や、これは前にも話したことだとは思うんだけれど改めて言わせてもらおう、僕は虚無主義者なんだ。といっても僕は長く生きている割に無学だからこれが本来の使い方なのかよくわからないのだけれど、まあそうなのだよ。僕は虚無主義者なんだ。だってそうだろう。形あるものはいつか必ず壊れ人間はとうとう七十億の大台に乗りそうなほどぼこぼこ生まれるけれどそれを上回る人間がさんざん死んでいる。歴史なんて大掛かりな閻魔帳に他ならないと僕は思っているよ。その閻魔帳だって人類が、いや違うかな、それを読解できる生き物がいなけりゃただのガラクタだし、そして読解できる生き物がいたとしてもそれだっていつかは息絶える。僕らがいい例じゃないか。僕らは並大抵、いや並大抵以上のことをしても滅多なことじゃあ死にはしないけれど、でも僕らみたいな存在にもいつか必ず死というものは訪れる。不老不死の存在なんてきっと本当に、架空の中でしか存在しえないんだ。だからこそ人はそれに憧れる。自分というものが消えゆく定めではないと、自分がしてきたこと、生きてきたことがすべて無に帰すということを打ち消す存在を渇望する。確かこれは実際にあった外国の拷問方法なのらしいけれど、ある人間に延々と一日中、いやそれ以上ずっと地面に穴を掘らせ、そしてある程度の深さになるとそれを埋めろと命令するというものがあるそうだ。それは僕らが考える以上に人々の身体を、心を摩耗させていった。いわば生きるということはそういうことだ。拷問方法にも使われるほどに、自分がしてきたことが無駄だと理解させられることは苦痛だ。人間ってのは愚かなことに知能が発達してしまっているから、それをいやというほど理解できるのさ。そして、死なんてその象徴だ。今までさんざん必死に生きてきたとしても、いつかは死という絶対的存在の前にひれ伏す。無に帰されてしまうんだ。それはつまり、とてもひどいことだとは思わないか? 神がいるかどうかだなんて僕は知りもしないけれど、でも本当にいたとして、そしてなおかつ僕ら、いや人間か、人間を作ったのだとしたら、とてつもない加虐趣味をお持ちなのだろうな。僕なんか足元にも及ばないよ。だって僕はその神とやらが作った拷問に恐れ戦き敗北しひれ伏し地面に膝を打つどころか額を擦り付けたのだから。そんな人間がこうして半永久的に生きることのできる身体を手に入れることになるんだから、本当に神様ってやつは悪趣味だ。君もそう思うだろう? そして君は賢いからこそ、それを終わりにしようとしていたはずだ。なのに君は……おっとこれは、別に僕が関与すべきことではないか。まあそこはどうでもいい。とにかく僕は、そういった神が与えた虚無に耐えられなかったんだ。すべてのことは無意味で虚無だということに耐えきれなかった。それに気づかないほど、その考えを馬鹿らしいと一蹴する度胸もなかった。君は僕がとてつもない加虐趣味の変態野郎だと思っているようだけれど、実のところ僕はとてつもない臆病者だと自分のことを認識しているよ。ほら、僕は最初、あの村でもへこへこした態度をとっていただろう。君や、あの若先生、いや沙子さえも、あれを僕の仮面だと思ったことだろう。猫かぶりだと思ったことだろう。でも本当は、あれが僕の本質なのではないかと思うよ。僕はひどく臆病だ。賢さゆえの臆病さではない。いやこの際臆病でもなんでもないのかもしれないけれど、僕はひどく世に絶望していた。絶望だってするだろう、だって僕たちがしていることは将来的に見ればまったくもって無意味なもので、生産性なんてどこにもない。あったとしてもそれは一過性のもので、その一過性に価値があるのだとのたまう人間だっていつかは息絶える。それは本当に意味のあることだと言えるのか? さんざん汗水垂らして掘った穴を埋めるときに、同じことが果たして言えるのか? 答えはおそらくノーだ。たとえそれでも価値があると口にする人間は、認めたくないだけなんだ。自分がしてきたことがすべて無駄だと気づきたくないだけなんだ。虚無に、気づきたくないだけなんだ。ああ、僕もそういう人間になりたかったよ。だって大半の人間が、その虚無に気づかず、気づいたとしてもそれから目をそらして日々を謳歌しているんだから……おっと、今の僕たちは人間じゃあないわけだが。ハハハ。
