▽ 頂門金椎、あるいは彼の
パタン。
閉じられた空き部屋の扉。途端襲いくる絶望感。
ああそんな、俺が何をしたって言うんだ!
休憩はこれで潰れてしまいそうだと茨城は肩を落とした。
本日は関東東北の合同会議。東京さんは忙しいため先に退席してしまったが、会議自体は終始和やかな雰囲気で進んでいたはずだ。それなのに。
次いで耳に届いたのはガチャリ、と鍵をかける音。えっ、嘘だろそこまでするか!?
思わず目を見開く。なんなんだ一体。全く心当たりはないが、これは思ったより面倒なことになりそうな予感。
あー嫌だな。もう帰りたい……。珍しく弱気になる茨城は、恐る恐る背後を振り返る。扉を後ろ手に、俯いたたままのそいつ。長い前髪と、ブラインドが下ろされた薄暗い部屋のせいで、表情は黒に塗りつぶされている。彼こそが突如として俺を呼び出した張本人であり、何を隠そう、俺の義理の弟である。基本控えめな彼にしては珍しく、場も選ばずピリピリとした雰囲気を発している。
義理の弟……ああもう面倒くさい。宮城は、会議のちょっと長めの休憩時間中、突然俺を呼び出したのであった。
つかつかと歩み寄る宮城。福島の不思議そうな視線が痛い。そりゃそうだ。俺たちは別に仲が悪いわけではないけれど、特段二人きりで話すような仲ではないのだから。
『おい茨城、ちょっとツラ貸せや』
『ヤンキー!!??』
『茨城には言われたくないだろ〜』
くそ、千葉のやつめ覚えてろ。栃木も面白がって見送りやがったの、知ってるんだからな!
(ちなみに一番面白がっていたのは神奈川である。東京さんがいない会議だといつも弄られるのは俺たちなので……)あまりの無情さに枕を濡らしたのは幾度ばかりか(思い返してみたが、残念ながら一度も無かった)。
「ったく……なんなんだよ、話って」
むっつりと黙ったままの宮城に痺れを切らす。元々俺は気が短いんだよ知ってるだろ。関東は得てしてせっかちではあるが、その中でも俺は群を抜いてせっかち、だと思う。流石に最近自覚はしているぜ。水戸の三ぽいは伊達じゃねぇ!……伊達はこいつだったわ。
そんな俺の苛立ちに気づいたのか、宮城は下を向いたまま、ようやくぽつりと呟く。
「……お前は、福島とどうなりたいのかと思って」
ぽつりとした言葉は、しかし俺にとっては衝撃的なものであった。近年福島と俺は格段に距離が近くなり、一緒に過ごす時間も増えてはきている。しかし、まさか他人からわざわざそれを指摘されるとは思わなかった。他人にそこまで言われるほど、俺たちの関係の変化は劇的だったとでも?
福島のこと、俺は。というかなんだよその言い方は。それじゃまるで……。ふと頭を何かが過ぎる。心臓が少しだけ駆け足になった、気がした。いやいや、そんなはずはない。
困惑する俺を他所に、宮城が顔を上げる。ぎょっとした。その見事なまでの無表情に、部屋の温度が僅かに下がったような気がした。……随分久しぶりに見た表情だな、と無意識が囁いた。そして、
「自覚もないくせに、あいつに近づくな」
淡々と切り捨てやがった。
近づくなも何も、元々隣なんですけど!?宮城は東北のことになると暴走しがちだとは思っていたが、想定以上だ。完全に難癖を付けられているが、一応は他地方。とりあえず揉めるはまずい。かと言って黙って従うわけにもいかないし。なんとか切り抜けないと……
「いやその……福島とは仲良いし、親友?みたいな?」
「……」
「最近は一緒に出かけたりもするし、福島がいいなら、もっと仲良くなれたら、」
「お前は、」
俺の言葉を遮り、一度言葉を切る宮城。
「本当に何も知らないんだな」
まただ。
胸のどこかにピリッとした痛みが走る。福島と一緒にいる時、福島が誰かと話している時、何故か今と似たような痛みが走ることが度々あった。
だがそこは茨城。そんな痛みよりもムカつきが勝った。
「は!?なんだよいきなり。昔を知らなくたって、これからを知っていけばいいだろ!?それじゃダメなのかよ」
「……あいつは過去を抱えて生きる奴だから。もう十分傷ついたんだ。そんな覚悟もない奴に、余計な真似をされたくねぇんだよ」
