▽ 無人駅の攻防
「それで? こんなところまで呼び出して一体何の用かな」
感情の無い目で、岩手はじとりと福島を見つめた。ゆったりと歩みを進める。
一方の無人の駅に佇む福島は、昔のような冷たい視線で、車から降りる岩手を見つめていた。彼が口を開く。
「ああ、ちょっと話が、ねっ!」
階段を音も無く登ってきた岩手の前に素早く移動し、福島は拳を振り上げる。だが、岩手はそれに一切表情を崩すことなく、左腕だけで受け止めた。
ちっ、と舌打ちをし、福島は岩手から五歩離れる。
一方の岩手は、心底軽蔑した眼差しで福島を見つめていたのだ。
「……嗚呼嫌だな、これだから野蛮な大和は」
「それはこちらの台詞だ。お前ほど危険な奴は早々いないからな」
いい加減大人しくしていて欲しいのだけど。
吐き捨てるように福島が言うと、岩手は興味深そうに視線を上げて福島を見た。
「へぇ? ぼくを危険だと? そうさせたのはきみたちだということを忘れたのかい? 相変わらずおめでたい頭をしているね」
くっくっ、と押し殺したように笑う声が、田畑しかない長閑な平野に響く。
「……そんな昔の話をしに来たわけじゃない」
「そう。始めたのはきみだけどねぇ」
ぎっ、と岩手を睨みつけると、福島は岩手に一歩近づいた。二人の距離はあと四歩。
少しの間を空け、意を決したように福島が囁く。
「……あの子から手を引け」
その言葉に、岩手は片眉を僅かに上げた。想定内だったが、まさかここまで直球に伝えてくるとは。嘲笑。
「相変わらず風情のない奴だねぇきみは。ぼくと宮城の仲を引き裂くと?」
「最近、宮城と随分親しいようじゃないか。何が目的だ? 宮城を束縛して、また苦しめるつもりか」
「苦しめる? まさか。あの子がぼくと共にあることを望んでいる。ただそれだけさ」
「巫山戯たことを……」
福島がさらに一歩詰め寄る。岩手は口元だけを釣り上げ、笑みを浮かべた。
「きみには分からないだろう。だけどね、あの子はぼくそのものなんだ。ぼくと共に、いや、同じくあるのが道理なのさ」
「何を」
「そう、だってぼくたちは元々同じだったのだから……きみがぼくたちを引き裂くまでは……っ!」
そこまで紡いだ時、ぶわ、と岩手の殺気が溢れ出した。千年以上紡ぎ続けてきた岩手の呪いだ。どうやらこれは岩手の逆鱗らしい。何を今更、そうは言いつつも、福島はその殺意に、無意識で半歩後ろに下がった。
「宮城はね、ずっとずっと苦しんできたんだよ。他ならぬきみたちの手でね。だからこそ、今度こそぼくが守ってあげなくちゃいけない。誰も触れないように、誰からも傷つけられないように」
「……っ! いい加減にしろ! 宮城はもう立派に成長した! あの子自身でもう選択ができるんだ!! だから」
「だからあの子の意志を尊重しろ、とでも? 宮城に意志なんてないのは、きみが一番知っているだろう」
きみが最初に奪ったのだから。
福島は、その言葉に血の気の引く思いであった。どうしてこいつがそれを知っている。あんな過去のことを。恐らく、福島しか知らないであろうそのことを。
「言っただろう? ぼくと宮城は一つだと。だから、全て知っているのさ」
岩手にしては稀なことに、にっこりと微笑んだ。福島との距離を二歩詰める。
岩手の手が福島へ伸ばされ、
ぽつり。ぽつり。
疎らに降る雨が、地面を僅かに濡らした。空は曇っていても、晴れ間が見えるのに。天気雨か。いや、
「狐の嫁入り」
空を見上げた福島が呟く。その言葉に、岩手は笑いを止め、いつもの無表情へと戻る。
福島はそこでようやく暗闇から解放されたような心地であった。大丈夫、俺はあいつには屈しない。本当にこの手で守りたい、守らなきゃいけないものがあるのだから。心の中で福島は唱えた。
「……遠くからはそう見えても、近づけば過ちだと気付くものだろ。よく見てみろ、嫁入りなんてどこにもやっていないじゃないか」
岩手は今度は言葉を遮らない。
「俺には見える。お前の過ちが、誰よりも」
「……」
「だからこそ、絶対にお前に宮城は渡さない。お前なんかに、宮城に幸せを与えられるものか」
その時、遠くから汽笛が聞こえた。どうやら時間切れのようだ。
ふぅ、と一つ息を吐く。
「……じゃあな岩手、また会議で」
「そうだね」
福島は岩手に背を向け、一度も振り返ること無く駅のホームへと歩み出した。
「……きみじゃ、宮城を幸せにできないだろう」
きみももう忘れてしまったのだろうか。かつての栄光を。ならば、いつか再び教えてあげよう。
「ぼくこそが、この地に幸福を齎すに相応しいのだから」
最後の一滴が岩手の足元にぽつりと落ち、消えた。
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