あたたかな掌の呪い
あの人の手が、大好きだ。
大きくて、皮が厚くて、筋張ってごつごつとした、あったかい手。
「宿儺様、おかえりなさい!」
屋敷の玄関口までパタパタと走っていった私を容易く抱き留めて、頭を撫でてくれる優しい手。
一対の腕でひょいと私を抱き上げて、走ったせいで乱れた着物の裾を「はしたないぞ」と呆れたような息をつきながら直してくれる手。
大好きなその手に触れてもらうのを心待ちにしているから、私は何日も会えずに待っている時間を耐えることができるのだ。
横抱きにしてもらっているのをいいことに、私は宿儺様の太い首に腕を回してぎゅっと抱き付いた。素肌のほうの横顔に自分の頬をくっつけて、ぐりぐり押し付ける。
「ふふふ、宿儺様、宿儺様だ。本当に宿儺様なんですね」
「落ち着け。そう引っ付かずとも俺は消えぬ」
「だってお休みになったらまた、出掛けてしまうでしょう? それまでに少しでも、宿儺様を補充したいんです」
「ハッ、なんだそれは」
宿儺様は私を持つ腕の角度を変えて、おでことおでこをコツンと合わせてきた。
鼻で笑いながらも、四つの目は穏やかに細められている。
「このほうが余程、補充になるだろう」
「ん……」
宿儺様の唇が降ってきて、私は瞼を閉じてそれを受け入れた。ちゅ、ちゅ、と軽い音を立てながら、啄むような口付けを交わす。
「宿儺様、だいすき」
「……まったく、オマエという奴は」
彼の首に回した腕の力を強めて囁くのが、もっと、とねだる合図。
溜め息の中に熱っぽさが宿るのを私は聞き逃さなかった。
ゆっくりと私の頭を撫でてくれていた手が後頭部をがっしりと捕まえて、そこにさっきまでとは違う噛み付くような口付けが落とされる。
「んっ……んぅっ……」
口内へ入り込んできた肉厚の舌が、隅々まで味わい尽くすように動き回る。歯の裏側を舐め取られてビク、と身体が震えたところに舌を絡め取られた。ねだったのは私の方なのに、ついていくのが精一杯。
ぬるりと舌の裏側に宿儺様のそれが入り込んで、筋をくすぐり戯れるように動く。それがどうしようもないほど甘い疼きを身体の内側に呼び起こして、今すぐ溶けてしまいそうになる。
「……は、ぁんっ……」
くたりと力が抜けた隙に、舌が宿儺様の口内へと誘い込まれる。この中は御自分の領域だと言わんばかりに激しく絡み合ったあと、ぢゅっと音を立てて吸われた。
そんなふうにされたら、ねだった私以上に宿儺様のほうこそ私を求めているのだ、と思ってしまう。堪らないほどの愛おしさが溢れてきて、胸の中をじんわりと満たしていく。
「続きは、褥でな」
「……はい」
余韻を残すように舌や唇を甘噛みしながら離れた宿儺様と、もう一度額をくっつけて囁き合う。今宵の甘やかな時間を思うだけで蕩けてしまいそうだ。
くたりと宿儺様の肩にしなだれかかった私を抱いたまま、宿儺様は屋敷の奥へと歩みを進めていく。
その着物の袖や裾の端々が不自然に裂けたり破れたりしているのを、私はずっと見ないふりをしていた。
***
なんだか肌寒い、と私は重い瞼を開けた。
全身を包む倦怠感と、普段使わない筋肉のあちらこちらの痛みは、それすらも愛おしい濃密なまぐわいの余韻だ。久しぶりに過ごす二人きりの夜。私も宿儺様も、互いを求めて満たし合うことに夢中になって、加減なんてものはまるで念頭になかった。
帳の向こうはまだ薄暗い。素肌の上に布を掛けただけでは手足の先が冷えてしまって、どうやらそれで目が覚めたようだった。
振り向けば、同じ一枚の布の中に大きな身体が寝転んでいる。
寄り添い合って眠りについたはずが、私が寝返りを打った拍子に離れていってしまったらしい。
もぞもぞと近付いていくと、腰に宿儺様の腕が二本回ってきた。起こしてしまったかと表情を伺うも、四つの眼はいずれも閉じられて、規則正しい寝息も聞こえてくる。
