台本本舗 | ナノ
【シェリー】
演者数2人(男・女1人ずつ)

博士(リオ)♂……辺鄙な屋敷に住む偏屈な科学者。30代前後の独身男性。無精髭を生やし、自身に関しては無頓着だが、食べ物に関しては酷く口うるさい。
(英国紳士をイメージしながら読むと雰囲気が合います)


給仕(ロボット)♀…AI知能が組み込まれた、リオに作られた給仕用ロボット。食事に口うるさいリオに人とはなんたるかをしつこく教えられ、次第に料理のレパートリーは増えていくものの、未だ人間らしさからはかけ離れている。
(iPhoneのSiriのような機械的な読み方をオススメします)


・───・台本スタート・───・



給仕N『目を覚ますと、彼は私を見つめて「おはよう、僕のロボットちゃん」と笑った。そして、私が産まれて一週間と半日が経ち、まだ春に入ったばかりの今日、教えられた通りに給仕をこなす私に彼が酷くくたびれたようにため息をついた』


リオ「君は少し、人間らしさが足りないね」

給仕「そうですか」

リオ「人についてもう少し勉強したほうがいいな。こうも毎日同じ食事を出されると、人は飽きてしまうものだよ」

給仕「そうですか」

リオ「君にはこの本を読んでもらいたい。“人間の心理論”、これは、人の感情について書かれているものだ」

給仕「博士。それを読んでも、私にはとうてい理解出来るとは思えません」

リオ「理解して貰わないと困る。とにかく一度、その頭にインプットしたまえ。記憶することは得意だろう?」

給仕「了解しました」

リオ「……(嫌そうに)そこは “わかった” と言いなさい。了解しましただなんて、まるで可愛げがないじゃないか」

給仕「そうですか」

リオ「いったい僕はどこで間違えたのか……AI知能は良質のものを使ったし、データも多くのものを参考にした。もう少し人間らしく出来たはずなんだがな……」

給仕「ロボットというものには限界があります。博士、私は給仕用に作られたはずでは?」

リオ「……そうなんだがな。とにかく、今日の仕事は食事作りだけでいい。しばらくその本を読んで、人というものを理解してみなさい」

給仕「“わかった”」

リオ「……忠実すぎるのもどうかと思うぞ」

給仕「貴方がそう言えとおっしゃりました」

リオ「はあ……もういい。さあ、君はその本を読むために休憩だ」

給仕「“わかった”」


・───・5秒・───・


給仕N『翌日、私はキッチンで見つけたレシピを元に、一週間作り続けたサンドイッチをやめてチーズを乗せたトーストと、クリームスープを朝食に出した。人間らしさについては、まだ良く理解出来なかったが、リオは両手を上げて喜んでくれた』


リオ「ようやくライ麦パンのサンドイッチから解放される日が来てくれて、じつに嬉しいよ」

給仕「そうですか」

リオ「あの本が役に立ったようだね。その調子で、人というものをしっかり学びなさい」

給仕「“わかった”」

リオ「……道のりはまだ長そうだな」

給仕「博士、ひとつ質問をしてもよろしいですか?」

リオ「ん?」

給仕「人とは、親密な間柄になると互いに名前で呼び合うものだと書かれていました。私はあなたを呼ぶ際、博士のままがよろしいですか?名前を呼ぶべきですか?」

リオ「ふむ……では特別に、君には僕の名前を呼ぶことを許そう。実は博士と呼ばれてもピンと来なかったんだ」

給仕「わかりました。では、これからはあなたのことをリオバルドとお呼びいたします」

リオ「いいや、親しみをしめすなら、そこは愛称で呼ぶことをオススメするね」

給仕「愛称とは…」

リオ「僕は家族や友人たちから、リオ、と呼ばれていたんだ。君もそう呼ぶといい」

給仕「リオ、ですね。記憶しました。それではこれから、あなたの事をそう呼ばせていただきます」

リオ「……ふむ、あとは話し方が問題だな」

給仕「善処します」


・───5秒───・


給仕N『本を読むことが、この頃の私の日課になっていた。毎日飽きることなく様々な知識をインプットして、リオに必要なものを生活に取り入れていく。それは、発見するたびにメモリーが点滅するような、そんな新鮮さを感じさせてくれた』


給仕「リオ、この屋敷にはあなた以外の人間が存在しないのですね」

リオ「ああ、そうか。君にはまだ言っていなかったね。そう、この屋敷には僕ひとりだ…いや、今は君も居るね。世話をするのに、苦労はないだろう?」

給仕「そうですね。あなたひとりであれば、貯蔵庫にある食糧だけで数年は賄えます。ですが少し、栄養バランスに偏りを感じます」

リオ「……野菜が少ないことに気付いてしまったか。困ったな。僕は野菜がそれほど得意じゃないんだが」

給仕「人とは心と体のバランスが大事だと本に書かれてありました。あなたの栄養バランスを整えることも、私の仕事です。リオ、この屋敷に苗や種はありますか?」

リオ「まったく、こんなところばかり立派に考えてしまうんだからかなわない。確か、地下の倉庫に何種類か野菜の種が眠っている。使えるかどうかはわからないけれど、試してみるといい」

給仕「“わかった”。では、また本を借りて作物の育て方を覚えます」

リオ「好きなようにしなさい。ここは君の家でもあるんだから」

給仕「はい」


・───・5秒・───・


給仕N『庭の一部を耕して、小さな畑を作った。そこに種を蒔き、水を与え、雑草を抜いて、害虫から新芽を守る。私の日課にそんな時間が加わった頃、庭の木に賑わいが出来ていることに気付いた』


