張している梨だ。

「うまそうだろ? 持って帰ってみんなで食おうぜ」
「いいね。喜ぶよ、きっと」

 そうこうしているうちに一段と空は暗くなり、ぽつ、ぽつと雨粒が落ちてくる。建物の屋根の下に立つ私たちは、炭酸の爽快感を味わいながら、駐車場のアスファルトが黒く塗り替えられていくのを眺めていた。
 雨足はあっという間に強くなり、傘があっても外を歩くのを躊躇するほどに激しく降り出してくる。夕立というより、ゲリラ豪雨と呼ぶべき雨模様だ。急な大雨に見舞われることの少なくない最近では、特段珍しくもない。

「──舌が痺れる。不愉快だ」

 ごくごくとサイダーを喉に流し込んでいたはずの隣の同級生が、突然不満を口にする。はっとして振り向くと、その横顔には黒々と紋様が刻まれていた。

「宿儺……」

 キンッ。サイダーの瓶が真っ二つに両断され、中の液体をまき散らしながら無造作に彼の足元に放られる。盛大な音を立てて砕け散ったガラスの破片。大変、掃除道具を借りてきて、ガラスの破片を片付けないと──

「それを寄越せ、小娘。余計な混ぜ物をした砂糖水より余程マシだ」

 建物の中に向かおうとした私の肩をむんずと掴んで宿儺が言う。黒く染まった爪の先は、私の手の中にある梨に向けられていた。
 私は不機嫌を露わにした眼差しで強く睨まれているが、それだけで済んでいる。真っ二つに割られた瓶と同じ末路を私の首が辿らないのは、不思議と宿儺が私を気に入っていて、私もそれを受け入れているという、高専の誰にも言っていない秘密の関係のおかげだ。

「梨、食べるの? でも包丁とか無いから切れな──」

 言い終わらないうちに宿儺の指が虚空を薙いでいた。響いた甲高い音が一瞬雨音を退けたかと思えば、手の中の梨がバララ……と見事に皮と芯を残して八等分されている。

「わ、わっ、わっ」

 梨が手のひらから零れ落ちそうになるのをなんとか胸に抱えて持ち堪えた。制服が梨の果汁で汚れてしまうが仕方ない。切られただけで地面に落ちて終わりだなんて梨がかわいそうすぎる。

 ふん、と馬鹿にしたように鼻で笑った宿儺が、私の胸元から一切れの梨を摘まみ上げる。シャク、シャク、小気味いい音を立てながら梨を咀嚼する間、宿儺の目は雨が激しく降る光景を映しているようだった。峻険だった眉間のシワは幾分か和らいでいる。

「こうして梨を食みながら眺める雨にしては風情に欠ける」

 独り言なのか、私に話しかけているのか。すぐには判別できず、私は宿儺の横顔を見つめていた。彼の赤い瞳が皮肉げに細められる。

「時代が変われば空も変わるか。千年は些か長すぎたな」
「……宿儺の時代は、ゲリラ豪雨なんて無かったんでしょう?」
「夕立、だ。あれは暑さを和らげ、夜を連れてくる雨だった。このように喧しくは降らない」

 宿儺がもう一つ梨を摘まんで、豪快に口を開けてかぶりつく。あっという間に咀嚼し終え、指をぺろりと舐めた。やはり雨を眺めながら。

 その真っ赤な瞳が映しているのは私が見ているのと同じ景色なのだろうか。それとも、まだ彼が自分の肉体を持っていた頃の空だろうか。

「宿儺は……私と一緒に梨を食べたことも、いつか思い出してくれるの?」

 私がぽつりと告げた声は思った以上に小さくて、ざあざあと降りしきる雨の音に掻き消されてしまった。

「む? なにか言ったか、小娘」
「……うん。梨、おいしいねって言ったよ」

 梨を一切れ口に運び、そう言い繕った。

 彼の目に映る景色を隣で共有していきたい。できることならずっと。だけどそれは、彼が呪いで、私が呪術師である以上、望んではならないことだ。
 次第に空が明るみ、雨の音が弱くなる。叶わない夢想もまた、夕立と共にほんのひとときで消え去るのだ。

 車道の向こうから黒い車がこちらに向かって来ているのが見えた。



20210814
ツイッターにて「juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負」に参加させて頂きました。
お題「サイダー・ありふれた夕立に」
内緒で付き合ってる高専夢主ちゃんがマイブームだなあって、書いてみたら気付きました。

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