無意識に私を抱き寄せてくれたのだ。そうと知ると胸の中がほわほわとして堪らなくなり、逞しい胸板に頬をすり寄せた。
私に温もりと安心感を与えてくれるそこが、本当はたくさん傷ついていることには気が付いている。宿儺様は、痛めた身体を元通りに反転してから私の元へ帰ってきているのだ。
この頃、宿儺様を討とうと躍起になっている呪術師たちの攻勢が強まっていることは、宿儺様と裏梅さんの会話を小耳に挟んで知っていた。
宿儺様は私に心配を掛けまいと気遣ってくれている。戦いのことではまるで役に立たない私が、自らの無力を気に病むことがないように、と考えてのことだ。
「オマエは花のように笑っていれば、それで良い」
宿儺様が大きな手で優しく頬を撫でながらそう言ってくれるから、私はそのように在りたいと思うのだ。宿儺様が望む、宿儺様が愛してくれる、私でいたい。
だから私は笑い、甘え、寄り添う。不安や心配を口にする代わりに、宿儺様の逞しい身体を抱き締める。
この温もりがずっと私を包み込んでいてくれますようにと祈りながら、瞼を閉じて微睡みに身を委ねた。
***
「近々、居を移すやも知れん」
宿儺様の膝の上に抱かれ、縁側で庭の花々の香りや鳥の声を楽しんでいたところだった。宿儺様が突然、そんなことを言ったのは。
「お引越し? どうしてです?」
「長く同じ屋敷を根城にしていると足がつく。ここには些か、長居をしすぎた」
宿儺様がゆったりと頭を撫でてくれた。私は寂しさを顔に出してしまっていただろうか。
「オマエはこの場所を気に入っていたな。やはり不満か」
私が宿儺様のものになってからずっと住んできた屋敷だ。二人で一緒に整えた庭も、毎年咲くのを楽しみにしていた梅の木も、離れがたい気持ちはある。
けれど──私は宿儺様の空いているほうの手をぎゅっと握りしめた。
「私には、宿儺様と一緒であればどこだって浄土と同じです」
「ケヒヒ! オマエときたら。それを云うなら、地獄の間違いであろうよ」
くしゃりと私の頭を撫で、宿儺様は大層愉快そうに歯を見せて笑う。
「どこか行きたい土地はあるか?」
「ええと……あ、そうだ。海、というものを見てみたいです」
「海か」
「はい。川や湖とは比べ物にならないほど広い水の上をたくさんの舟が行き交って、風からは潮の香りがするのだとか。あとは、干物ではないお魚が食べられます」
「ククッ……最後のが本題だな?」
「ばれちゃいましたか」
「当然だ。さて、海沿いの屋敷か。探させよう」
笑みを交わしながら、いつか来たる日々に想いを巡らせる。
この時の私は、自分がずっと宿儺様の傍にいられることを信じて疑わなかった。
数日後、宿儺様はまたしばらく屋敷を空けると言い、留守を裏梅さんに託して出掛けてしまった。
私は裏梅さんから菓子作りの手ほどきを受けて過ごすことにした。米粉の生地をねじって成形して甘じょっぱいタレを絡めたものだ。酒の肴にお出しすればお喜びになるでしょうと、裏梅さんから提案してもらい、着物にタスキを掛けて慣れない揚げ菓子作りに励んでいた。サクッと丁度いい塩梅の食感に揚げるのが思いのほか難しいのだ。
また数日後、今度は裏梅さんも屋敷を空けることになった。宿儺様をお手伝いするために合流するのだそうだ。
「身の回りのことで、なにか不安はございませんか?」
裏梅さんは自分がいない間私が一人きりになるのを案じて良く準備をしてくれた。最後にもう一度確認をしてくれる、念の入れようだ。
「私なら大丈夫です。いつもはお任せしてしまってますけど、炊事も洗濯もちゃんとできますよ?」
「では、申し訳ございませんが、しばしのご辛抱を。ああ、買い物は、馴染みの行商が数日おきに屋敷を訪問しますから、そこで。一人の間、決して外には出ないでください」
「はい、わかりました」
