分かっていたよ、昨日の嘘を



 カーテンを端に寄せて窓を開け、清澄な朝の空気を取り入れ──と、都合良くはいかなかった。こんな朝早くから雨が降っている。開けた窓から入ってくるのはジメジメした外気であり私は肩を落としかけたが、すぐにこれはこれでいいと開き直った。室内の空気が淀んでいるのは雨のせいにしてしまえる。

「んっ、くあ〜〜〜って、あれ?」

 私のベッドを占領して大の字で寝息を立てていた同級生の虎杖くんが、大きなあくびと共に目を覚ます。

「おはよう虎杖くん。いい夢見れた?」
「あれ? なんで、俺、え?」
「昨日の夜、寝ぼけて部屋間違えたみたいだよ。ほら私たち、男子寮と女子寮の同じ部屋番号だからさ」
「うわ、マジ!? ごめん、本当ごめん!」
「大丈夫、気にしてない。それより、伏黒くんとか野薔薇ちゃんに見つかる前に戻ったほうがいいんじゃない?」
「確かにあいつらにバレたらなに言われるか……って、それで早起きして起こしてくれたの!? もうほんとごめん! 今度ちゃんとお礼するから!」

 バタバタと大慌てで私の部屋を出て行く虎杖くん。
 その後ろ姿から、見えるはずのない目と口が、ケヒッとこちらを嘲笑っているような気がした。
 ひとまず、洗面台の陰に隠しておいたドロドロに汚れたベッドシーツと破けた衣類が見つかる前に虎杖くんを追い出せてほっとした。部屋を出て行く時、鍵が壊れていることにも気付いていなければ良いのだけれど。

 ***

 その日の真夜中も、昨夜と同じ訪問者が私の部屋の扉を開けた。姿は虎杖くんそのままに、文様の浮かんだ顔の邪悪な目付きは全くの別人。

「逃亡も抵抗もしないか。殊勝な心掛けだ、小娘」
「……縛りがあるからよ。私が従えば誰も殺さないって」
「それだけではあるまい。活きが良いのは美点だが、嘘偽りは褒められたものではないぞ」

 両面宿儺は嫌らしい嘲笑を浮かべて、鋭利な爪の伸びた手で私の首を掴む。歪んだ眉の下で三日月形に細められた目が間近から覗き込んでくる。

「昨夜は狂ったように啼き、善がっていたな? 力尽くで犯されるのが余程好かったと見える」
「……高校生の身体で満足するなんて、呪いの王っていっても大したことないのね」
「ほう?」

 目一杯睨み付けても宿儺は意に介さない。ぴくりとも表情を変えずに、首の手に力を掛けて私をベッドに押し倒した。強く背を打ち息が止まりそうになった一瞬で宿儺が乗り上げてきて、当然のことのように私の部屋着を八つ裂きにする。

「凡庸かと高を括っていたが、なかなかどうして楽しませてくれる。その気概に免じて教えてやろう。貴様の身体になぞ興味は無い。これは単なる小僧への嫌がらせだ」
「どういう意味?」
「小僧めは貴様に思慕を寄せている。奴が懸想したという理由だけで、その女は俺に蹂躙されるのだ。愉快ではないか。そうと知った時アレがどんな顔をするか、思索すれば頬が緩むというもの」
「……この、下衆め」
「ケヒッ! 威勢の良い口振りがどこまでもつか見物だな」

 宿儺の指が口内にねじ込まれ、ぐりぐりとまさぐられる。爪の先で口の内側が切れて血の味が広がった。

「いつ屈服しても構わんぞ。身も心も壊れきった暁にはその指を小僧に突きつけてやれ。オマエのせいで全てを奪われ、踏み躙られたのだとな」

 人を小馬鹿にしたような笑みを深めた宿儺は、朗々と謳い上げるようにして呪いの言葉を口にする。
 ──思い通りになんてなるものか。

「……奪われているのはあなたよ、両面宿儺」

 私は口内で好き勝手をしていた宿儺の指を両手で掴み、どうにか押し退けて、彼を睨み上げた。

「昨日の縛りは私に言うことを聞かせるためじゃない。行動を制限されているのは、本当はあなたの方でしょう?」

 夜中の間だけとはいえ、虎杖くんから身体を奪うなんて簡単ではないはずだ。強い縛りがなければそんなことはできないはず。余程の制約──それは、自由を得た両面宿儺が最も満たしたい欲求を禁じること。

「小娘。さえずるのを許しはしたが、身の程は弁えろ」

 宿儺が不快を露に眉を寄せる。しかし私はそれを無視し、努めて勝ち気な笑みを顔に貼り付ける。

「私が逃げない限り、あなたは誰も殺せない。たかが小娘一人のせいで大好きな人殺しができないなんて、それこそ愉快よね」
「……言わせておけば」
「つっ……!」

 胸元を鷲掴みにされ、宿儺の爪が皮膚に食い込む。だが、そこまでだ。身体の主導権を得る引き換えの縛りのため、宿儺には私の心臓をもぎ取ることも、肺に穴を開けることもできない。
 どれほど邪悪な笑みで見下されようとも、生命の脅威ではない。恐れる必要はないのだ。

「ほんの戯れのつもりであったが、躾が必要らしい」
「そっちこそ、むやみに吠える癖を治したらどう?」

 窮鼠だって猫を噛む。なら、私が呪いの王に噛み付いたって構わないはずだ。

 ***

 私は虎杖くんに呼び出され校庭の片隅に足を向けていた。
 二夜に渡る両面宿儺の襲来を乗り切って、朝は再び早起きをして虎杖くんを自室に追い返した、その日の夕方のことだった。
 既に待ち合わせ場所に来ていた虎杖くんは私の来訪に気付くと、へらっと覇気のない苦笑を浮かべるのだった。

「……ごめんな」

 彼には似合わない後ろめたそうな声でそんなことを言う。

「責任取らせて。俺、なんでも……」
「なんの話?」

 虎杖くんの言葉を遮り、私は努めて明るい声を出した。

「寝惚けて部屋間違えたくらいでそんなに気にしないでよ」
「いやだって、宿儺がオマエを……」
「虎杖くん」

 私は口に人差し指を当て、その先の言葉を止めた。
 虎杖くんに真夜中の記憶は無いはずだ。もしそれなら素直に自室へ駆け戻りはしなかっただろう。宿儺が下らないことを吹き込んだに違いない。
 だったら私は、その上から嘘を塗り固めるまでだ。

「なにもないんだよ。部屋を間違えて寝てただけ。それだけ」

 虎杖くんはもう既に、並の呪術師とは比べ物にならないほどたくさんの重い物を背負わされている。私はそんな彼の更なる重荷にはなりたくない。
 仲間として虎杖くんを守りたいのに──

「そ、っか」

 泣きそうな声でそう呟いた彼の顔を見る限り、私の細やかな願いは叶わなかったらしい。

 それでも私は懲りずに明日の朝も、真夜中の悪夢を嘘にする。

「おはよう虎杖くん。いい夢見れた?」



20210326
ツイッターにて「juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負」に参加させて頂きました。
お題「分かっていたよ、昨日の嘘を」
少し加筆したら誰も報われない話になってしまった。


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