給仕「リオ、庭の木に、鳥の巣が出来ていました。どうしますか?」

リオ「巣箱を作ってやるといい。この時期は季節の変わり目で風も強いし、卵が落ちては可哀想だ」

給仕「可哀想……そうですね。巣箱の作り方が載っている本はありますか?」

リオ「確か、図書室の奥の方にあったと思うよ。探してみなさい」

給仕「はい」


(去って行く音。扉の開閉する音)


リオ「ふぅむ、巣を気にする程度には、人間らしい好奇心を持っているのか。ひょっとすると、僕の設計はちゃんと成功しているのかもしれないなぁ。最近は食事も工夫されているし、なかなかどうして、良い子に育ったじゃないか。……今度、食べたいものをリクエストしてみても良いかもしれないな」


・───・5秒・───・


給仕N『季節はもう夏に入る直前までやってきていた。暖かくなるはずの空はこのところ少し不機嫌で、どんよりとした曇り空が続いていた。そしてそれは、ひとつの予告だったようだ。庭に鳥の巣が出来てからちょうど二週間が経ったこの日、大きな嵐がやってきた。窓を強く叩く吹きすさぶ風が、隙間を縫ってヒューヒューと音を立てていた。耳障りなその音に、私は何か、不快な感覚を覚えていた』


(強風音)


給仕「ひどい風ですね……」

リオ「ああ。この時期にしては珍しい、久しぶりの嵐だ。これは、畑の方はやられてしまったかもしれないな」

給仕「また、耕します」

リオ「そうだね」

給仕「……リオ、なんだか落ち着きません。嵐というものは、こうも複雑な感覚を連れてくるものなのですか?」

リオ「ふむ、それは恐らく不安、という感情だろう。人間なら誰しもが持ち得る感情だ」

給仕「不安、ですか」

リオ「嫌な予感、胸騒ぎ。様々な呼び方がある」

給仕「嵐によって環境に起こる被害を私は予測することが出来ます。それとは違うものですか?」

リオ「予測したとしても、実際にどんな被害が起こるかはわからないからね。君のその状態を、不安と呼ぶといい」

給仕「……“わかった”」


・───・5秒・───・


給仕N『朝方、風は落ち着きを取り戻し、窓の向こうにはいつもの景色が広がった』


リオ「嵐が去ったね。……巣箱の様子を見に行こう」(険しい様子で)

給仕「……!」
(ハッと気が付くように)


(給仕が駆けていく音)


リオ「……やっぱりか」

給仕「わかっていたのですか?」

リオ「あの嵐だ。卵が無事だとは思っていなかった」

給仕「なら、守ることも出来たのでは?」

リオ「あの嵐じゃ生身の僕が外へ出ることは不可能だし、卵を守るために君を危険に晒すことも出来ない。設計上、君の身体は水にはあまり強くないんだ」

給仕「……私には、何も出来ることはなかったのですね」

リオ「……そうだね」

給仕「……リオ、この感覚は、どう形容すればいいのですか?」

リオ「どんな感覚なんだい?」

給仕「この割れた卵を見ていると、何か、エネルギーを失ったような感覚になります。重要なコネクタがひとつ抜けてしまったような、まるで、胸部に足りないものがあるかのような……」

リオ「……そうか。君はきちんと感情を持ち始めているんだね……」

給仕「これも、感情と呼ぶものなのですか?」

リオ「そうだ。それは、“悲しい”と言う感情だよ。君は、この卵達を失って悲しいと理解しているんだ。人は悲しみを感じるとき、胸にポッカリと穴が空いたように感じるんだ」

給仕「悲しい……そうですか。この気持ちは、悲しいと言うのですね……」

リオ「ひどく、人間らしい感情だ」

給仕「……そうですか」


給仕N『潰れてしまった足元の卵達を見下ろし、私は悲しいという気持ちを頭にインプットさせる。リオはただ黙って、私の肩を優しく撫でた。生命というものは、なんと儚いものなのか。機械で作られた私には、その尊さが遠いものに感じた』


・───・5秒・───・


給仕N『夏が訪れ、庭の作物は豊作を見せていた。その頃の私は、料理を工夫することの楽しさを覚えていた。苦々しげにスプーンを揺らすリオを見つめ、こっそりとほくそ笑む』


リオ「君の勝ちだ」

給仕「好き嫌いがなくなったようで、喜ばしい限りです」

リオ「まさか、人参をミキサーにかけてまでスープに入れるなんてね……恐れ入った」

給仕「必要な栄養を摂るためです」

リオ「そうだね。工夫してくれてドーモ アリガトウ。……まったく、いったいどこでこんなことを覚えてきたんだか」

給仕「この前見つけた育児本というものに書かれてありました」

リオ「……君に子供扱いをされる日が来るとはね」

給仕「空いた時間は全て、情報の処理にあてています。あなたの健康を守ることが私の仕事ですよ」

リオ「ありがたいのか、悲しいのか、やれやれだ」

給仕「おや、悲しいのですか?いったい何を死なせてしまったのです?」

リオ「ああ、いや。別に何かを死なせてしまったというわけじゃないよ。悲しいという感情にも種類があるんだ」

給仕「はあ。感情とは、難しいのですね。そう種類がいくつもあっては、覚えるまでに時間が掛かってしまいます」

リオ「人間というのはとにかく、複雑に出来ているんだ。すぐに理解することは難しいだろうさ。それこそ、他人を真に理解するなんてことは不可能に近いほどだ。研究を続けるしかないだろうね」

