せっせと字を書く維星。近頃、より多くの単語を覚えて書けるようになってきた維星はとても楽しそうだ。午前は鉛筆で、午後は筆でと書くものを変えて集中して書いている。字の先生は老頭で、普段は厨房を取り仕切る禿頭の男性だ。料理の腕に加えて書道の腕前は超一流、永進が贈り物をする際に宛名を書くのは老頭の役目である。今日も厨房を離れ、維星の部屋で先生として付いていた。


「維星、その字はもう少し角度をつけたほうがいい」
「うん」


 頷いて、線を斜め上に引っ張ってみる。そうそう、と言われて何度か同じように練習をした。強弱をつけたり上下を調整したり、ほんの少しの変化で見た目が明らかに変わるのは面白い。飽きることなく練習を続けられるのも、毎回表情の違う文字が相手をしてくれるからだ。
 熱心に書く維星の部屋をそっと離れた老頭、代わりにやってきたのは永進で、しかし維星は紙から顔を上げることはない。少し離れて腰かけ、一生懸命な姿を見守る。

 ひと段落したのか、息を吐いて顔を上げる。そしてぱっと振り返り、満面の笑みを見せた。


「永進」


 にこにこ、近づいてくる。手を取り見上げ、片手で頬を撫でた。


「上手に書けるようになったな」


 維星が向かっていた机は背の高さに合わせて特注で作らせたもので、今はその周りに半紙が散らばっている。最初に比べればだいぶ上達し、黒々と素直な文字が躍っていた。中には「永進」という文字もあって、氷のような表情が和らぐ。


「ここへ来る前に老頭とすれ違った。おやつを作るから食堂に来い、と言っていたぞ」
「おやつ、食べる」


 きらきらと目を輝かせる。立ち上がり、頭を撫でて手を繋いで、一緒に部屋を出た。
 最近、たびたび維星の成長を感じる。並んでみると少し背が伸びたし、覚えた言葉も数多い。たどたどしかった発音はきれいに矯正され、普段話すには問題ないくらいに発声もよくなった。それもこれもすべて維星の努力の賜物だが、成長を感じるととても嬉しかった。

 長い廊下の窓の外では鳥が鳴き、長かった冬を越えて春が来たことを告げている。穏やかな昼間、窓から差し込む日差しを浴びて輝く維星の黒髪を見下ろしつつ、永進は言った。


「今日のおやつはなんだろう」
「なんだろう。おいしいもの」
「老頭が作るもので不味いものはない」
「うん」


 何かな何かな、と、歌うように言う永進の足元はふわふわと跳ねている。動くたびに、首を覆う薄紅色の布の端がひらひらと揺れた。


「いい匂いがするな、維星」
「うん。香ばしい」


 食堂に着いた。広い室内に漂う、甘い揚げ物の香り。
 維星を椅子に座らせると、白い四角の皿を持った老頭がやってきた。


「今日はいい字がたくさん書けたからご褒美だぞ」


 皿の上にあったのはおいしそうに揚げられた麻花。はちみつもかけられている。


「おいしそう」


 維星が嬉しそうににこにこするので、普段は愛想のない老頭も微笑む。永進も同じで、箸を持つ維星を見守っていた。


「気を付けて食えよ。熱いから」


 老頭が厨房へ戻っていく。冷ましながら口にして「おいしい」と維星がもぐもぐ。太く編まれている麻花はもちもちさくさくで、はちみつも相まってとても甘くておいしかった。


「維星、うまいか」
「うん。幸せ」
「よかったな」


 頭を撫でられた後、永進のほうへ皿を押した。


「幸せだから、永進も幸せになろ。維星と一緒に」
「……凄い口説き文句だ、星星」


 プロポーズみたいだ、と笑われて、けれど意味がわからない維星は首を傾げた。一口食べた永進に、どう? と尋ねる。


「うん。幸せの味がした」
「幸せ」
「幸せ」


 甘く、香りの良いはちみつ。


「維星に味があったら、こんな感じなんだろうと思う」
「維星は食べ物じゃないよ」
「知っている。例えば、だ」


 仲良く麻花を分け合うふたりを、老頭だけが見ていた。いちゃいちゃと触れ合う姿を、ほんの少し呆れ顔で。


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