色彩の発見



 別行動中の金ちゃん先輩たちと早く合流したい。
私と鹿紫雲は広い通りの真ん中を堂々と歩いていた。近くに他の術師がいる気配は無いから姿を隠す必要がないということと、もし潜伏している誰かが不意に襲ってきても鹿紫雲には対処しきる自信があるから、というのがそんな行動を取れる理由だ。

「この辺りは景色が他と違うんだな」

 周りの建物をぐるりと見渡し、私の隣を歩く鹿紫雲が呟く。
車道も歩道も広く、街路樹が整然と並んで緑も豊か、頭上にはモノレールの線路が走っている。目を引く外観のビルが並ぶこの場所は、お台場の中心地だ。

「オシャレでしょ。いつもは人がたくさんいるんだよ」

 死滅回游の最中でもなければ、自分たちしか人の姿がないお台場の景色なんて見ることができなかっただろう。

「たくさん? 何のためだ?」
「買い物とか、遊びにとか……デートとか……」
「でーと」

 おうむ返しに言葉を重ねられて、はっとする。なんとなく口走ってしまったけれど、鹿紫雲の前で恋愛関係のことに言及してしまうのは失策だった。やたらと行動力のある彼のことだ。下手をすると私の心臓にとって良くないことが起こりかねない。

「あ、えっと、デートっていうのは……」
「わかる。逢引だろ?」

 当たり障りのない説明をしようとした話の腰は瞬時に折られてしまった。受肉した時にある程度は現代の知識を得ていると聞いたけれど、鹿紫雲が知っていることと知らないことの区別はいまだによくわからない。

「じゃ、するか。でーと」
「なに言ってるの!? 金ちゃん先輩たちは!?」
「ついでに探せばいい。どうせまだこの辺りには来てねぇよ。どこかで戦ってる様子も無いし、近くに術師もいない」

 私より気配に敏感な鹿紫雲が言うならそうなのだろう。でもだからといって、戦いの合間にデートなんて──
 いや、それを言ったら死滅回游の最中に恋人を作ってしまった私も大概なのでは?
 ……浮かれてみても良いの、かな。

「それで、でーと、ってのは何するもんなんだ?」
「……ふふっ」

 言葉はわかっても内容は知らないんだ、と思ったらおかしくて笑ってしまった。

「あ? なに笑ってる」
「べつに? デートはね、お茶するとか、ご飯食べるとか、映画見るとか、買い物とか……」

 言いながら、どれも結界の中ではできないことばかりだと気付く。やはり恋愛は平和な世の中でこそ行われるべきもので、私たちが異常なのだ。私たちというか主に鹿紫雲が。

「……お散歩して、景色見る、とか?」

 実現できそうなものをなんとか捻り出すと、鹿紫雲が目を細めた。

「よし。あっち歩くか」
「え、えっ、わっ!?」

 いきなりぐいと肩を抱き寄せられ、頭を思い切り鹿紫雲の身体にぶつけてしまった。結構な勢いだったのに彼は微動だにせず、がっちりと私を抱き込んで身体を密着させたまま歩き出そうとする。

「な、な、なにしてるの!? 離してよ!」

 いきなり接近されたせいで抗議の声も上擦ってしまう。いつもいつも、どうしてこう急に距離を詰めてくるのか!

「普通に歩いてもさっきまでと同じじゃねぇか。よく知らないが、好い仲の男女ってのはこんなもんだろ」
「近すぎるし、歩きにくいから……っ! ええと……そう! 手! デートの時は手を繋ぐものなの!」
「へえ。これでいいか?」
「……っ、う、うん……」

 案外素直に納得した鹿紫雲は私の肩を解放し、するりと手を重ねてくる。指と指を絡める、いわゆる恋人繋ぎ。
 きゅっと握られると鹿紫雲の節くれ立った指の感触が強く伝わってくる。大きくて、指が長くて、手のひらの厚い……男の人の手だ。そう意識すると、さっきからドキドキとうるさい心臓の音がまた加速してしまう。

「教えたのはオマエなんだ。でーとの間はずっとこれで良いな?」

 私を見下ろしてくる鹿紫雲はやたらとニヤニヤして、悪戯が成功した子供のように笑っている。──まさか!?