給仕「そうですか。では、また勉強します」

リオ「なら、母の残したノベル本が地下に眠っているはずだ。ノベルには人の心の描写が多い。参考までに読んでみるといい」

給仕「“わかった”。時間を見つけて探してみます」


・───・5秒・───・


給仕N『知識本ばかり集めて読んでいた私だったが、リオの母親が残していったという本を読むことで、人間についての理解がガラリと変わった。たまには私の思うように、好きに動いても良いのだ。聞かん気の頑固さもまた、人間らしい感情なのだと本は教えてくれた』


給仕「リオ、部屋にこもってばかりでは身体に悪いと知りました。今日から散歩をする習慣を身に付けましょう」

リオ「うっわぁ……君ってば、まぁたそんな要らない知識ばかり集めてきて……」

給仕「必要な知識です」

リオ「確かに体力は落ちてきているけれど、不便を感じたことはないよ」

給仕「あなたの健康のためです」

リオ「うわ、こ、こら!引っ張るんじゃない!僕は外は得意じゃないんだ!今は夏で、日焼けはするし虫がたくさん居るし、」

給仕「さあ、行きますよ」

リオ「君は時々ひとの話を聞かないな!」

給仕「それも個性だと、本には書かれてあります」

リオ「……いったい母はどんな本を集めていたのだろうね。読ませるのは間違いだったみたいだ」

給仕「とても素晴らしいノベルばかりです。世界の素晴らしさ、生きることの素晴らしさ、人と過ごす素晴らしさが描かれていました。間違いではありません」

リオ「そう……。僕も今回のことで、君が影響を受けやすい性格だということがよ〜くわかったよ」

給仕「私はロボットです。性格という人格は持ち得ていませんよ」

リオ「どうかな。現にいま、こうして僕を引きずってる強引さがある」

給仕「主人の言葉に逆らうなというプログラムが私には存在していません」

リオ「ふむ、僕の次の課題が見つかったようで何よりだ」

給仕「それはそれは、良かったですね」

リオ「育て方を間違えた気分だよ」


・───・5秒・───・


給仕「リオ。足元、気をつけてください」

リオ「へ? うわ!……驚いた。今のは猫だったかい?」

給仕「ええ。ここ最近、たまに顔を出すんです。悪さをしないので放っておいたのですが、いけませんでしたか?」

リオ「いや、悪くはないが。突然足元を横切られたら驚くだろう?」

給仕「そうですか? 彼はネズミを追い払ってくれるので、私は助かっているのですが…」

リオ「……彼って、君はあの猫の性別まで把握しているのかい?」

給仕「初めて彼を見た時に、駆除しなくてはと思い、捕まえたことがあります」

リオ「駆除って……」

給仕「私が捕まえても落ち着いた様子だったので、もしかすると、どこかの家の飼い猫なのではと考え、逃しました。それ以来、彼はこの場所にたびたび顔を出すようになったんです」