 さて、そんな風に虚無主義もどきを貫いていた僕なもんだから、当然死にたがりでもあったわけだ。だってそうだろう。この世は虚無の塊だ。虚栄の箱庭だ。そんなものにずっといたいなんて誰が思う? だから僕は死にたがりだった。でもその死さえも無駄になるのだと思うとどうしても行動できない、その自殺さえも無意味だと思って実行できない愚か者、いや臆病者だった。そんな時だよ、沙子に出会ったのは。もはや大昔過ぎて、沙子に出会ったのが先なのか、僕が人狼になったのが先だったのか覚えていないけれど、僕は沙子に出会った。滅びの象徴に出会った。歓喜したよ。いや歓喜なんて言葉じゃ足りないな。狂喜有頂天その他諸々、とにかく僕はとてつもない充足感を得た。だから沙子に付き従ったんだ。沙子ともずいぶん長いこといたけれど、その美しさはやっぱりどれだけ時を重ねても美しいままだった。今もきっと美しいままなんだろうね。それを独占できている室井さんを思うと嫉妬で気が狂いそうだよ。いや、これは嫉妬ではないのかな。たとえそうだとしても、この感情をほかの言葉で表すすべを、僕は持ってはいないのだけれど。……どうして沙子が生きていると確信しているか、だって? 君、本屋にはいかないのか? というか、テレビとか見てないのかい? ええ、君、何をして生きているんだよ。確かに僕は虚無主義でこれを見ている自分もいつかはいなくなるしなあとか思うけれど、そこらへんの娯楽は楽しんでいるつもりだよ。なんせ暇だからね。本当に暇だよ、今は。沙子を探しているだなんて言っているけれど、実際のところ、僕は沙子を探してはいないんだろうね。そう自分でも思うよ。でもいつか出会えたらいいな、とは思う。しかし僕は本当に沙子と再会して、また昔と同じように組めるかと言われたら、それはまた別なことのように思うのだよ。だってほら、周りを見てごらんよ。土葬なんて時代錯誤なことをするところなんて日本じゃまずない。外国に、それも辺鄙なところに行かなきゃ不可能だ。そして沙子はおそらく、外国にはいかない。いけないともいえるけれどね。言ってしまえば、あの村がラストチャンスだったんだ。あれを逃したら最後、もう沙子のあの笑ってしまうほどにけなげな願いはかなうことがないのだろうなと僕は思っていた。実際その通りだと思うよ。でも沙子はきっと死んではいないのだろうね。きっとこの日本のどこかの暗闇で生きながらえていると思うよ。僕や君、いや、君たちと同じようにね。そう、ただ生きているだけになっているのかもしれない。それは今の僕や君たちにも言えることなのかもしれないけれど、きっと沙子もそうなってしまっているんだろうな。それは少し悲しいよ。あの無謀さがあってこその沙子に、僕は美しさを見出していたんだ。それがないのだとしたら、沙子は君が連れてるその子とたいして変わりはしないよ。つまりは僕の興味の対象ではなくなってしまったんだ。だとしたら、僕のこの世の唯一の楽しみがなくなってしまったのだとしたらさっさと自ら命を絶つのがセオリーなのだろうけれど、こうして君たちとばったり再会できるくらいにはあれから生きてしまったよ。僕はやはり、自殺にも意味を見いだせない怠惰者なのかと自分で自分に呆れたものだよ。ただただ生きているだけの肉の塊なのかとため息を吐いた。でも今この瞬間だけは、こうして生きているのも悪くないと思っているよ。君たちに再会できて、こうして話をできたからね。や、本当にびっくりしたよ。適当に訪れた地で懐かしいにおいを嗅いだものでね、興味深くて追いかけてしまった。