噴水のある広場
[オチアイさん視点]
静まり返った家々の間を通り抜けると、再び道が開けた。そこは町の広場だった。かつて人々が集い、憩っていた場所。今はもう、その賑わいを聞くことはできない。
廃墟のはずなのに、この場所は不気味というよりも、何だか懐かしかった。なぜだろう…子供の頃の記憶?ほんの少しの安らぎと、言葉にならない寂しさを感じる…もう戻ってこない過去の時間を、懐かしんでいるのかもしれない。
広場の真ん中には、噴水の跡が残っていた。石造りの台に幾つか空けられた小さな穴から、水が噴き出すだけの簡単なものだけど、子供の頃はそれが最高のアトラクションだった。水に向かって全力ダッシュで突っ込んで行って、顔がびしょ濡れになってワーンて泣いて、父さんが呆れながらハンカチを渡してくれたことを思い出す。かつてこの町にも、そんな微笑ましい親子がいたんだろうか。
噴水の一角を囲うように建てられた、鉄の柵に寄りかかり、ぼんやりと物思いにふける。すると、あるものに目が留まった。噴水の底に彫られた、一対の鹿の姿。片方は大きく、立派な角があり、もう片方は角がなく、とても小さいのを見ると、多分、親子だろうか。古くから神聖とされているこの動物は、この町においても、大切なシンボルだったのかもしれない。
でも、何でだろう。これを見てると、すごく悲しい気持ちになるのは…
「あの、オチアイさん、そこ…」
「え?」
不意にしょうちゃんに声をかけられ、腕を置いていた手すりを見る。思わずアッと声を上げて飛び退いた。何か得体のしれない、べろっとした黒いモノが手すりに引っかかってる。何で今まで気づかなかったんだ…
「これは、何ですかね…?紙?」
「ああ、ほんとだ、何枚か重なってる…」
「えっ、何か見つけました?」
「ああ、真っ黒な紙?みたいな…」
「真っ黒な紙…?」
「これは多分、画用紙ですね…黒い画用紙…?」
サトルがカメラを向けるそばで、しょうちゃんが恐る恐る手を伸ばして、慎重に紙を広げていく…
「わあ、全部真っ黒…」
「でも、確かに何か描いてあるね…これは、花かな?花の絵…」
「ほんとだ、ちゃんと色もある…何となく、子供の絵っぽいですね…」
紙は一面黒いけど、よく見ると、確かに絵が描かれていたのが分かる。2枚目を見ると、所々白い部分も残っていて、建物の青い屋根や、独特な装飾がされた壁、門らしき部分も見える。これは…昔の学校か?どこか懐かしさを感じる風景だ…でも、いったいどこで見たんだろう?
最後の3枚目には、何かの動物のような姿が連なって見える。中心にいるのは恐らく中型の動物で…よく見えないけど、多分鹿だと思う。黒の中に、亡霊のように浮び上がる赤や黄色の色彩は、恐らくクレヨンか何かで…
その時、しょうちゃんが思いもよらない言葉を口にした。
「あっ…これ、黒い紙じゃない…」
「えっ?」
「触ると分かるんですけど…元から黒いんじゃなくて、何か、カビっぽい…」
「えっ…じゃあこの黒いの、全部カビってこと?」
「侵食されちゃってるのか…!」
急に背筋が寒くなり、思わず後ずさる。しょうちゃんはうろたえた様子で、紙を元の手すりに戻す…と、手元が狂って、1枚の紙がひらひらと宙を舞い、噴水の底に落ちた。丁度、そこに彫られた鹿の顔を隠すように。
「あっ…」
次の瞬間、ゴボッと何かが溢れ出る音がして、思わず噴水の方を見る。まさか、水が…?
「えっ…待って、何か赤い…」
「わあっ、気持ち悪っ…!」
穴から溢れ出てきたのは、真っ赤な水だった。恐らく錆びてるんだ…見る見る他の穴からも吹き出して、鉄臭い匂いが辺りに溢れ、底に刻まれた鹿の姿と、黒い紙を真っ赤に浸していく…まるで地獄の血の海だ。
どうして再び噴水が動き出したのか…いや、そんなことを考えている余裕は誰にもなかった。もはや身の危険すら感じて、その場から遠ざかるのが精一杯だった。
でも、走っても走っても、背後からゴボゴボと不気味な水音が追いかけてくる気がする…あまりの恐怖に耐えられず、今にも叫びそうになった時、隣りを走るまーくんが不意に立ち止まって、声を上げた。
「待って!何か聞こえる…」
一斉に立ち止まって、耳を澄ませる。遠くの方から、響き渡るように鐘の音が聞こえてくる。とても古いからなのか、音が歪んでいて不気味だけど、何となく聞き覚えのある、ゆったりとした音の並び…
「あれって、まさか…学校のチャイム?」
「そうだ!何か聞いたことあると思って…」
「どうしよう…行ってみます?」
この状況で、わざわざ音を出している場所に向かうなんて、狂気的な選択かもしれない。でも、この時の俺達には、それが最善の選択だと思えたんだ。
「行きましょう。この町について、何か手がかりが掴めるかもしれない」
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