宿儺様も裏梅さんも、なにかに深く用心している様子だ。
でも大丈夫。この屋敷にいる限り、二人の施した術式や結界が私を守ってくれる。
私はただ宿儺様を想い、無事を信じて、待っていれば良いのだ。またお会いできる日のことを。
──数日後。
屋敷を訪れた馴染みの行商が引き連れて来たのは、立烏帽子に狩衣を纏った物々しい男──呪術師たち。
穢れたものを見るような目で私を見る彼らが、鬼神にかどわかされた娘を助けに──などとは考えていないことは、明白だった。
***
「っ、く……」
どさり、と乱暴に床に転がされた。ここに来るまで、牢獄に囚われる中で受けた折檻の痕が、その衝撃でズキズキとひどく痛む。
白い単衣(ひとえ)の上から荒縄を幾重にも掛けられ縛り上げられ、動かせるのは首だけだ。
見回したそこは、おびただしい数の呪符が貼られた、異様な風体の小部屋だった。
「よく見ろ。これが貴様の主人の末路だ」
牢の中でも何度も聞いた呪術師の男の声が降ってくる。
首にぐいと力を入れて、男が指し示す先を視界に収める。そこには──
「……あ、あああっ……!」
指、だ。二十の、指。
呪符と、榊、しめ縄、床の方陣とが厳重に取り巻いているそれを、誰であろうこの私が見間違えることなどありえない。
大きくて暖かい、宿儺様の指が、私の口の中にすら収まりそうなほどに小さく冷たくなって、見せしめのように鎮座させられていた。
「す、くな、さま……っ!」
堰を切ったように溢れ出す涙を止める術など、どこにもなかった。
牢の中で、両面宿儺は討たれたのだと聞かされても、信じはしなかった。そんな馬鹿な、あの人が呪術師なんかに負けるはずがない、きっと私を助け出して海の見える屋敷に連れて行ってくれるのだと、再会を信じて耐えて、ずっと耐えてきたのに。
「両面宿儺の呪いは強大だ。我々の総力を以ってしても二十の指に分割して封じるのがやっと。未だにこれは猛毒を振り撒き人に害なす、忌まわしい呪物だ」
やめて。宿儺様をモノのように言わないで。
出ない言葉の代わりに、私は涙に滲む目できつく呪術師を睨み付ける。
「貴様ならば知っているのではないか? いくら調べてもわからなかったが……ただの人の身でありながら両面宿儺の呪いに侵されていないということは、奴の呪力を打ち消す方法があるはずだ」
ああ、そうだったのか、と他人事のように思った。謂れのない折檻も、方陣の上に縛り付けられ呪力に身を焼かれたのも、彼らが宿儺様の呪力を克服するためだったのだ。
そんな方法なんて知らない。私の身には術式もなにも無いのだ。私を守るためになにかをしていたとしたら宿儺様のしたことで、その人は、おまえたちが消してしまった。
ギリ、と私は歯を食いしばる。
「──わかりました」
「ようやく口を割る気になったか」
「縄を解いてください。それから指を、一本で構いませんので、私のもとへ」
「妙な真似はするなよ」
男が私を拘束していた縄を解く。私は居住まいを正して床に座り直した。はしたない、と着物を整えてくれる人は、もういないのだ。
男が差し出してきた宿儺様の指を両手で受け取る。
そこに貼られた呪符を剥がしていく。
筋張ってごつごつとした、小さくなってしまった、宿儺様の指。
両手で包み込むように持ったそれに、そっと口付ける。
この指は、人に害なす猛毒であるらしい。
そして私は、ただの人だ。
ねえ、宿儺様。
私、あなたの手が、大好きなんですよ。
すぐにお傍へいきますね。
「ん、く……」
「なっ……!」
呪術師が慌てる声がした。しかしもう遅い。
私は宿儺様の指を口に含み、一思いに飲み下していた。
瞬間、身体の芯がカッと熱くなるのを感じる。ドクドクと、心臓が飛び出そうなほど高鳴る心音。