ハハ、生きているとは思わなかったよ、それはお互いに言えることかもしれないけれど。よくぞあの村を生きて出れたね、尊敬に値するよ。それも、その子を携えてともなれば拍手喝采だ。まあ、その子も君も、もう子供と称せる年齢では到底ないから、その子という表現もおかしな話だけれど。本当にその子は僕が怖いんだねえ、そりゃそうか。ハハ。まあ昔のことだ、お互い水に流そうよ。僕だって別に、君たちを殺そうだとか思って追いかけたわけでは決してないんだよ。懐かしいにおいがしたからと言っただろう。これは嫌味でも当てつけでもなんでもない、本当に懐かしいにおいがしたから、気が向いてこうして会いに来てみただけだ。それにしても、よくもまあ屍鬼を連れて生きて行けるもんだ。僕だってしていたことだけれど、大変だろう。それに逃げ出したとき、君たちはまだ高校生だったはずだ。その若気の至りとも言えてしまう行為を、よくもこう何十年も続けられたもんだ。感嘆に価するよ。そのけなげな友情に涙が出そうになる。ましてや自分を殺した存在と一緒に暮らしているだなんて、いっそ狂気とさえいえるよ。いや実際、くるっているのかな、僕も、君も、その子も……。まあそれは人間の世界のことわりだ、僕たちには適用されない狂気さ、気にすることはない。君はやはり興味深いよ、見ていて飽きない。沙子とは違った興味深さだ。だからと言って君に付き従う気は全くないけれどね。君と一緒にいたらそのわんこくんが寝小便をしてしまうかもしれないし、何より僕が君に殺されそうだ。別にそれでも構わないけれど、まあこれでも今のこの沙子探しもどきはそこそこ気に入ってるんだ。こうして君たちにも出会えたわけだしね。こういう出会いがなきゃ、ね。いつか尾崎の若先生にも会ってみたいものだ。あの狂人はいったい今どこで、普通の人間の顔をして生きているのかねえ……興味があるよ。
 それにしても、よくもまあその子は君についてきたもんだ。いや、どうせ君のことだろうから誘拐、いや拉致に近い形だったことは想像に難くないけれど、そこが解せないんだよ。どうして君はあの村で息絶えることを選ばず、その子を連れて逃げ出したんだい? てっきり君は、僕を殺しに来るもんだと思っていたよ。そしてその子にはしかるべき報いではなく杭を受けさせるもんだと思っていた。なのにどうだい、ふたを開けてみれば君たちは手を取り合って、いや取り合ってないか、君が勝手に彼の手をわしづかんで逃げ出したわけだ。興味がわかないわけがない。君の考えていることが全くもってわからないよ。どうして逃げ出したんだい? 僕はそこに興味がある。どうして彼を連れ出して生きようと思った。はっきり言って、人狼にとって屍鬼というのはお荷物以外の何物でもないと思うよ。人狼一人なら、案外どうとでも生きていけるもんさ。だってはたから見たら人間とたいして変わらないからね、まず人外だとはばれまい。だが屍鬼はどうだい、体温もなければ脈もない、呼吸さえもない、そして何より日に当たれば肌が焼けただれ血液以外のものを口にはできず、人を狩らねば生きていけない。そんな存在を抱えながら生きていくのは想像以上に骨が折れることだ。身をもって知っているよ。それを十五歳の少年がしたというのは、とても面白く興味深く馬鹿らしい。君は賢いからわかっているはずだろう、その無意味さを。どうせ君のことだからその子に血を飲ませはしても殺させはしなかったんだろう。まあ一人の人間を死ぬまで吸血しなければいけないわけではないからね、ちょっと工夫すれば、いや工夫しなくともいい、毎日別の人間を吸血すればいいだけの話だけれど、それだって想像を絶する苦労だろう。よくもまあ殺さずにいられるもんだ。君も、その子もね。ある意味一貫していて美しいものがあるけれど。美しいものは好きだよ、見ていて飽きない。
