前のめりの対価



「前に出すぎだ、なまえ!」
「え──」

 戦場に鹿紫雲の怒声が響いたその時にはもう、敵の白刃は私の目前に迫っていた。
 人にばかり頼っていたくない。私だって十分戦える。そう意気込んでいたのが仇になった。
 避けられる? だめ、この体勢からじゃ間に合わない。せめて急所を外して──

「……っ!?」

 ところが、次の瞬間に感じたのは痛みではなく風圧。身構えていた私の前に、真っ白な戦闘衣の背中が旋風のように苛烈な体さばきで割り込んできた。

「鹿紫雲!?」
「ハッ! しゃらくせぇ!」

 刃を左前腕で受けた鹿紫雲は、即座にカウンターの右拳を敵の術師へ叩き込んだ。鮮血と紫電が同時に迸る。
 速く、重く、帯電した呪力を纏った一撃。戦闘の決着をつけるのに十分な威力だった。敵の身体は風穴を穿たれて大きく吹き飛び、いつの間にか姿を現したコガネが五点の追加を告げている。

「……雑魚が。おい、オマエもオマエだ。後ろで大人しくしとけっつっただろ」

 こちらへ振り向いた鹿紫雲は口をへの字に曲げていた。左腕の先からは血の滴がポタポタと地面に垂れている。
 私はうつむき、きゅっと手を握りしめた。

「ごめん……」
「あ? 珍しくしおらしいな」

 庇われて、怪我をさせた。私のミスで。そんな時にまでいつもの調子で軽口を叩く気にはなれない。
 私だって呪術師だ。危険や怪我は承知の上。けれど、自分のせいで他の誰かが傷つくのは想像以上にメンタルに響くものだった。特にそれが、私にとって特別なたった一人では、なおさらのことだ。

「止血しなきゃ。どこか休めそうな場所を探そう」
「ほっときゃいい。この程度、そのうち治る」
「手当てさせてよ。私のせいだから」
「ったく、仕方ねぇな。気が済むようにやれよ。オマエがそれだと調子が狂う」

 鹿紫雲は大袈裟に溜め息をついて、大股で戦場を後にする。素早くこの場を離れるのは、漁夫の利を狙う泳者がいないとも限らないからだ。戦闘があったことを嗅ぎ付けてやってきた誰かと、こちらの体勢が整わないままに連戦するのは避けたい。

 結局、私と鹿紫雲は近場のビルの一角にある喫茶店に身を寄せた。照明の無い薄暗い店内にずかずかと足を進めた鹿紫雲は奥のソファ席に陣取る。私はカウンターの内側とスタッフルームの備品を漁って少々物資を拝借してからその隣に腰を下ろした。

「痛い?」
「俺がこの程度で根を上げるほど軟弱に見えるかよ?」
「……ごめん」
「チッ……」

 既に出血は止まっているようだ。呪力で守ったにしても、刃物でざっくり刺されていたのに。彼の生命力の強さの賜物だろうか。
 血のついた布を取り去り、傷口の汚れを拭き取って消毒する。喫茶店のスタッフルームに救急箱があって助かった。大判のガーゼまでは無かったので代わりに未使用品のふきんをあててテーピングする。

「手慣れたもんだな」

 鹿紫雲が左腕をまじまじと見ながら感心したように言った。

「簡単な応急処置は高専で習うから」
「へえ。呪術師の学び舎、だったか」
「そうだよ。……私だって呪術師なの。怪我なんか怖くないから、もう庇ったりしないで──」
「あーあー、聞こえねぇな。俺は俺のやりたいようにやるだけだ。オマエの都合なんて知ったことじゃねぇ」

 仏頂面が見下ろしてくる。私たちはそのまま、睨み合っているのか見つめ合っているのかどちらともつかない状態のまま押し黙っていた。

 ごめん、と口にするたびに鹿紫雲が眉間にシワを寄せるのには気付いている。だけど、ありがとう、とも言いたくない。私を庇って怪我なんてしてほしくなかった。自分が傷ついたほうがマシだ。──だめだ。なんだか意固地になってしまう。鹿紫雲と、こんな気まずい空気のままでいたくないのに。
 と、不意に鹿紫雲がいたずらっぽい笑みを浮かべる。さっきまでの不機嫌はどこへいったのか。彼は、名案だとばかりにパシンと膝を打った。

「なぁ、オマエからしてみろよ。それでチャラだ」
「は……はぁ!?」

 とんとん、と自分の口元を指差す鹿紫雲。キス、しろと? 私から? 謝罪の代わりに羞恥プレイの要求?

「は、恥ずかしすぎる……土下座しろって言われたほうがマシ……」
「それが何の得になるんだよ」

 私は鹿紫雲にひょいっと身体を持ち上げられて、彼の膝の上に座らされてしまった。ソファに身を預けている鹿紫雲は余裕そうに見えるけれど、私が姿勢を安定させるために胸板に手をつくと、ドッドッと大きな鼓動が伝わってくる。
 ──たいへんに盛り上がっているのだ。この状況と、自分の提案に。
 言う通りにしなければ、鹿紫雲が私を解放することはないだろう。そもそも怪我をさせてしまった負い目もあるし──仕方なく、私は鹿紫雲の顔に唇を寄せた。

「〜〜〜っ」

 微弱な静電気と一緒に、ちゅ、と音が鳴った。
 ほっぺで。

「ガキか。やり直せよ」
「……どうしても?」
「当たり前だ」

 観念するしかないらしい。私はもう一度彼に身を寄せる。ドキ、ドキ。ドッ、ドッ。二人分の鼓動が重なる。
 触れ合う間際にピリッと唇が痺れた。そしてすぐ離れようとしたのに、鹿紫雲の手のひらが私の後頭部に回ってそれを許さない。

「……!? ん、ん〜っ!」

 ぬるっとしたものが唇を割って入ってくる。うそ、舌、入ってきた……!? ちゅぷ、くちゅ、とうごめく舌はまるで別の生き物みたい。けれど舌同士が絡み合って擦れたところがピリピリ痺れるから、これは確かに鹿紫雲なんだと思い知らされる。

「っ、ふ、ぁ、んっ……」

 あの鹿紫雲と、こんないやらしいキス、してる。歯の裏側や上顎まで舐められてゾクゾクして、口の中だけでなく全身が熱くて熱くてどうしようもない。どろどろに溶けてしまいそうで怖くて、でもちょっと、気持ちいい。

「ん……っ、は、はぁっ、はぁっ」

 わけがわからなくなった頃にやっと口を解放された。鹿紫雲の眼は爛々と輝き、頬は上気している。なにより髪の間で火花を散らす電流が彼の興奮を物語っていた。ぺろりと唇を舐める舌の動きが妙に艶かしい。

「イイ顔するじゃねぇか。助けた甲斐があるってもんだ」

 助けてもらうたびにこんなキスをされたら心臓がもたない。しばらくは前のめりに行動するのは控えて慎重になろうと、私は固く誓ったのだった。



20221112
なぜかは知らないが金ちゃんパンダ先輩コンビと別行動してる二人。
鹿紫雲に言わせたい台詞ナンバーワン「しゃらくせえ」使えて満足。
ちなみに二番目は「いいんじゃない?」です。

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