なんなんだよ、余計な真似って。福島が俺の事嫌ってるってか!?……いやいやそんなはずはない……はず。
宮城の瞳に真っ直ぐに射抜かれる。勿論それに臆する俺ではないが。
俺たちと血が繋がっているはずなのに、福島の弟のはずなのに、その瞳は水を表さない。千葉のような朝の光る水面のような、福島のような夜の静かに佇む海底のような。そのどれでもない薄い緑の瞳。……何故だろう、誰かに似ているような気がした。ブラインドの隙間から零れた光がチリッ、と目を灼く。思わず目を逸らした。
そんな俺の思考など露知らず、宮城はじっと見つめてくるだけだ。
……矢継ぎ早に言いやがって。こいつの考えなんざ分かるもんか。もう当てずっぽうでいいだろ。ええっと……
「……俺と福島が仲良くしてるのがそんなに嫌か?」
そういえばこいつ結構ブラコンだったような気もする。確かに以前よりは回数も増えたと思うが、普通に一緒に休日を過ごすくらいだ。親友同士にまで邪魔をしてほしくはない。そう、親友。
それを聞くと、宮城は微かに目を見開き、続いて脱力したように、はあぁ……とデカいため息をついた。
「お前なぁ……それって素?」
「は?何がだよ」
どういう意味だろう。俺は別に何も……
「とにかく」
瞬きを一つ、呼吸を一つ。宮城は間を置いた。
「お前がそれに気づくまでは、福島との交流は控えてもらうからな」
……はぁ!?何様だこいつ!?
「なんでだよ!!??俺と福島の仲だろ!?」
宮城は動じない。呆れたような目で茨城を見た。
「お前がそういう態度だから面倒が増えるんだよ。とっとと自覚しな」
「相変わらず、何も知らないみたいだから」
――福島のことも、そして自分の気持ちも。宮城はそう心の中で付け足した。付け足すに留めた。
一方の茨城、流石にカチンと来たのである(しかし本日二回目である)。
「さっきから知らない知らないって!お前は福島のなんなんだよもう!」
わけがわからない。突然呼び出されてわけのわからない言葉を並べ立てられて!しかもこいつ、理解させる気が全くない!
頭に軽く血が上って、少し距離のあった宮城の腕をぐいっと掴み、こちらに引き寄せる。こうなったら多少力づくでも、手っ取り早く真意を洗いざらい吐いてもらうしか……。
そこまで考えて、ふと疑問が湧く。あまりにも簡単にこちらに引っ張られた宮城を見やる。宮城は突然乱暴に掴まれたにも関わらず、きょとんとした表情を浮かべるだけだ。
……こいつ、こんなに力弱かったっけ?
ついでに、危機感も無いような。そこそこ交流してきた仲だ。厳しい情勢も目の当たりにしている。それなのに。……この程度の力で、何故生き残ってこられたのだろうか。いや、俺もそこまで鍛えているわけではないけれど、こいつは辺境の国として争いの日々を送ってきたはずだ。それなのに。何故?
暫し呆けていた宮城は、しかしすぐに我に返り、茨城の問いに答える。
「オレは……ただのあいつの重荷だよ」
宮城が自嘲気味に笑った。目は伏せられ、目の前にいる俺ではない誰かを見ているようだった。
誰を?
そう聞こうとした。
と、そこで、ピピッと電子音が響く。
驚き、二人して目を向けると、発信源は宮城のスマートフォンからのようだった。会議に遅れないように、ちゃっかりアラームを設定していたようだ。
宮城は一つ自身を納得させるように頷くと、俺の手からするりと抜け出し、未だに鳴り響くアラームを無造作に止めた。と、そのまま踵を返し、スタスタと扉の方へ歩いていってしまう。
「え、おい!話はまだ」
「はぁ……お前があまりにも鈍いせいで、思ったより時間食っちまったんだよ……」
じと、と宮城に睨めつけられる。次いで舌打ち。あれ、お前なんかキャラ違くない?
「とっとと戻るぞ」
全く釈然としない思いを抱え、俺は急かされるように部屋を後にしたのであった。
(その後、神奈川さんっ!今日も顔が良いですねっ!と目をキラキラ輝かせる宮城の姿を見て、こいつ……別人なんじゃ……と得も言われぬ不気味さを感じてしまう茨城であった)
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