中国組 | ナノ

親愛的小星星 11


 維星のきらきらした瞳が、生命の母を映している。
 人生で初めて見る海にとても喜んでいるらしかった。まだ走っている車の窓に貼り付いて食い入るように見つめている。


「維星、海はどうだ」
「おおきい」


 話し始めたころは掠れた声で、聞き取りにくいような音だった。けれど機能が回復してしばらく経った今は可愛らしい、丸い声。のんびりと素直に話す。
 永進は途中で車を停めさせ、砂浜に下りた。足元は赤い紐に黒い布のサンダル、着ているのは薄手の深い青色が美しいマオカラーの長袍。維星も同じような恰好で、色は上から下まで灰色から黒のグラデーションになっている。

 維星が、白い砂浜の上を走る。その様子を見て変化した永進の表情に気付いたのは傍についている龍と乃靖のみ。一見無表情だが、とても嬉しそうだ。ようやく維星を海に連れてくることができたからだろう。しかもこの、美しい海に。
 国内でもよかったけれど、せっかくなので遠出しようと思った。パスポートを手にして、飛行機のチャーター便に乗って、お隣の島国の離島を訪れたのである。通常便で行こうと永進は考えていたが、龍と乃靖の強い反対、そして日本にいる弟からのメール五通分の抗議文によってチャーターに振り替えることとなってしまった。維星には普通の体験をさせてやりたかったが、と、むっとしていた永進だったが、海を見てきらきらしている維星を見てすべてが収まった。ただただ、可愛らしい。

 砂に手を入れて「あつい」と飛び上がる維星の手を掴み、海に浸してやる。


「ぬるい」
「南の島だからな」
「きもちいい」
「そうだな」
「きれい」
「透き通っているだろう。あとで船に乗って、出てみような。沖に」
「うん」


 碧い場所、青い場所、蒼い場所。遠くに船が浮かんでいるのが見える。何か植物で編んだような帽子を被り、水面を見下ろしている男。辺りは切り立った崖で、日陰を探して維星を連れていく。するとサンダルを脱いで永進を見上げてきた。海に入る気で見上げてきている。
 永進が少しの間を置いてから龍を見る。
 茶色く染まった髪に白いTシャツ、オレンジのショーツ姿の龍が足元にしゃがみ、維星のズボンの裾を丁寧に折り上げる。そして自分もサンダルを脱いで、維星と手を繋いで徐々に海へ足を入れていく。寄せては返す波に不安を覚えたのかぎゅっと龍に掴まって、けれど興味を覚えているようで前のめりになっては足が埋まってまた龍に掴まる。


「可愛いすね、維星」


 それとにこにこしてる龍兄ちょう可愛い。
 呟いて、乃靖は一眼レフで写真を撮りまくる。今日の乃靖は永進の傍付きというよりも写真係。主に維星を撮影する役どころ。しかしそのフレーム内には必ず龍が一緒に入っている。また、ピンショットも少なくない。
 真剣に龍を追いかけていたら永進の、真夏の島でもひんやりとしている声が降ってきた。


「維星を撮れよ」
「わかってまーす……」
「龍撮るのも構わないがな。星星の可愛い顔逃したら逃した回数だけ爪剥ぐぞ」
「えっ二十回超えたら」
「次は肉を削ぐ」
「真面目に撮りますお任せください」


 永進は口に出したことを撤回しない。剥ぐと言ったら剥ぐし、削ぐと言ったら削ぐ。暑さのせいではない汗が背中を伝うのを感じ、焦点を慌てて維星に合わせる。浜辺から離れても遠浅の海、岩の上でやどかりを見つけたらしく、維星がじっと見つめている。龍は指を伸ばしてちょいと突いた。しゃかしゃか逃げるやどかり。「あ」と声を漏らしている間にぽちゃんと海の中へ。


「かに」
「かにじゃないよ小維。やどかり」
「やどかり。おいしいかな」
「……自分はちょっと、食べたことない、かも」
「やどかり」
「うん」
「もっとあっちいく」
「気を付けて」
「うん」


 ちゃぽちゃぽ、慎重に足を動かす。浜辺で微動だにせず見守っている永進に差し掛けられた日傘。


「維星は本当に、よく笑うようになった」
「そうですね。老大に愛されて、平和な毎日に慣れてきたんじゃないでしょうかね」
「だといいんだが。維星が安心していられるなら、一番だ」


 永進の両肩には、維星だけでなくあらゆることが乗っている。『四號街』という巨大組織とそれに付属する事柄、政府とのやり取り、海外勢力とのバランス。何もかもを考えて目を配らなければならない立場。本来なら今日だって、のんびりはしていられない。『四號街』の老大が動くとなれば、あちこちの機関が動く。この国の警察だって情報を受けて警戒しているだろうし、関連する組織が隙を狙うかもしれない。けれど永進が不安を見せればすぐ維星へ伝播する。そういうところはとても敏感だから。
 乃靖は永進の氷のような横顔を見て、維星を見た。
 老大も変わった。維星とかかわるようになって表情がとても豊かになったし、日々楽しそうに生きているように見える。『四號街』によってのみ生きているわけではなく、きちんと「邵永進」としての人生も持って生きているように見える。
 前から尊敬はしているけれど、今のように人間らしい永進は好き、だ。

 じっと永進を見つめていたせいか、気づくと維星が、龍に掴まってこちらを見ていた。くるんとした目が挑戦的な光を帯びている。何やら誤解されているような気がする。慌てて首を横に振ったけれど、隣の龍はにやにや。そちらにはもっと誤解されたくない。泣きそうになる乃靖がぶんぶん首を振っているのに気付き、永進は軽く首を傾げた。

 人生初の海で少し遊んだあと、再び車に乗ってホテルを目指した。『四號街』の息がかかった中華系企業が買い取ったホテルの最上階に予約がとってある。もちろん海が見える場所で、食事も手配済み。
 維星はずっと海を見つめていて、永進に頭を撫でられると甘えるように腕に抱き着いた。


「永進」
「ん」


 くいくい引かれて耳を近づける。維星は内緒話好き。


「……ありがと。海、つれてきてくれて」
「うん」


 とても嬉しがっていることは、維星の顔や態度から充分わかっている。色のついた頬へ口付けると、維星も返してきた。小さな手が、永進の頬に沿う。


「海、きれい。それと、永進とみられるから、もっとうれしい」
「そうか」


 永進が微笑む。鋭い眼差しが和んで、愛しげに見つめた。


「夜は星がよく見える。大陸とは違う空だ」
「どうしてちがうの」
「場所が違うからだろうな」
「きれい?」
「ああ。すごく」
「たのしみ。いちばんきれいな星、見つける」
「そうだな。でも俺のところにはもうあるから、なんとも言えないが」
「あるの?」
「ああ」


 髪を撫でて抱き寄せて、涼しい車内で寄り添う。
 維星は安心したような顔で身を任せ、永進は頬を寄せて、ホテルへ着くまでずっとそうしていた。

 夜、海の音を気に入ったらしい維星が長い間浜辺にいた。プライベートビーチのおかげか人がほかにいない。静かな音で、穏やかなさざ波が砂を洗う。永進だけがずっとその傍についていた。ふたりきりで、ずっと。時々は、きらめく星々を見上げて。


「永進」
「どうした」
「きれいだね」
「海も、空もな」
「うん」


 石段へ腰かけていた永進のもとにやってきて膝へ座り、唇を合わせる。背中を撫でた手のひらに、維星が微笑む。胸に顔を埋めて、言葉にはできない幸せな気分を噛み締める。とてもとても、胸が温かかった。



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