 なあ、どうして君はその美しいものになろうとしたんだい。友情なんて、そんなちゃちなもんじゃあもはやないだろう。友情というには行き過ぎている、友好というのには美しすぎる、友愛というにはいびつすぎる。なあ、どうして君は自分を、その子を生かそうと思ったんだい? どうしてこんな馬鹿げた逃避行をしようと思ったんだい? そんな秀麗で醜悪なことをしようと思ったんだい? 昔の好だ、教えておくれよ。僕はそれを聞いたら、どこかにいるであろう沙子を探す旅にまた出かけるからさ。サ、ササ、教えておくれよ……。
 ……へえ、はは、ははは、はははははは、そうか、そうかそうかそうか、答えられないか。答えないのではなく、答えられないのか君は。実に興味深い、興味深く愉快だよ、は、ははは……君はその答えを持っていないわけだ……どうしてその子を生かそうと思ったのか、自分を生かそうと思ったのかわからないわけだ……その冷たく悲しい生き物を生かそうと思ったか、わからないわけだ……愉快、愉快……こんなに笑ったのは久しぶりだよ、はは、はははは……。
 そうか、答えがないのならば仕方がないね、お暇するよ。そろそろ夜も明ける……その子はおねむな時間だろう……これは選別だよ、この前襲った人間の血をいたずらに瓶に入れておいたんだ。こうして見ると、血もワインもたいして変わらないものだと、僕は思うよ……ほら、月の光に透かしてごらん、どちらが酒だか、わからないだろう……だがやはり、血のほうがずっと美しいね……素晴らしいことだよ、美しいものを飲んで生きることは。は、はは……僕が来たから食事に行けなくて腹が減ったことだろう……その子に飲ませなさい……なあに、毒は入っちゃいないさ……もっとも、毒を飲んだところで屍鬼は死なないのだけれど……そういえば、君は血を飲んでいるのかい……いや訊くまでもないな、野暮だったよ、すまないね、はは……。
 じゃあ僕はこれで失礼するよ、楽しい時間をありがとう。またご縁があったらこうしておしゃべりしようじゃないか、僕は案外、しゃべることが嫌いじゃあないんだよ、君は嫌いそうだけれどね……よっと……。
 ああ、そうだ、今ふと思ったんだけれど、君がわからない数式の答えについてふと思ったんだけれど、もしかして君のそれは、とてつもなく大仰な復讐劇なのかい? 自分を殺し、醜悪な生き物にされたことに対する報復なのかい? だとしたら、それはとても有効に働いているようだよ。ほら御覧、君の隣にいるその子、とても幸せそうには見えない。世間におびえて殺人におびえて自分におびえて、何より君におびえている。先ほど友情だなんだといったけれど、君たちの間にそれはもう存在していないように思える。あるのは、呪いのようなしがらみだけだ。茨のようなそれは君たちをつなげて離さないし、その肌を傷つけてならない。確かに屍鬼も人狼も傷なんて一瞬で治るけれど、それをずっと永遠に絶え間なく続けているとしたら、それは果たして治っているといえるのか? ふふ、そう怖い顔をするなよ……ふと思っただけさ、本当に、ふ、とね……。
 でもそうだな、君の隣にいるその子、その子はどうやらその答えを知っているようだよ。君が知らないままに自分を連れ出した理由を、数十年生かしている理由を、その子はどうやら知っているようだ……今度訊いてみたらどうだい……とても楽しい夜になると思うよ……その時には僕も呼んでほしいな、その答えを聞いた君が、どんな破滅の道を歩むのか、僕はとても興味がある……ははは……。
 さて、今度こそお暇するよ。これ以上ここにいたら君に殺されてしまいそうだ……吸血していない人狼なんて屁でもないが、僕は君にそんな終焉を迎えてほしくはないんだよ……どうせなら美しく散りたまえ。そしてその終焉を、ぜひ僕に見せてほしいな……。

 それじゃあ、二人で仲良く。また会ったらよろしく頼むよ……夏野くん、徹くん……。



2017/11/18