隔たりの越え方



「私にもわかるように説明してください!」

 夕闇を退けるほどぎらつくネオンと雑踏の中、精一杯に声を張り上げても私の前を行く真っ黒いスーツ姿の背中は歩みを止めなかった。小走りで彼を追い抜いた私が真正面に立って進路を塞いだことで、ようやく彼の靴音は止まる。

「宿儺さん! 捜査方針に黙って従えとは言いません! でもせめてあなたの考えを教えてください!」

 見上げた顔には禍々しい入れ墨が彫られていて、それが彼の凶悪な人相をさらに強調しているかのようだ。目障りなハエでも視界に入れてしまったかのような目つきで、宿儺さんは私を睨んでくる。
 彼は私の部下で、私は彼ら捜査員を束ねる上司であるにも関わらず、宿儺さんの顔には私に対する敬意など少しも籠もっていない。

 それも仕方のないことだ、と思う。宿儺さんにとって私はいわば目の上のたんこぶ、彼の自由を阻害する障害物の中で最も目につく存在なのだから。
 
 執行官である宿儺さんは潜在犯の一人──この社会を管理するシステムの診断によって、犯罪を犯す可能性がある人間性だと判断され、社会から切り離されてしまった人間だ。
 適性を認めらたごく一部の潜在犯は、犯罪者に犯罪者を取り締まらせるための職務『執行官』として公安局での仕事に従事することができる。牢獄から出てわずかな自由を得るために同族を狩るという、社会管理システムとの取引だ。

「監視官。オマエが俺の考えを理解する必要など微塵も無い」

 宿儺さんが冷たく、突き放すような口調で言い放つ。
 彼が私を名前で呼んだことは今まで一度も無い。監視官、と役職で呼びかけるのみだ。着任したばかりの頃から、新人の監視官にはベテランの執行官がつくのが良いだろうという上司の計らいで、頻繁にタッグを組んできたにも関わらず。

 執行官を取りまとめる正規の公安局員『監視官』である私たちは、犯罪係数が規定値の範囲内におさまった、システムにより社会に適合していると判定された人間だ。
 監視官は、犯罪者の取り締まりと執行官の手綱を握ること、二つの使命を課されている。執行官にとっては嫌でも離れることができない上に、あれこれと命令してこき使う、目障りな存在だろう。
 
「オマエは俺を見張る。俺は犯罪者を捕まえる。それだけのことだ。オマエは俺が無関係の人間に牙を剥かないよう、文字通り監視していれば良い」

 宿儺さんの言うことはある意味、正論だ。公安局は、社会を管理するシステムは、執行官をそのようなものとして位置づけている。
 執行官が、公安の犬、猟犬、などと蔑まれるのも仕方のないことだ。

 けれど私は、それだけでは納得できない。

「いいえ宿儺さん。私は、あなたたち執行官とも信頼関係を築きたいと思っています」
「夢見がちな小娘は、そろそろ卒業する頃だと思っていたが。オマエはどこまで馬鹿なのだ」
「ば……!? だってあなたがいつも的確に事件を解決してきたのを、私はずっと見てきたんです。その宿儺さんが捜査方針に反するのは、なにか考えがあってのことでしょう? 見解を共有したいと思うのは、監視官として当然のことです」
「くだらん。砂糖細工のようなオマエの矜持など、俺の知ったことではない」

 宿儺さんが重く溜め息をついて、一際険しく眉間にシワを刻んだ。

「そも、生きる世界からして違うのだ。理解や信頼の入り込む余地などありはしない」

 ずいと距離を詰めた宿儺さんが私の手を掴む。いきなり縮まった距離に心臓を跳ねさせる暇も無いまま、私の手はされるがままに腰のホルスターへとまわされ、銃のグリップを握らされた。
 嫌な予感がした。

「これが俺とオマエの隔たりだ」

 銃の名は、ドミネーター。銃口に捉えた人間が社会に適合するか否かを『犯罪係数』という数値によって判定し、その結果によっては裁きを下す、社会管理システム『シビュラシステム』の目であり矛先でもある鎮圧執行装置だ。

 ドミネーターの照準を通して、私の網膜に対象者の犯罪係数測定結果が投影される。
 刺青を入れた凶悪な顔の執行官に対して表示される犯罪係数は429。

 100を越えると潜在犯として更生施設送り、300オーバーで処刑対象となる数値が、400をも越えている。
 私の平常時の犯罪係数は40から50。
 それは、伸ばした片腕の距離しか離れていない宿儺さんと私の間に横たわる溝の深さを示すものだ。

「ここまで堕ちる覚悟も無しに、安易に理解などと口にしないことだ。──この手で引き摺り落としてやっても良いのだぞ」

 悪辣な笑みを浮かべる宿儺さんが口にしたのは、またしても正論だった。

 潜在犯を理解するということは、潜在犯に堕ちるということ。正常な人間にはこなせない仕事をするために執行官はいる。監視官は彼らを管理していればよく、同じ位置に立とうとしてはならない。立てば、沼の中に引き込まれることになる。
 実際、職務にあたる中で犯罪係数が上昇し執行官に墜ちる監視官は、それなりにいるのだ。私も我が身を潔白に保つことを第一に考えれば、執行官に深入りするべきではない。けれど──

「それでも私は、あなたを信頼したいんです。宿儺さん」

 自由なほうの手で、私に銃のグリップを握らせる宿儺さんの手を包み、そっと押し下げる。監視官だろうと執行官だろうと変わらない、手の温もりを感じながら。

「チッ。オマエがこうも頑なだとは思わなかったぞ、なまえ監視官」

 呆れたように眉をひそめて、宿儺さんが私の手を振り払った。
 なんだか一矢報いたような気分になってしまい、口角が上がるのが自分でもわかる。

「ええ、意外と頑固なんです、私。なので、ちょっとやそっとじゃ犯罪係数も悪化しませんし、簡単には引き下がりませんからね」
「……このあたりは昔の俺の根城だ。地道に犯人の痕跡を探すより、牛耳っている奴に話を通したほうが早い」

 肩を竦めながら宿儺さんが告げた言葉が、私が求めていた『捜査方針に従わない理由』だということはすぐに理解できた。

「裏路地を行く。ついてきても良いが、はぐれるなよ。あとから探すのは面倒だ」
「──はいっ!」

 宿儺さんがビルの合間に身を滑り込ませていく。黒ずくめの長身が闇の中に溶け込んでいくかのようだ。けれど途中で足を止めては振り返り、追える距離に私がいることを確認してくれている。
 さっきまでより確実に、私たちの溝は縮まったのだ。敬愛する先輩に認めてもらえて嬉しいと思うことに、犯罪係数なんて関係ない。もしかしたら職務を越えて彼に近付くこともいつか許されるかもしれないという淡い期待は胸にしまいつつ、今は監視官としての使命を全うするために足を前に進めるのだった。


20211106
続くつもりだったけど続かなかったサイコパスパロ。
執行官な宿儺様書けて満足しちゃいました。

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