「ちょっと待って!? わかってるの!? さっき私が適当なこと言ったって!?」
「さあ、どうだかなぁ? ほら行くぞ」

 軽く手を引かれて歩き出す。鹿紫雲の足取りは軽く、宙に浮いているみたいだ。今にも踊り出しそう。
その一方で、私と鹿紫雲とでは身長に随分と差があるから歩幅も大きく違うはずなのに、私が引っ張られるような体勢になったのは最初の一歩の時だけだった。私が歩きやすいように歩調を合わせてくれているのだと気付いて、一層顔が熱くなる。
 目的地の無い、ただ歩くだけのデートなのに、簡単に彼の良いところを見付けさせないでほしい。ときめきが止まらなくなってしまいそうだ。

 商業施設の横に伸びるウッドデッキを抜けて海沿いの公園を散歩する。潮風が肌寒いけれど、少し火照った身体にはむしろ丁度いい。
しばらく歩いていると鹿紫雲と手を繋いでいることにも慣れてきて、気恥ずかしさより楽しい気持ちのほうが勝るようになってきた。
 周りを見る余裕が出てくると、歩いても代わり映えのしない眺めに物足りなさを覚えてくる。木々は花をつけているわけでもなく、紅葉し色付いているわけでもなく、緑一色だった。いまひとつ見応えが無い。

「せっかく景色見に来たのに、あんまり見るものなかったね」
「そうか?」
「え、面白い? 鹿紫雲ってこういう時どんなこと考えるの?」
「あっちの茂みは身を隠すのに良さそうだが、遮蔽物の無い方へ誘い込めば地の利はむしろこっちに──」
「うーん、鹿紫雲は鹿紫雲かあ……」
「どういう意味だ」

 私と鹿紫雲は顔を見合わせてどちらからともなく笑みを交わす。景色を見る目は全く違っても、楽しいと思う気持ちは同じのようだ。
握っている手にきゅっと力を込めればやんわりと握り返される。それがとても心地よくて、胸の中がぽかぽかしてくる。
 公園の短い下草に落ちる影が徐々に長くなってきた。
鹿紫雲がふと顔を上げて、そういえば、と声を上げた。

「ずっと見えてるアレ、観覧車っつったか」
「あ、うん……………………乗る?」
「おう、行くか」

 鹿紫雲ならそう言うと思った。だから聞くのをためらったのだ。

 デートっぽいけど。デートだからって、あまりにもベタな。浮かれすぎでは。いやでもデートだし。せっかく二人きりなんだし。

 こちらの葛藤をよそに鹿紫雲はまっすぐ観覧車へ向かう方向に進路を変えて、私を促しずんずんと足を進めていく。観覧車はあっという間に近付いて、大きく見上げなければてっぺんが見えないくらいになった。
 しかし大きな円の足元に到着した私たちはがくりと肩を落とすことになってしまう。

「壊れてる……」

 おそらく観覧車を動かすための制御盤が納められている、四角い箱。それが見事に大破して、中身の機械やケーブルが焦げているのを見付けてしまった。匂いはなく、破壊の痕跡は随分と前に作られたものだとわかる。誰かの戦いに巻き込まれてしまったのだろうか。

「……仕方ないね」

 鹿紫雲の顔を見上げると、彼は力強く頷いた。

「そうだな。登るか」
「うん、諦め……はあ!? 登る!? って、なっ、なっ、なっ……!?」

 ずっと握っていた手を離されたかと思えば、腰に鹿紫雲の腕が回りぐるんと天地が回転した。私は鹿紫雲の肩に担ぎ上げられてしまい、慌てて彼の首にしがみつくようにしてどうにか姿勢を安定させる。
 鹿紫雲は「邪魔だな」と呟いて棍を放り捨ててしまった。そして私の腰を抱え直す。その手があらぬところに触れているので私は脚をバタつかせて抵抗する。

「どこ触ってるの!? ねえっ!?」
「あ? ここ持たねぇと安定しねぇだろ」

 なんでもないことのように言う鹿紫雲は、手のひらでパンパンとお尻を軽く叩いた。

「こらぁっ! 乙女のお尻を気安く触らないで!」
「まあ、触り甲斐は無いよな。小せぇ。もっと肉つけたほうが良いんじゃないか」
「余計なお世話!! っていうか、なんなの!? この体勢は!?」
「登るんだよ。オマエには自力じゃ難しいだろ」
「え、ちょ……!?」

