学校の外で変わった友人ができた。名前は結城夏野。あんまりにも名前を言わないから無理やり聞き出したその名前はその容姿にあったすずやかな名前だった。さわやか、とは思わなかった。確かに透き通った綺麗な名前だとは思ったが、さわやか、とは何かが違う気がする。夏野は確かにきれいだけれど、さわやかかと聞かれたら首をかしげる。さわやかとすずやか、は、似て非なるものだ。「夏野って動物に嫌われるよなあ」夏野が来たことで一目散に逃げ去っていった猫たちを横目に見ながらそうつぶやく。夏野はそうかもね、なんて言いながらどこで買ったのかわからない高そうなしゃれたコートを揺らした。年齢を聞いていないからなんとなくしか知らないけれど、おそらく俺より年下であろう夏野が制服を着ているところを見たことは一度もない。こうして俺がサボタージュを決め込んで路地裏で煙草を吸っている今でもだ。学校には行っていないのだろうか。初めてであったのも俺がこうして不良行為をしている真っ最中であったし。「夏野って学校かよってんの」「昔は」「へえ」つまり、今は通ってないと。それ以上のことに踏み込めるほどの仲ではないから、そこで会話は終了する。夏野はいつも必要以上のことは口に出さない。秘密主義というものだろうか。いつもその端正な顔を無機質に固めて、俺が煙草を吸っているのを静かに見守っている。まるで番犬だなあ、となんとなく思った。いや、でも夏野の場合、犬っていうより狼って感じがする。なぜだろう。フィルター一歩手前にまでなった煙草をコンクリートに放る。靴底で火種をつぶしながら、俺はなぜか、そう言うのが最善であるかのように、こんなことを嘯いていた。「なあ夏野、逃げよっか」振り向いた先の夏野の両目がこぼれんばかりに見開かれる。なぜだか、その顔に無性に罪悪感を抱いた。子供が必死に隠し通していたものを、無慈悲にさらけ出してしまったかのような後味の悪さが舌の上に乗る。歯を立てた自分の唇には、まだニコチンのにおいがふんだんに含まれていた。夏野の口が何かを叫ぼうと開かれる。俺はそれを掌で阻んで、ごめんなと口にした。これもまた、まったく意図せずに出てきた言葉だった。なぜ俺は、こんな得体のしれない少年と話す気になったのだろう。どうして仲良くしようという気になったのだろう。どうして逃げようだなんて言ってしまったのだろう。どうして謝ってしまったのだろう。解き方が全く分からない数式を前にしたように、俺の頭はさび付いてうまく動いてくれなかった。ただ、夏野がその言葉をずっとずっと、それこそ何十年も待っているような気がしてならなかった。「なつの」夏野の紫色の目に俺が映り込んでいる。夏野より少しだけ年上な男を映した瞳は紫になったり金色になったり赤色になったりする。俺はそれに気づきながら、なぜかそれが当然であるように何も疑問を持たなかった。だって、俺がそうしたんだから。なぜかそんな意識が根っこにあった。夏野と出会ったのはこの路地裏が初めてなのに、なぜか初夏のころに出会った気がしてならなかった。その名前に紛れ込んだ季節のにおいがし始める青空の下で言葉を交わした気がしてならなかった。ようやく自分の唇から掌が離されたからか、夏野が息を吐く。ため息ではなかった。ただ小さく、鋭く放たれた息は、泣く前の子供の呼吸を思い出させた。「逃げようか、おれたち」夏野が俯く。綺麗なうなじだ。そこに指を這わしながら、夏野が俺のもとに現れることはもう二度とないのだろうな、という確信を俺は持った。もう一度夏野にごめんと言う。次の日のニュースで、一人の少年が飛び降り自殺を果たしたことを俺は知った。テレビに映るその顔はあの路地裏で合わせていたものよりもずっと人間らしく感じる。パンを飲み込む。指先に残る冷たい体温は、いまだに俺の肌をさいなんでやまなかった。どうしてか、涙が止まらなかった。


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2017/12/03