酷い頭痛の時のように天地が回って、堪らずに床に倒れ込んだ。その時には既に五感は遠くなっていて、倒れているという感覚すら私には感じられなかった。
猛毒の呪いという程の苦痛は無い。ただただ熱く、自分の内も外も渦巻いて、そしてすべてが遠ざかっていく。
行く先は浄土か、地獄か。どちらでもいい。どうでもいい。私には、宿儺様さえいてくれれば、それだけで──
◆◆◆
無味乾燥なのが私の人生の良いところだと思っていた。
中学、高校と、友人に恵まれながらそつなく学業もこなし、この春から上京して大学へ。平坦で穏やかで当たり障りのない毎日を繰り返しながら、あっという間に六月になった。誰もが新しい生活に慣れ、それなりに居場所を掴み落ち着いていく、そんな季節だ。
しかしながら、可か不可かと言われればおそらく可であろう生活を送る私は、自分の本当の居場所はここでは無いような満たされない思いを常に抱えていた。
その空虚さが、青春特有のモラトリアムではないとわかったのは、ある晩のことだった。
一人暮らしの自宅でぼんやりとSNSを見ながら友人たちの投稿にイイネを付けている最中、突然、思わずスマホを取り落してしまうほどの頭痛に見舞われた。
「すくな……さま……宿儺様……!」
知らない音が私の口から滑り出て、しかし次の瞬間には、音は確かな実体を伴っていた。
思い出したのだ。私の──かつての『私』の記憶を。
最愛の人と過ごした日々も、大きくて温かな手の感触も、私を見つめる四つの眼差しの優しさも、唐突な別れへの悲しみも。すべてを昨日のことのように、はっきりと。
毎日の生活に満たされなくて当然だ。私の居場所は宿儺様の傍なのだから。
もう一度宿儺様に会いたい。会わなければならない。千年の時を越えたこの空の下のどこかに必ず宿儺様がいる。探して、会うのだ。目覚めたばかりの『私』の意識がそう叫んでいた。
翌日から私は大学を休んだ。学校をサボるのなんて生まれて初めてだった。
ネットの力を駆使して両面宿儺という存在について調べるも、情報の少なさに頭を抱えることとなった。そもそも歴史上の人物としての情報しか見つからず、どこに行けば会えるのかなんて見当もつかない。
彼を祀るお寺が岐阜のほうにあるらしい。行ってみるべきか──と、ホテルや交通手段について調べている時のことだった。
目隠しに逆立てた白髪の、飄々とした長身の黒ずくめが私の家を訪れたのは。
「やあ、率直に聞かせてもらうけど、きみって両面宿儺とどんな関係?」
五条悟と名乗った男は、宿儺様の呪力を宿している私を要注意人物として保護、監視下に置く、と告げた。
***
「呪術師のやり方は千年の間にずいぶん、穏やかになったんですね」
年代物の廊下の先を歩く白髪の長身に向かって投げかけたのは率直な感想だった。
私の中には牢獄で折檻を受けた記憶も蘇っており、呪術師の拠点だという呪術高専に連れて来られた時には同じことをまた繰り返されるのかという恐れがあった。実際には、健康診断のようなものを受けたり、呪力の調査だと言われてブサイクなぬいぐるみを持たされたりしたくらいで、苦痛を受けることは何一つされていない。
ただ、述べた感想が結果として皮肉のようになってしまったために、こちらへ振り返った五条さんは決まり悪そうに肩を竦めている。
「不安要素はとにかく排除しろって、ビビリなお偉方もいるにはいるけどね。きみは宿儺の呪力を宿して、前世の記憶を持っているとはいえ、限りなく一般人寄りだ。そうそう極端なことはしないし、させないよ」
平安時代の記憶を私が持っているということを、意外なほどにあっさりと五条さんは受け入れた。当時は呪術の全盛期だし、余程強い因果を結んでいれば、そういうことも起きるかもしれない、と。
「さて、お待ちかね。運命の再会だ」
芝居がかったように言われ案内された部屋は、歴史ある旅館のロビーのような趣の応接間だった。一人掛けのソファーに所在なげに腰を下ろしている、制服姿の男の子が一人。