リオ「君が猫を手懐けたり出来るなんて……」

給仕「懐いているというのですか?これは」

リオ「普通、野良猫は人間に簡単には懐かないものなんだ」

給仕「私はロボットですよ。それより、彼は野良猫なのですか?どうしてわかるのですか?」

リオ「ああ、この辺りに人は住んでいないからね。飼い猫である可能性がない」

給仕「少し向こうに街があります。そこから通って来ているのでは?」

リオ「……いや、あの街にはもう、誰も居ない」

給仕「何故です?」

リオ「少し前に、疫病が蔓延して封鎖されたんだ。街の人間はみんな、そのまま死んでしまった」

給仕「…そんなことが……」

リオ「だから、彼は野良猫だよ」

給仕「……そうですか」

リオ「さあ、もう昼になる。屋敷へ戻ろう」

給仕「……はい」


・───・5秒・───・


給仕N『夏の真ん中。テーブルに並べられた食事を前にして、リオは大喜びで大きく手を叩いた』


リオ「マッシュポテトにグラタン、卵のサラダ、ローストビーフ……! 料理のレパートリーが随分増えたね」

給仕「図書室でお母様が残した料理本を見つけました。あなたが好きな食事もメモされていました」

リオ「ああ、だからこのところ懐かしい味が並んでいたわけだ」

給仕「リクエストがあればお応えしますよ」

リオ「君にリクエスト出来る日がこんなに早く来るとは!素晴らしいじゃないか!ではお言葉に甘えて、明日の夜にビーフシチューが食べたいな」

給仕「わかりました。レシピを探しておきます。リオ、グラタンのお味は?」

リオ「ああそうか、君は味見が出来ないのだっけ。とても美味しいよ」

給仕「それは良かったです。明日以降も、何かリクエストがあればおっしゃってください」

リオ「ぜひ、そうさせてもらうよ。ふむ、毎日が楽しみになって来た!」

給仕「ひとまずは、ビーフシチューが上手くできるように祈っていてください」

リオ「くくく……。そうしよう」


・───・5秒・───・


リオ「ところで、最近窓の方に小鳥たちが寄って来るようになったのだけど……」

給仕「先週、あの新しい卵が孵ったんです。様子を見に行った時、タイミング良く生まれました」

リオ「……親鳥は?」

給仕「親鳥は何処かへ出かけていましたから、私が立ち会いました」

リオ「なるほど。それで、彼らは君を母親だと思い込んでしまったわけだ」

給仕「……? どういう意味ですか? 私は彼らを生んではいませんよ」

リオ「刷り込みというヤツだよ」

給仕「刷り込みとは?」

リオ「生まれたばかりの雛は孵化して初めて見たものを親鳥と認識してしまうんだ。つまり、小鳥たちは君を母親だと信じているんだよ」

給仕「困りました。私には彼らに何をしてあげればいいのかわかりません」

リオ「まあ、親鳥が近くにいて育ててくれてるはずだから、君は彼らに危険がないように見ていてあげればいい」

給仕「そうします。……それではリオは、私の母親ですね」

リオ「ぶっ(吹き出す)。突然なにを。それに、それを言うなら父親の間違いじゃないかい?」

給仕「ですが、私を作り、生み出したのはあなたですよ」

リオ「それは間違いではないが、性別というものがあるだろう」

給仕「私にも性別はありますか?」

リオ「一応、女性として作ってあるからね。君の性別は女性だよ」

給仕「私の性別は女性。理解しました。ああ、リオ、今夜は生姜と一緒に煮込んだポトフですよ。体調が悪い時は身体を温める食材を使うといいと本に書かれていたので」

リオ「きっと沢山の野菜も入ってるんだろうね……」

給仕「もう慣れたのでは?」

リオ「慣れたけど、お皿いっぱいの野菜を見ると今でも少しげんなりするよ」

給仕「では、慣れるより先に、諦めてください」

リオ「言うようになったね。だがたしかに、その方が良さそうだ」

給仕「ふふふ…………どうかしましたか?」

リオ「いや……君は、表情で笑うということを覚えたんだね。とても、人間らしくなった」

給仕「私は毎日貴方を見ています。貴方が人というものを私に教えてくれているのです」

リオ「そうだね。僕はもっと、君と過ごす時間を増やしてもいいかもしれないね」

給仕「そうしてくれると、とても嬉しいです」

リオ「はは。嬉しいということもわかるのか。これはもう、教えることも少なそうだな」

給仕「そうでしょうか?」

リオ「そうだな。あとは、茶目っ気を持ってみてもいいかもしれないぞ。よし。明日は少しだけ遠くへ出掛けてみようか」

給仕「それは良いですね!わーい!」

リオ「……それは誰の真似だい?」

給仕「3日前にプリンをデザートに出した時のリオの真似です」

リオ「……とても心外だよ」

給仕「上手く真似出来たつもりでしたが」

リオ「思い出して少し恥ずかしくなるくらいには、上手かったよ」

給仕「ふふふ」



(囁くように)

リオ「……本当に、人間らしくなったね、君は」


・───・5秒・───・


リオ「秋になったとはいえ、まだ昼間は少し暑いな……」

給仕「気温は26℃、湿度は76%です。暑く感じるのは湿度が高いせいもあるかもしれませんね」

リオ「……僕は君にそんな機能まで取り付けていたっけ?」

給仕「手のひらに温度センサーが組み込まれていますよ」

リオ「そうだった。グラタンやドリアを素手で持ってこないように取り付けたんだったね」

給仕「それは初耳ですが、おかげで洗濯物がよく乾く日がわかります」

リオ「君の役にも立っているようでなによりだ」

給仕「リオ、あの木ですか?」

リオ「お、見えてきたね。そう、あの木の下まで行けばゴールだよ」

給仕「楽しみです」


・───・5秒・───・


リオ「さあ、着いた」

給仕「気持ちのいい場所ですね」

リオ「見晴らしも、なかなかなものだろう?」

給仕「ええ。遠くの海や、街や、屋敷がよく見えます」

リオ「屋敷からだと目立たない場所だが、ここからはどこもかしこもよく見えるんだ」

給仕「気に入りました」

リオ「はは!そうか。なら、また何度でも来よう」

給仕「はい」

リオ「よし、それじゃあ登ろうか」

給仕「……登る、とは?」

リオ「この木にだよ」

給仕「この木に、ですか?」

リオ「言ったろう?君には少し茶目っ気を持ってもらうと」

給仕「この木に登れば、それは手に入るのですか?」

リオ「もしかすると、だがね」

給仕「そうですか」

(リオ、木を登る)

リオ「よっ、と。ほら、こうやって、くぼみに足を引っ掛けて、手でぶら下がって、登るんだ」

給仕「……リオ、危ないのでは」

リオ「君が毎朝散歩に連れ出してくれるから、僕の手足はここのところひどくたくましいんだよ」

給仕「そう言うことではなく、落ちたら、の場合を考えての話です」

リオ「その時は、地面は土で出来ているから、ほんの小さな傷程度で済むよ。もっとも、君にはほとんどダメージはないはずだけど」

給仕「……私も、どうしても登らなくてはいけないですか?」

リオ「まさか君、高いところが苦手だと言いたいのかい?」

給仕「わかりませんが、木に登るという行為に抵抗を感じています。脚立がありませんし、バランスを崩した場合の対処法を、私は知りません」

リオ「そう難しく考えるのがいけないな。何事も、楽しむ時は後先を考えずに、やってみることが大事だよ」

給仕「そうでしょうか」

リオ「さあ、おいで。手を掴んであげよう」

給仕「……離さないでくださいね」

リオ「おっとっと、……なるべく君の重量を軽めに作ったつもりだったけど、骨組みは丈夫にしなきゃいけなかったから、やっぱり、成人女性よりはやや重いな」

 (リオの発言にムッとしたように)
給仕「女性に向かって重いというワードは禁句ですよ、リオ」

 (面白がるように)
リオ「これは失礼。さあ、レディ。その幹に足をかけて、上手く登っておいで」

給仕「こちらに足をかけて、あちらに手を伸ばして……ああ、なんて不安定なんでしょう……」

リオ「ははは!よおし、よく登った。ほら、ここからだと、さらに良く見えるだろう?」

 (目の前の光景に息を飲むように)
給仕「……綺麗ですね」

リオ「夕日が沈むのも、この方向なんだ」

給仕「見てみたいです」

リオ「ならもう少し、ここでゆっくりしていようか」

給仕「はい」


給仕N『私とリオはいろんな話を木の上で語り合った。この頃読んでいる本の話や、次の夕食のリクエストの話。迷い猫のイタズラの話など。そうしているうちに、さんさんと大地を照らしていた太陽が地平線へ帰ろうと頭を下げ始めた。リオは目を細めて言葉を止め、私にもその光景を見るように促す。やがて、空はオレンジをおびた金色に染まって』


