ふくいばシリーズ | ナノ


▽ 猿猴捉月かの如く


「私、殺したいくらい、茨城さんが好きなのに」
「心から愛してる……」


白雪の肌、射干玉の御髪。極めつけは名を表す秋の橙。にこり、と頬を染め心底幸せそうに笑う秋田は、兄という欲目でも可愛らしく見える。僕の弟、今日も世界一可愛い。ブラコンとかではなく、純然たる事実だ。

……しかしその言葉の内容を除けばである。現実逃避はいい加減やめようか。
どうして僕の周りには厄介な人しかいないのだろう。気苦労の耐えない日々に、また体が四散しそうになる。僕が四人いたらなんとか対処できたのかな……いや、周りが四倍頼ってくるだけだろう。何も解決していない。

はぁ、とため息をついて。

「で?」
「何よその反応」

秋田はムッとしたように口を尖らせる。付き合いの浅い人ならぎょっとするような発言ではあるが、しかし大変残念なことに、この子のこういう発言は今に始まったことではない。第一、久々の休日、そして久々に兄弟で過ごせる時間をこの子は全く……
と思ったところで、ハッとした。
秋田の顔がどんよりと曇っている。しまった。鬱モードだ。

「そうよね……私みたいに陰気な奴よりも、もっと明るい人の方がいいわよね……」
「あ、秋田……?」
「茨城さんはとっても明るい方だもの…………私じゃ相応しくないわ…………」
「秋田?聞いてる……?」
「うぅ…………でも福島だって私とそんな変わらないじゃない!なんで!!??」

あ、自力で復活した。
秋田はぶつぶつといかに自分より福島が優れているかを熱弁しているが、多分そういうところだぞ。
情緒不安定だが、秋田はこう見えて自尊心が強い。それが自信という表れになることは良いと思うが、こういうところではちょっとどうなんだろうと思ってしまう。

「というか多分、茨城はそういう基準で福島を選んだわけじゃないって言うか……」
「は?恋愛失敗経験しかない兄さんは黙っててよ」

う、グサッときた。
悲しいかな秋田の言葉は事実であった。いいな、と思った人にも何故か友人以上の感情を持ってもらえないらしい僕は、未だ心が結びつくような恋が実ったことがなく。
いやいや違う僕は失敗とかじゃなくて、相手の幸せを願って身を引いてるだけだから……そもそも恋愛なんてものは別に必要なものじゃエトセトラ。
ぱっと脳裏に、ちょこんとしたお団子の後ろ姿が浮かぶ。ずっと隣に、いや向こう側にいた彼。あの子はどうなの?うるさい、あいつは今関係ないだろ!

脳内会議の間、秋田は何事か叫びながら、抱えていた一升瓶を一気飲みしている。うわ、いつの間に。
一気は良くないからいい子はやめようね。まぁ僕たちはどうせ死なないので大丈夫。それに秋田は一本くらいで酔うようなヤワな子ではない(酒豪だらけの世界で狂った感覚)。


福島と茨城が目出度く(?)結ばれてまだ数日。当初は各所でゴタゴタが続いていたし、自分も福島とは縁深い身ではあるから、十分に巻き込まれてはいた。主に福島の恋愛相談に乗ったり、福島を取られたくない宮城の相談に乗ったり。……あれ、相談されてばっかりだ。
福島は以前から薄々自覚もしていたし、その感情に気づいてからも比較的落ち着いてはいたと思う。とりあえず、僕に話して来た時は、予想よりも取り乱してはいなかった。ただ自分が相応しいか、そうでないかに散々悩んでいただけで、まだマシだった。自分からは動けなかったのだろう。あまりにもうじうじしていて、見ていて情けなかったからちょっと背中を押してやれば、猪の如く駆けていっていまった。散々悩んでた割には元気そうでなによりである。
問題は茨城だった。あのニブチン。自分に向けられる感情にも、自分が向ける感情にも疎いとは恐れ入った。しかもそれでいて期待させるような素振りを(無意識でも)しやがるのだからタチが悪い。これだから関東は。

……宮城の口調が移ってしまったかもしれない。そう、今回一番荒れていたのはある意味宮城だ。

『あんな奴に突然横から持って行かれるなんてさ、ムカつくだろ?』

 ふざけたような調子の下に、拭いきれない懺悔と羨望と隠して笑っていた。二人を認めてしまえば、彼の望みが一つ叶わなくなる、その転機であることを知っていたから、僕も引き留めなかった。むしろ応援してあげた。これで吹っ切れればいいのに、なんて願望も込めつつ。
宮城は過去のあれやそれやのせいで福島が傷つくことを極端に恐れる。そして彼がいなくなることも。
長い期間で植え付けられたその恐怖は一朝一夕で無くなるものではなく。またそれは、宮城自身の責任というより、福島自身の責任でもあった、と部外者の僕は思う。本人達は気づいていないが。
しかしそれを素直に二人に伝えればいいものを、回りくどく試すようなことをするから厄介なのである。こういう時ばかり彼の厄介な本性が垣間見えるのは、……まぁそんな本性が嫌いではない自分がいるのは確かだが。だが! もう少し大人しくしてくれれば良かったのに、とは強く思う。