私の姿を目にして立ち上がったその姿を目にした時、背筋に電気が走ったような感覚があった。彼が話に聞いた虎杖悠仁くん──宿儺様の器になった男の子なのだということは、すぐにわかった。
虎杖くんの頬がぐぱりと割れて、目と口が現れる。
「代われ、小僧」
「先生、本当に……?」
「いいよ、悠仁。そのために僕が見張ってるんだ」
「じゃあ……」
目を瞑る虎杖くん。数秒後、その顔に墨が滲むようにして紋様が浮かび上がってくる。
ゆっくりと開かれた瞼の下からは、懐かしい紅の色が覗いた。
「あ……!」
「──久しいな。息災か」
「すく、な、さまっ……宿儺さまぁっ!」
堪らずに駆け寄った私を、宿儺様は両腕を広げて迎え入れてくれた。
胸に飛び込んだ私を力強く抱き留めてくれる腕。その数はたった二本。胸板も、記憶の中よりも一回り以上小さい。それでもこの方は確かに宿儺様なのだと、私を包み込む温かさが証明してくれている。
「宿儺様、私……ずっと待っていたんですよっ……! 海が見える新しいお屋敷に、連れていってもらえるって……」
「ああ、約束を反故にしてしまったな」
「新しいお料理もね、覚えたんです……お酒と一緒に楽しんでもらえたらって……」
「そうか。惜しいことをした」
宿儺様が私の頭を撫でた。子供をあやすような手付きだ。
器の男の子の、同年代の子と比べたらがっしりとした、しかし記憶の中の宿儺様のものよりはうんと小さな手。
それでも今はこの手が、私の大好きな手だ。
「辛い思いをさせただろう。……すまなかったな」
「っ、そんな……そん、な、ことっ……!」
静かな宿儺様の声が胸の内に染み渡り、涙がひとりでに零れていくのをどうしても抑えることができない。
「わた、しはっ……ただっ……お会いしたくて……ずっと、一緒にいられれば、それでっ……!」
「そうだな──オマエは、そういう女だ」
「っく……ううっ……うっ……!」
嗚咽ばかりが溢れて、もはや言葉が紡げない。彼の身を包む制服をぎゅっと握りしめ、額を擦り付けることしかできない私の頭を、宿儺様はずっと撫でていてくれた。千年の時を越えても交わし合う感情の温度は変わらないのだと実感できる掌だった。
「そろそろ頃合いだ」
ようやく私の涙の波が収まった頃、宿儺様は私の肩を掴んで身体を離した。かつてよりも低い位置から私を覗き込んでくる涼しげな笑み。この高さに早く慣れたい、と思った。
「ずっと、宿儺様のままでは、いられないんですね」
「業腹だがな。なに、いずれはこの身体をモノにする」
「お待ち、しています……」
「そう気を落とすな。いつでも会える」
ゆっくりと宿儺様の顔が近付いてくる。私は瞼を閉じてそれを受け入れた。
静かに触れ、じっと重なって温度を分け合う、穏やかな口付け。
「ではな」
一度笑みが深まったあと、その顔から表情と紋様が消える。
そこへ次に浮かんだのは年相応のあどけなさを感じる少年の顔だった。
「虎杖くん」
私は感情に突き動かされるままに彼の両手を取った。
「え、と……お姉さん?」
「ありがとう」
私の言葉が余程予想外だったのか、虎杖くんはパチパチと目を瞬かせた。
「私がもう一度宿儺様に出会えたのはあなたのおかげだから。……宿儺様の器になったことで、大変な思いをしてるのはわかってるの。多くの人が歓迎してないってことも。だからこれは私の身勝手なんだけど、でも、言わせて」
形を変えた、大好きな手を、ぎゅっと握る。
「宿儺様を受肉させてくれて、ありがとう」
2021/6/1
宿儺様受肉おめでとうございます!祝、受肉記念月!
ツイッターの相互さんから『しなやかな腕の祈り』という曲のお題とプロットをいただいて書いたものです。
素敵な機会をいただき感謝…!