リオ「……綺麗だね」

給仕「はい。とても」


給仕N『ただそれだけ。短い会話だけれども、私達にはそれだけで十分なほど、目の前の美しい景色に目を奪われていた。ああ、また。忘れたく無いデータが増えてしまった』


・───・8秒・───・


給仕N『リオが、体調を崩してしまった。毎朝の日課になっていた散歩は、もう一週間ほど間を空けている。早く元気になってはくれないだろうか。思い悩むほどに心配してみても、呼吸を必要としない私には、ため息を吐くことも出来ないのだ。リオは苦しげな呼吸を繰り返しているというのに、なんとも悲しい思いだった』


給仕「リオ、起き上がって大丈夫なんですか?」

リオ「ああ、今日はまだ、気分がいい。……秋はもう、終わりそうだね」

給仕「ええ。小鳥達も少し寒そうにしています」

リオ「近いうちに暖かい素材を使って、周りを補強してあげなくちゃいけないね」

給仕「あの子達が喜びます」


給仕N『ヒューっと、窓を叩く風に眉をひそめる。日に日に寒くなっていく気温。冬はもう、目前まで近づいていた』


・───・5秒・───・


給仕N『この頃、リオの心配ばかりしている。図書室にこもり、身体にいい薬草や食事を見つけて作り与えても、成果はあまり感じられなかった。秋は過ぎ去り、ついに本格的な冬が到来した。リオに、もっと栄養のある暖かな食事を与えなくては……。忙しなく動き回る私を、ある日、リオが困ったように呼び止めた』


リオ「君はこの頃、少し働きすぎではないかい?」

給仕「そうでしょうか?まだ、やっておかなくてはいけないことがあるのですが……」

リオ「そんなに働き詰めでは、疲れないかい?」

給仕「私はロボットです。疲れることはありません」

リオ「……そうだろうが、神経回路が異常をきたしたら、大変だ」

給仕「回路は正常です。今のところ、どこにも不備は見当たりませんよ」

リオ「そうか……では、正直に言おう」

給仕「はい?」

 (情けなく笑う)
リオ「君と過ごす時間が減ってきて、僕が寂しいんだよ」

給仕「……そ、そう、ですか」


給仕N『思わず、私はどもってしまった。リオのその言葉が、思考回路をぐつぐつと茹でたような錯覚を引き起こす』


リオ「ダメかい?」

給仕「い、いいえ。……では、今日は手を止めて、貴方のお側に」

リオ「ふふ。おいで、となりに座って」

給仕「はい」

リオ「そういえば、君はまだ冬を越したことはなかったね。僕の暮らしていた町では、冬になると大きな祭りをひとつ、開いていたんだ」


給仕N『リオがこうして自ら町の話をするのは珍しかった。いつも避けているように、町の話を持ちかけると「忘れた」と誤魔化していたのだから。思い出を語るリオの横顔は、慈愛に満ちて、とても柔らかだった』


リオ「祭りは三日三晩、夜通し開かれていたんだ。子供も大人も、好きなものを好きなだけ食べて、飲んで、笑って、夢のような時間を過ごすんだ」

給仕「とても素敵なお祭りなのですね」

リオ「祭りが開かれるのは新しい年を迎える少し前の、世でいうクリスマスと呼ばれる12月の24日から26日までの三日間で、その時期になると、広場では七面鳥がずらりと並ぶんだ」

給仕「楽しそうですね」

リオ「僕はお祭りを楽しむというよりは、大人たちにイタズラを仕掛けて、叱られてばかりだった」

給仕「まあ。いったいどんなイタズラを?」

リオ「七面鳥達の羽に色をつけてやったんだ。赤や青、みどりや黄色、むらさきとかね」

給仕「とてもカラフルですね。それは、貴方ひとりで?」

リオ「いや。その頃仲の良かった悪ガキ達と一緒にだ。おかげで、一晩で50羽の七面鳥の羽を虹色にすることが出来たよ」

給仕「さぞ、叱られたでしょうね」

リオ「こってりとね。商売道具に何をしてくれるんだと、精肉店の親父さんに怒鳴られたよ」

給仕「それでも、懲りなかったんですね?」

リオ「……よく分かったな。次の年には、豚の身体に絵を描くイタズラをしたよ」

給仕「リオはなかなか、“悪ガキ” だったんですね」

リオ「子供の頃はね。今はほら、こんなにも素敵な大人になっているだろう?」

給仕「ご自分でそう言われますか?」

リオ「君は言ってくれそうにないからね」

給仕「リオはお茶目な科学者ですよ」

リオ「素敵な、とはどうしても言ってくれないんだね」

給仕「いつか、言って差し上げましょう」

リオ「さて、いつになることやら」


給仕N『互いに顔を見合わせ笑い合い、それがどこか心地よかった。胸部の神経回路が必要以上にモーターを動かしているような、不思議な心地だ。リオの話を聞いた私は、クリスマスというものをこの屋敷で、ふたりで開催してみようと考える。後で図書室を探してみよう。今年はリオとふたり、クリスマスを迎えよう』


・───・5秒・───・


給仕N『クリスマスに必要なものは、愛情のこもったケーキと、大きなクリスマスツリーと、食べきれないほどのご馳走と、特別なプレゼントらしい。地下の倉庫に眠る毛糸を使って、私は彼にマフラーを編むことにした。色は彼によく似合う、濃紺だ』