それでもって、今度は秋田である。
茨城に多大なる恩(茨城自身はそこまで重視していないが)がある秋田は、以前より彼に仄かな恋心を抱いていた。(仄か、とは言いつつも周りにはバレバレであったし、重い愛情に何人がドン引きしていたかは定かではないが)
猛烈にアタックを繰り返した秋田ではあったが、茨城との親愛の壁を越えることはできず。結局茨城が選んだのは、(秋田にとっては)まさかのまさか、同じ東北の福島だったのである。
福島の幸福を心から願っていた身としてはこの上ないことではあったのだが。まぁ少し癪に触るのは置いておいて。第一その役目は宮城に任せたのだから。

秋田の荒れようは凄まじかった。
数日に渡り部屋に引きこもり、耳を済ませてみると恨み言、恨み言、恨み言。
挙句飲んだくれて、酒が無くなれば電話で僕に家まで持って来させる始末。ここまで荒れた秋田は、兄である僕も見たことがなかった。
いつもは誰よりも自分に自信を持っていて、それでいてちょっとだけ不安定で。そんなところが放っておけなくて。それでも兄である僕に心配をかけまいと、気を遣う優しさがある子なのだ。
……それほどまでに、秋田は茨城に本気だったのだ。
憧れが高じた、彼の精神年齢特有の思春期のようなものかと思っていた。一時的に熱を上げて、恋に恋するような、そんな時期。いつか冷めて、それを乗り越え糧になるような。人にもあるように、僕達のような存在にもあるものだ。
弟の気持ちを侮っていた、のかもしれないな。
ごめんね、と独り言ちる。
今はその言葉は心の中に留めておこう。そしてまた、言える時がきたなら。
……兄らしく、優しくしてあげよう。

しかし今は今である。

「はいここまでー」
「いやあああああ!!!!」

酒瓶は没収。
お肌に悪いよ!と叱ると、もう見せる相手もいないし……とまたうじうじし始める。ああもう、これは時間がかかりそうだな。

と、そこで、床に置かれた一個の林檎が目に止まる。……何故林檎? 毒々しいまでに赤赤とした林檎だ。
青森でも見舞いに来たのだろうか。そういえば青森は最近姿を見せない。さては、巻き込まれたくなかったな?一通り終結してからやって来たのだろうか。青森と秋田は親しいし。そう視線に込めて秋田を見ると、そこでようやく思い出したように秋田が呟く。

「……岩手が来たわ」
「は?」

それは予想外の言葉だった。あの岩手が!?
まさかあいつ、秋田をここまで落ち込ませた元凶か!?余計なことしやがって!
秋田と岩手は犬猿の仲。その岩手がわざわざ秋田の元を訪れるなんて。
何を言われたのか問い詰めようかと思ったが、それより先に秋田が言う。

「随分と気味の悪い笑顔を浮かべていたけど、何があったのかしら」

思い出すのも嫌なのか、秋田はそれだけ言うと布団に潜り込んでしまった。
なんとなくの嫌な予感。岩手の笑顔なんてしばらく見ていないぞ。……岩手がそんなに喜ぶようなことがあっただろうか。……もしかして?
いやいやまさか。ふと浮かんだ親友への懸念。岩手が憎しみ以外から行動を起こすほど執着しているものなんて、彼以外に有り得ないのだと、ほんの少し似た感情を抱える山形はすぐに気づいた。
だがまずは目の前の問題を解決してから取り掛かることにしなければ。
いくら近くなっても、山脈の隔たりは今も大きい。峰を挟んだお向かいさん。あちらの在り方は随分違う。

「……猿猴捉月」

秋田はぽつりと呟いた。中国の故事。

「……それ、岩手が?」
「うん」

思わず眉根を寄せる。随分な皮肉である。
水面に映る月が茨城、猿が秋田か。なんともまた。
岩手は言葉遊びを好むが、それを人との会話に生かすことはあまりしない。というより、岩手の独特な世界観について行ける人がいないというのが大きい。岩手の言葉回しを踏まえて会話できる人なんて……宮城だけだろうか。あの二人は、根本がよく似ているのだ。

にしても、わざわざ数珠繋ぎの意を持つ言葉を使ったのが引っかかる。秋田のことだけではない?
水面の月、仮初の?もしや福島のことも含めて言ったのだろうか?

「私の想いなんて、なんの意味もなかったのね」

布団に潜ったため、少しくぐもった秋田の声が聞こえた。
後悔を多分に含んだ、湿った言葉。

「……それでも、諦められなかった。……捨てられなかった」

少し声が震えている。
布団の上から、ぽんぽんと背中を叩く。少しでも安心させてあげられるように。

「意味が無いわけあるか。恋心じゃなくても、茨城が大切だっていう気持ちは伝わってるよ」
「……でも」
「恋人になることだけが、それを伝える手段だと思う?」

秋田が小さくふるふる、と頭を振る。

「大丈夫。大丈夫だよ」

今は辛くても、きっと秋田は受け入れられる。そして、茨城へ変わらぬ愛を伝え続けることができるだろう。愛の種類は一つではないのだから。


よしよしと秋田の頭を撫でる。いつもは子供扱いは嫌がるのに、今は黙って享受している。
さらさらとした美しい髪は、少し傷んでしまっているけれど。きっとまたいつものような輝きを取り戻すのだろう。


「……岩手の奴、福島と茨城さんに余計なことしてないといいんだけど」

何するつもりよあいつ。ぽそりと独りごちる声が聞こえる。
――ああ、全く。本当に優しい子だ。あれだけ悔やんでいたのに。

「でも結局、彼らの幸せを願ってしまうのがお前だからね」
そういうところ、兄として誇らしく思うよ。

秋田の顔が、酒のせいではなく赤く染った。


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