ひねくれ者の賛歌



 廃病院の廊下をひたひたと歩いてくる呪霊から膨大な呪力が吹き出す。凶悪な牙の並んだ口からボタボタと涎を垂らして迫ってくる、B級ホラー映画に出てきそうな外見をしているくせに、準1級相当の呪霊だなんて笑えない。

「アあぁぁそボぉおォォぉぉ」
「……誰がアンタなんかと」

 呪霊を睨み付けて悪態をついてやるが、それが私にできる抵抗のすべてだった。深々と傷を負った脚では立ち上がることもままならず、呪力はもうすっからかん。
 想定より呪霊の脅威度が高かったのだ。補助監督に応援要請を頼んだが、救援は間に合わなかった。短いような長いような、いややっぱり短い私の呪術師人生はこんなところで呆気なく終わりを迎え──

「女のクセにしゃしゃり出るさかい、こないな目に遭うんや」

 人の神経を逆撫ですることだけに特化したようなよく知る声が聞こえたのと同時、ひらめく袴の裾が、廊下の奥を見据える私の視線を遮る。

「直哉……!?」
「邪魔にならへんよう下がっとったらええ。あないな雑魚、パッパと祓ったる」

 助けに現れたヒーローにしてはあまりにも嫌味ったらしいその男は、それでも援軍としては十分すぎるほどの実力者だった。

 ***

 直哉が呪霊と戦っている間に廊下を這って物陰に移動した私は、着ていたパンツの生地を破って帯状にし、脚の怪我の止血を済ませた。太股をザックリと切られてしまったが、応急手当さえしておけばどうとでもなる。高専の医師は優秀だ。反転術式で治療してもらえばすぐ動けるようになる。送迎の車までは補助監督に運んでもらう必要があるので、呪霊の気配が消えたのを見計らって連絡を入れておいた。

「終わったで」

 ゆったりとした足取りでこちらにやってきた直哉が、壁に背を預けて座り込む私の正面に屈み込む。彼は剥き出しになった私の脚へ無遠慮に視線を這わせ、更に何の断りもなく手を伸ばしてきた。

「えげつのうやられたもんや」

 嘲笑うような声音と共に、直哉の指が太股の傷のすぐ横をなぞる。ゾワワっと妙な感覚を覚えそうになってしまうけれど、直哉にそういう意図は一切無いことはわかる。これはきっと、彼が実家の屋敷で廊下の磨かれ具合を検分するのと同じ手つきなのだろう。

「まぁ、顔が無事でよかったやんか。きみ、術式は平凡で呪力量も並みやけど、見てくれだけは整うとるんや。これがもし傷物になったら、嫁の貰い手ぇのうなってまうやろ」
「……もう、久しぶりに会って言うことはそれなの?」

 人を食ったような物言いにも今更腹は立たず、苦笑と共に受け流す。彼のデリカシーの無さは手の施しようが無いのだと、高専時代からの同級生という腐れ縁である私にはとっくに諦めがついている。むしろ、応援要請に応じて助けに来てくれるなんてらしくないことをしているけれど、やっぱり直哉はちゃんと直哉なんだとわかって安心したくらいだ。

「なんや、当たり前のこと言うてるだけやで」
「はいはい。直哉に心配されなくても、見た目だけで評価するような人なんてこっちからお断りなので、大丈夫ですー」
「生意気なんは相変わらずやな、きみは。命の恩人相手に、もっと殊勝になってみしたらどや?」
「……いっ!?」

 パン、と直哉に脚を軽く叩かれる。怪我した場所に直接触れられてはいないが衝撃が傷に響いた。突然の痛みに、堪らず私は呻いて背を丸めた。

「反省できたか? んん?」

 ニヤつく直哉の顔を睨みつけようとして、やめた。文句を言ったところで私のような平凡な人間と禅院家次期当主として育った直哉とでは価値観が違いすぎて響かないだろうし、そもそも彼の耳は、彼にとって都合の良くない女の声を雑音としてしか処理しないようにできている。
 直哉をぎゃふんと言わせるには全く別のアプローチが必要だ。私は努めて満面の笑顔を作り、顔いっぱいに貼り付けた。

「直哉、確かにお礼がまだだったよね。助けてくれてありがとう」

 実際に彼が来てくれなければ私は危なかった。その気持ちを胸の中で何倍にも増幅させて、声に乗せた。
 そうこうしていると廊下の向こうから早足の靴音が響いてくる。迎えに来てくれた補助監督だ。なんて都合のいいタイミング。

「そうそう、それや。ほんまに、あないな雑魚に苦戦するなんて、やっぱし女が術師をやっても邪魔なだけや。おとなしゅう引っ込んだらええ」

 したり顔で言う直哉に、迎えに来た女性の補助監督がむっと眉を寄せている。まあまあ、と小声で制して、彼女の肩に腕を回し身体を支えてもらって立ち上がった。早く車に、と言われたが少し待ってもらうよう頼み、私は改めて直哉に顔を向ける。

「あっという間に呪霊やっつけちゃって、すごかったよ直哉。さすが次期当主。かっこいい」
「……な、急にどないしたん」
「直哉と一緒で、当たり前のこと言ってるだけだよ」

 面食らったように顔を歪ませる直哉に、私はにこにこと完璧な笑顔を向け続ける。ひくひく震える彼の口元が、我慢ならないといった様子で得意げな笑みの形になろうとするのを、私は見逃さなかった。──ここだ!

「まあ、当然やな。なまえもやっと……」
「俺が守ってやる、って素直に言ってくれたらもっとかっこいい」
「せやな、俺が……ってコラ! 何アホなこと言うてるんや!」

 整った顔を崩し声を荒げる直哉を残し、私は補助監督を促してその場を立ち去った。補助監督とクスクス笑い合いながら、脚が痛いのを我慢してなるべく早足に。
 追いかけられたらすぐに追い付かれるような速さでしか歩けないけれど、直哉は追って来ないということは私にはわかっていた。女を見下すことは息をするようにできるくせに、不遜な態度の裏にあるかわいげのある本音を言い当てられた時にどう対応するべきか、彼にはわからないのだ。

「直哉の、ばぁか」

 送迎の車に乗り込み、小声で独りごちる。
 もしも直哉が少しでも素直になってくれたら、私も彼との関係を見直してもいいと思うのだけれど。あのひねくれ者に付き合えるのなんてきっと、私くらいのものなのだから。
 元同級生の腐れ縁から一歩踏み出せる日はいつか来るのか、それともこのままなのか。先は見えないまま、車はエンジンを吹かせて走り出した。


20210824

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