給仕「リオ、ミルクティーをどうぞ」

リオ「ありがとう。このところ、すっかり寒くなってしまったね。神経回路に異常を感じたら、すぐに僕に言うんだよ」

給仕「ええ。リオも、この頃は調子が良さそうですが、また何か不調を感じたらすぐに教えてくださいね」

リオ「はは。これじゃあお互いに世話を焼いているみたいだな」

給仕「リオの面倒を見るのは、私の役目ですよ。それに、リオには元気でいてもらわないと、私の仕事が捗りませんから」

リオ「君はすっかり心配性になってしまったな。この前のはほんの少し風邪を引いただけなのに」

給仕「それに気付けなかった私の問題です。さあ、これも一緒に飲んでください」

リオ「……この薬湯……最近よく飲まされるようになったけど、どこから見つけて来たんだい? 確かに身体が元気にはなるが、鼻から抜ける匂いがたまったもんじゃないんだが……」

給仕「本で読んだものを、見つけただけですよ。さあ、今日もごねずに飲んでください」

リオ「…………どうしても?」

給仕「どうしても」

リオ「……僕がこれを素直に飲んだら、何か良いことはあると思うかい?」

給仕「そうですね。明日の朝、サンタクロースが来てくれるかも知れませんよ? サンタは良い子の家に訪れると、そう本に書いてありましたから」

リオ「架空のおじいさんじゃないか」

給仕「信じれば、架空ではなくなりますよ」

リオ「この歳になってサンタクロースなんてものを信じるというのもなぁ……けど、悪くはない。いいだろう、今日も観念してそれを飲もう」

給仕「いい子ですね」

リオ「君に子供扱いされることに、だんだん慣れてきた気がするよ」


・───・・・───・


給仕N『クリスマスのその日は、朝から大忙しだった。夕食に間に合わせるように、朝食や昼食を作りながらも、例のプレゼントを完成させようと躍起になっていた。ご馳走も同時進行で作っていたら、思いのほか時間がなかったのだ。そして、事件は起きてしまう』


(走り回る騒音)


リオ「どうしたんだい?朝からそんなに忙しそうに……」

給仕「リオ!どうしてここに……ああ、なんてことでしょう」

リオ「いや、今日はやけにキッチンが賑やかでね。体調も良いし、様子を見に来てみたんだが……君、これはいったい?」

給仕「ああ、ああ……!どうしましょう。こんなはずではなかったんです。こんな、ああ……!!上手く行くはずだったのですが、私がつい目を離してしまったばかりに……」

リオ「……落ち着いて、経緯をゆっくり話してごらん?」

給仕「……リオ……」

リオ「ほら、どうしたんだい?」

給仕「……今日はクリスマスです。貴方とお祝いをしようと思い、ご馳走を作っていたのです。ですが、私がオーブンから目を離してしまったばかりに、メインディッシュのチキンが少し焦げてしまいました。パスタも茹ですぎてしまい、ふやふやで……ケーキはスポンジが上手く膨らまず、ご覧の通りです……」

リオ「……くく、ははは! ま、まさか……ふふ、君がミスをする日が来るなんて!しかも、こっそりとパーティーの準備をしていただなんて!!」

給仕「……リオ?」

リオ「ははは!いや、すまない。笑うつもりはなかったんだが、そうか……くくく」

給仕「あの?」

リオ「もう誰も、君をロボットだなんて思わないだろうな。君は本当に立派な人間になった。たとえ食事を必要としなくとも、睡眠を必要としなくとも、喜怒哀楽や心が備わってしまったなら、君は立派な人間だよ」

給仕「……怒らないのですか?私のミスを……」

リオ「怒る理由は何処にもないだろう?君はほんの少しヘマをしただけだ。失敗じゃない、全部食べられないほどダメにしてしまったわけじゃないんだから」

給仕「……よかった」

リオ「ところで、君が目を離していたというのは珍しいな。いつもは料理が完成するまでキッチンから離れないだろう?」

給仕「そうですね、こうなっては秘密にしているのも無意味ですから、もう渡してしまいましょう」

リオ「渡す?いったい何を……」

給仕「さあ、これを」

リオ「……マフラーだね」

給仕「はい。ええと、確か……こういう時は、なんと言って渡すのでしたっけ?クリスマスのプレゼントなのですが」

リオ「……!」

給仕「リオ?受け取ってはくれないのですか?」

リオ「……受け取るよ!もちろん、受け取るとも!」

給仕「どうぞ」

リオ「上質だね。でもこれ、いったいどこから持って来たんだい?うちにはなかったはずだろう?」

給仕「私が編んだんです。本に書かれていた、手作りのプレゼントを貴方に贈ろうと考えたので」

リオ「まさか、君が自分で考えてプレゼントを?そんな……しかも、手作りだって??」

給仕「お気に召しませんでしたか?」

リオ「……」

給仕「……リオ?」

リオ「君を造った時……」

給仕「はい」

リオ「僕は、ただ寂しかったんだ。この屋敷でひとり生きているのが、寂しかった。だから君という存在を造り出し、話し相手を手に入れようとしたんだ」

給仕「……」

リオ「言葉のキャッチボールが出来れば、それだけで良かった。君から何かを得ようとは思ってもいなかったんだよ。……こんなプレゼントまで貰えるなんて、思ってもいなかったんだ。シェリー、本当に……ありがとう…」


給仕N『“シェリー”。リオがゆるりと微笑み、そう私を呼んだ。私のものではないはずの名前。誰の名前なのかと尋ねた時、彼は答えをくれなかったが、今の私は、それでも嬉しいと感じた。胸部のコネクタがまた、熱を持ったような感覚だ』


