お湯に浸かりながら、右京が肩を噛む。それは痛みを感じるほどではなく、軽く歯が当たるくらいの噛み方だった。濡れた髪を撫で、そこへ口付ける。


「右京は今までにも人を噛んでたんだよね」


 何気ない言葉だった。口からぽろりと出てしまったもので、特に何かを考えていたわけではない。少し間があって、その間にも右京はあぐあぐとしていた。


「噛んでみたけど嫌がられた」
「右京はその人が好きだった?」
「うん。優しくしてくれたから。でも噛みついてみたらすごく嫌がられた。好きだなって思ったのはぼくだけだったみたい」
「悲しいね」
「ううん。おじさんに出会えたから大丈夫」


 もしその人が右京の噛み癖を受け入れていたら、俺たちは出会うことがなかった。そう思うとなんだかとても不思議な気がした。右京が悲しい思いをしたことを考えると胸が痛む。けれど、その偶然にとても感謝してしまう自分もいる。酷いと思った。そんなことを考える自分が。


「おじさんはどうして」
「何が?」


 右京が身体を離した。少し向こうに行って、真っ直ぐに見つめてくる猫のような目。


「おじさんは、どうして噛むことを許してくれるの」


 許すとか許さないとか、そういうことを考えたことはなかった。見えるところには困るなあとは思ったけれど、受け入れる受け入れないを考えたことはない、ような気がする。


「どうしてだろうね。右京が可愛いからかな」
「可愛い?」
「噛んだ痕を見て、満足そうな顔をする。それがすごく可愛い」
「ぼく、そんな顔してる?」


 両頬に手を当てる。骨が浮いている、きれいな男の子の手だ。その手の甲に手のひらを重ねると、右京はほんの少し笑う。


「してるよ。鏡で見てみる?」
「いい」
「可愛いのに」


 水滴が、床に落ちた。
 右京はまだ何か言いたそうにこちらを見つめている。だから目を逸らさないで言葉を待った。右京が何かを話しだそうとする前は考えて考えて、言葉をゆっくり選んでから。無駄に言葉を発することはなさそうだ。いつだって考えている。


「おじさんのことは、すごく噛みたくなる」
「ありがとう」


 手を取り、そこに歯をたてる。生まれたての小動物みたいに吸い付いてから、ゆっくりと歯を押し込んだ。柔らかく、甘く。


「おじさんが好きだよ」


 考えて考えて発してくれた好きだよは重たくて、でもその重みがとても心地良い。


「俺も、右京が好きだよ」
「うん」


 身体のあちこちに残る噛み痕はすべて右京が愛しいと言ってくれた痕跡だ。どうして愛さずにいられよう?


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