 ひょい、と軽快に地を蹴った鹿紫雲は、地面に近いところにあったゴンドラの屋根に軽々と飛び乗った。人間一人抱えているとはとても思えない動きだ……なんて呑気な感想はすぐに喉の奥に引っ込んでしまう。

「う、うわああああ!? 待って、待ってええええ!?」

 代わりに出てくるのは悲鳴だった。鹿紫雲は淀み無い動きで次々にゴンドラを飛び移って、あり得ないほどの速度で地面から遠ざかっていく。普通に観覧車に乗るのと比べたら十倍以上の速さだろう。これではジェットコースターだ。
絶叫系アトラクションは好きなほうだけれど、あれは乗り物に乗ってシートベルトも着けて安全が確保されているから楽しめるのだ。肩に担ぎ上げられただけの状態で同じことをするなんて、ただの恐怖体験でしかない。
 観覧車の九時あたりの位置はゴンドラが垂直に並んでいる。上に乗るのは難しいだろうしここらで勘弁してほしい……と思うのに、鹿紫雲の足は止まらなかった。
ゴンドラを支える軸を片手で掴み、懸垂の要領で身体を引き上げて次のゴンドラに移って、更に高度を増していく。私にはもう悲鳴を上げることもできなくて、振り落とされないよう必死で鹿紫雲にしがみついていた。
 垂直エリアを突破した鹿紫雲は斜めに連なるゴンドラを次々に飛び移っていく。
もう下を見たくなくて、私はぎゅっと瞼を閉じた。すると今度は吹き付ける風の強さで高度を思い知らされてしまい、どっちみち怖い。

「なまえ、頂上着いたぞ」

 ぱしん、とお尻を叩かれて、鹿紫雲の首に回していた腕を緩める。
しかし完全に手を離したくはなかった。鹿紫雲が私を下ろそうとしても私は彼にしがみついたままだったので、猿が木から滑り落ちるようなおかしな姿勢でゴンドラの屋根に座らされることになってしまう。
鹿紫雲もまた私のすぐ隣に腰を下ろした。
 ひゅう、と口笛の音がすぐ上から聞こえた。

「こいつは良いもんだな」

 その言葉に、私は鹿紫雲の腕に押し付けてばかりいた顔を上げて、恐る恐る前を見た。

「わ……」

 窓越しでなく直に瞳に飛び込んできた景色に、息を飲む。
 茜色に染まった空。太陽の半ば以上が、空と海の境を形作るビル群の影に隠されていて、水面には揺れる光の道が映し出されている。正常な人の営みから隔絶された結界内だということを忘れさせる、鮮やかな夕焼けだった。

「日が落ちたら夜襲に警戒するものだった」

 夕日を見ながら、鹿紫雲がぽつりと呟くように言う。

「夜が明けたらまた強い奴を探しに行く。戦って、殺して、それだけで満足してたし、それが俺のすべてだった」

 言葉を切った鹿紫雲が私を見た。彼の横顔が橙色に染まって、綺麗な翠色の瞳に炎のような色が灯っている。

「戦いの合間を楽しむなんてのは、初めてだよ」

 間近から注がれる鹿紫雲の視線に、無性にきゅうきゅうと胸が締め付けられる。怖いわけでもないのに鹿紫雲に強くしがみつかずにはいられなかった。声の出し方を忘れてしまったみたいに、私は何度も口をぱくぱくさせてしまう。

「わ、わたし、も……」

 私がうまく喋れないでいるのを、鹿紫雲はただじっと待ってくれていた。

「私も、こんな景色……初めて、見た……」
「……そうか」

 鹿紫雲の唇が、ふ、と柔らかな弧を描く。彼がこんな穏やかな顔をするなんてことも、初めて知った。

 それからは私も鹿紫雲も黙って寄り添ったまま景色を眺めていた。上空に吹き付ける風の冷たさも忘れてしまっていた。
 どれくらいそうしていただろう。夕日はまだ沈んでいないから、案外時間は経っていなかったかもしれない。鹿紫雲が「秤を見付けた」と声を上げた。地上は遠すぎて私には豆粒ほどの大きさの人影は見付けられなかったけれど、鹿紫雲の目には金ちゃん先輩の姿が映ったようだ。ようやく合流できるのだから喜ぶべきところなのに、先輩たちもっとゆっくり来てくれてもいいのになあ……なんてことを思ってしまった。


20221215
せっかく近くにいるんだからお台場デートしてほしい。

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