リオ「君からプレゼントを貰ったのだから、お返しをしなくてはいけないな。何か欲しいものはあるかい?」

給仕「私はロボットです。日常において、必要とするものは多くはありませんよ」

リオ「まあ、この屋敷には何でも揃っているからね。……いや、そうではなくて。僕のように、貰って嬉しいものは思い浮かばないのかい?」

給仕「そうですね……」

リオ「思いついたのかい?」

給仕「特定の物ではないのですが、私は、きっとリオからプレゼントされた物であれば、何でも嬉しいと思います」

リオ「……困ったな。それじゃあ何をあげたらいいのかわからないじゃないか」

給仕「ふふふ。何でもいいんですよ」

リオ「うーん……よし。シェリー、僕は少し部屋へ戻るよ。すぐに戻ってくるから、ほんの数分ほど待っていてくれ。ああ、スープは温めなおしておいてくれると嬉しい」

給仕「はあ……わかりました」

リオ「うん」


給仕N『ダイニングから部屋へと去っていくリオを見送り、ひとり残された私はパーティーの準備を完成させることにした。そうやって20分が過ぎた頃に、リオはほんの少し疲れた様子で戻ってきた』


給仕「まあ!どうして頭に埃を乗せているんです?ああ……肩にも、」

リオ「聞いて。これは僕が買ったものではないし、君が気にいるかはわからないけれど、プレゼントしたいんだ」

給仕「…いますぐ、ですか?食事は後で?」

リオ「そう、少しじっとしてて。背中を向けてうなじを見せるようにしてくれると助かるな」

給仕「いったいなにを……」

リオ「目を閉じて…………よし、目を開けてもいいよ」

給仕「……首の辺りに、何かぶら下がってます?」

リオ「そこの鏡を見てごらん」

給仕「……これは、ダイアモンドですか?」

リオ「そう、アクセサリー。ネックレスという女性が好むものだよ。君にこれをプレゼントさせてくれるかい?」

給仕「知識には入っています。ですが、よろしいのですか?とても高価な物だと認識しています」

リオ「母の、形見なんだ」

給仕「ではなおさら、貴方にとって大事なものなのでは?」

リオ「そうだよ。だから、君に贈るんだ。母の形見だけど、僕はそれを付けることは出来ないからね。それなら、君のようにそのダイヤが似合う女性にあげたほうがいい」

給仕「私はロボットです」

リオ「いいや、君はもう立派に素敵なレディだよ」

給仕「……貴方が、そうおっしゃってくれるのなら……」

リオ「喜んでくれたみたいでよかった」

給仕「え?」

リオ「自覚がないのかい?君、笑ってる」

給仕「……神経回路を動かしたつもりはなかったのですが……」

リオ「無自覚だったのか。心から喜んでくれたみたいで僕も嬉しいよ」

給仕「……私も、嬉しいです。ありがとうございます」

リオ「どういたしまして。……ああ、やけに冷えると思えば……見て、雪だ」

給仕「本には、雪が降るクリスマスには奇跡が起きると書いてありました」

リオ「ははは!もしかすると本物のサンタクロースがやってくるかもしれないね」

給仕「ええ。ですが私はもう、彼を家に招くことをしませんよ」

リオ「おや、どうして」

給仕「私には、このプレゼントがあります。それ以上は欲しくありませんから」

リオ「僕も、このマフラーだけで十分だと思っていたところだよ」

給仕「では、そろそろパーティーを始めましょうか」

リオ「実のところ、もうお腹と背中がくっつきそうだったんだ」

給仕「ふふ。メリークリスマス」

リオ「メリークリスマス!」


給仕N『私は食事をとることはできないが、少し焦げたチキンを美味しそうに頬張るリオを見て幸せな気分に浸った。こんな日々が、ずうっと続けばいい。サンタクロースは存在しないと言うが、キリスト信仰における神様にならば、そうお願いしてもいいかもしれないと、私はこっそりと考えた』

・───・8秒・───・


給仕N『また、リオが倒れてしまった。今度はとても辛そうだ。苦しげな呼吸を延々と繰り返すリオに、私はどうしてやるべきかもわからずに右往左往するしかなかった』


給仕「ああ、リオ。大丈夫ですか?何か欲しいものは?ああ……どうしたら……」

リオ「うう、ん……」

給仕「どこかに解熱剤は……40度も超えているなんて……ああ、どうしたら。リオ、薬を探してきます。少しだけ、待っていてくださいね」


給仕N『急いで彼の私室へと向かい、私は手当たり次第棚をひっくり返した。常備薬を置くとすれば、彼の私室だと考えたのだ。あとで彼に叱られることを覚悟する余裕もなく、ただがむしゃらに、彼を思って棚を漁る。机の引き出しにあるのだろうかと、彼の机にも手をかけた。途端、バサバサっとこぼれ落ちた大量の書類が目に止まった。

沢山の写真と、名前と、何かが記されたデータ記号と情報。処理能力の高い私の頭脳は、それらをすぐさま解析してしまう。そして、一枚の記事を見つけた私は動きを止めてしまった。

『“感染型ウイルス性髄膜炎”』

───患者は感染して間も無く、自覚症状が現れる。脳に侵食したウイルスにより、視力の低下、体力の低下が主な症状である。また、感染してから発症までには潜伏期間があり、最終自覚症状である高熱を発病させると、ウイルスは一気に肥大化し、2日程度で脳を壊死させてしまう。なお、この病に治療法はまだ見つかっておらず、微力だが空気を伝って感染してしまうことから、患者をシェルターに閉じ込めなくてはならない。高熱がさがると、患者は残り2日間を健常者と変わらず過ごすことが出来るが、壊死が始まると眠るように生を閉じてしまう。町はウイルスの蔓延により閉鎖、死者は全町人487人。生存者は無し・・・───

私は書類を抱き抱えて、リオの眠る寝室へと戻った。ベッドの上で横たわるリオは、さっきよりも呼吸が穏やかになっていた』


・───・5秒・───・


リオ「んん……おはよう、シェリー」

給仕「……おはようございます」

リオ「昨日は心配かけてすまなかったね。治ったと思っていた風邪がぶり返したみたいだ」

給仕「……リオ、先に謝ります。貴方の書斎を荒らしてしまいました。薬箱を探していたのですが、どうしても見つからず……」

リオ「ああ、常備薬があるかと思ったんだね。僕は薬を飲むのが苦手だからね、常備してはいないんだ」

給仕「そのようですね。そして、こちらが本題です」

リオ「……シェリー?」

給仕「これを見つけました。情報の処理も、済んでいます。リオ……貴方は感染型ウイルス性髄膜炎にかかっているんですね?」

リオ「…………」

給仕「症状は全て一致しました。このところ貴方が寝込んでいたことも、コーヒーと紅茶の色を見間違えてしまうことも、昨夜の高熱も、これが原因でしょう」

リオ「さすが、僕の作った優秀なロボットだ。全部正解だよ」

給仕「………何故、黙っていたのですか」

リオ「必要がないと思ったからだ」

 (少し怒ったように)
給仕「私が、ロボットだからですか?」

リオ「いや。僕が、絶望したくなかったからだ。君に話してしまえば、嫌でも僕はこの病と向き合わなくてはならなくなる。ほら、その顔だよ」

給仕「……」

リオ「君は僕のために精一杯やってくれている。だからこそ、なおさら言ってはダメだと判断したんだ。そんな顔で見つめられると、僕は明日にでも死んでしまいそうだからね」

給仕「……あと2日あります。いいえ、これはただの風邪かもしれませんから。明日も明後日も、次のクリスマスだって今まで通り過ごせます。ですから、」

リオ「シェリー、ありがとう。……君は本当に、素敵な人になった。こんな僕を励まそうとまでしてくれた。それも、無自覚なんだろう?」

給仕「リオ……」

リオ「僕は幸せに死ねるみたいだ。君のおかげで、ひとりぼっちじゃなくなった」

給仕「私に出来ることは……?」

リオ「いつものように、笑ってくれたらいい。それだけでいい」

給仕「とても、難しいことを言うのですね」

リオ「それでも、叶えてくれるんだろう?」

給仕「あなたがそう望むのであれば」

リオ「ありがとう、シェリー」


・───・5秒・───・


給仕N『いつも通りの、最後の夜。私は、チェストに座って静かに窓の向こうの街を眺めているリオに声をかけた』


給仕「いま、何を考えていますか?」

リオ「君と過ごした日々を思い出しているところだよ」

給仕「私と過ごした日々は、どうでした?」

リオ「子供みたいな君が大人になっていくようで、とても楽しかったよ」

給仕「そうですか」

リオ「……」

給仕「……私は、貴方を恨みます、リオ」

リオ「はは!それは怖い」

給仕「私は貴方を失うのですから、当然ですよ。こんなにも、思っているんです」

 (とても嬉しそうに)
リオ「……うん。僕は幸せ者だよ。君とこんな風に過ごせた。ねえ、シェリー」

給仕「はい」

リオ「そんな顔をさせてごめんね。それから、ありがとう」


給仕N『胸の辺りが、ショートを起こしてしまいそうだった。リオは心底幸せそうに微笑むと、ゆっくりと瞬きをした。とてもとても長い、瞬きだ。……とても、とても、長い……』


給仕「……おやすみなさい」


給仕N『微笑んだまま、目を閉じたリオ。もう二度と、無邪気な彼の瞳を見ることはないのだろう。全てが終わって、部屋に朝日の光が差した頃。私は叫んでいた。どこか回路が壊れたわけじゃない。機能が異常をきたしているわけでもない。

ただただ、悲しかったのだ。

冷たいリオを抱きしめて、涙を流せない私は、その代わりに何度も彼の名を呼び叫んだ。閉じた向こうでも聞こえるように、何度も、何度も……』


給仕「貴方が大嫌いですよ、リオ。だけどきっとこれは、貴方や本の世界が言う“愛情”というものなのでしょうね」


給仕N『ようやく理解した感情だというのに、その愛というものを向けたい相手はもう笑わないのだ。

享年36。

偏屈で物好きな博士は、冷たい土の下へと眠りについた。最初から、彼は自分の死を看取らせるために私を作ったのだろう。

私は彼の意思を汲み取り、彼の墓を屋敷のそばに建てた。

荒らしてしまった本を直すために、私は彼の私室に向かった。そして、そこで見つけたフランス語の本に書かれていた文章を眺め、困り果てる。

“マ・シェリー”。

愛しい人、可愛い人と言う意味なのだと、その本には綴られていた。その意味を知って、ますます憎らしさが際立つ。私を置いていってしまった彼に、愚痴をこぼす。この感情もまた、愛と呼ぶものなのだろうか?

彼の墓の隣に腰掛けそっと寄り添えば、彼が隣で笑っているような気がした。
暖かくなってきた空を見上げ、私もまた笑う』



給仕「リオ、見えていますか?もうすぐ春ですよ」



・───・fin・───・
お疲れ様です。ここまで読み上げてくださり、ありがとうございました。byちをと



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -