中国組 | ナノ

親愛的小星星 8




 永進は維星を連れて別邸に来ていた。
 普段忙しくてゆっくり相手をしてやれないので、比較的暇な時期を狙って一週間まるまる休みにしたのである。山の中腹にある静かで小さな二階建ての家には普段、管理を任せている老夫婦が住んでいる。今回は永進、維星、龍、乃靖とそれから、見知った若い料理人の藩だけの空間で、維星は普段よりも気楽にしているように見えた。
 家の周りには色とりどりの花が咲き、上も下も緑の木に囲まれている。遠くには海も見え、実にいい景色だ。

 三日目の夜、永進は維星を連れて山の上の方へと登った。古い歴史ある寺があるだけでいたって静かな山頂。ところどころに火が燈されている。

 寺の周囲にある石仏の前を通過するとき維星はおっかなびっくり、永進の右手に両手で縋りついて早足で通り過ぎたが、やがて上が開けた場所に立つと目を見開いて星空を見上げた。
 都市では見られないような、小さな星まで良く見える。


「維星にいつかこれを見せたいと思っていた」


 永進の声は届いたのかどうか、僅かに口を開けて見つめている。肩をすくめて永進も静かに小さな瞬きを見上げた。
 しばらくそうしていた維星だったが、やがて目を移した。空ほど高くない場所にある永進の横顔。寺の者が管理しているのだろう篝火が照らす横顔は美しい。冷たいようにも見える顔だが、維星に対するときはとても優しく、穏やかだ。呼ぶ声までも。
 永進が気付いて、維星を見下ろした。


「……こんなところにも、星がいた」


 随分下だな。などと言って笑う。


「空から落ちてきた、俺だけの星だ」


 維星の柔らかな頬を撫で、屈んで口づける。久しぶりに触れた唇は僅かに冷たくて、けれど心地が良い。離れて行くのを止めるように、維星の手が永進の手を引いた。額をくっつけ、永進が笑った。


「もっと、か?」


 こっくりと頷く。
 頬や、額や、さまざまな場所にキスをすると維星がくすぐったそうな顔で笑った。永進はそれを優しい目で見つめ、それからそっと抱きしめた。維星に触れるときはいつでも、知らず知らずのうちに自分ではないかのような触れ方になる。相手を労わり大事に大事に、する。


「星星」


 そっと、慈しむように呼んでくれる。
 家族を失い故郷を失い、帰る場所も行くところもなかった維星に新しい人生を与えてくれたうえ、愛をもって接してくれる大切な人。ここ三日、朝昼晩ずっと一緒にいて過ごす中での些細なところからも永進が自分を大切に扱ってくれていることを感じた。以前よりも更に気遣ってくれている。
 ここに来る前、自分がふさぎこんでいたせいもあるだろう、と維星は解っている。
 夢に見て、怖くて、またあの場所に戻るのではないかと。
 繰り返し繰り返し苛まれ続けているのを、傍にいなくても永進は知っているらしい。

 忙しい永進がいつでも自分を見ていてくれることを感じると、胸が詰まるような愛しさを感じる。生まれて初めて感じる、人への愛。与えられるばかりではなく、与えたい。自分からも。
 その思いはどんどん強くなる。永進が名前を呼んでくれるたびに、確実に。

 自分も、永進の名前を呼べたら、この溢れて止まらないような想いが伝わるのだろうか。
 拒絶されたり、嫌がられたり、しないだろうか。きっとしない。そう思わせてくれるのは今まで自分に向けてくれた目や、言葉や、態度や、触れ方だ。永進は全てで維星を肯定して慰め、癒してくれた。そろそろそれに応えてみたい。名前を呼ばれて、呼び返してみたい。

 永進の手を、維星の手が強く握る。冷たい指先に山の冷気を食ってしまったのだろうかと心配になった。頬を撫でるとそこは温かい。
 しかしいつになく口元の筋肉が緊張しているようだ。どうしたのだろう、と、永進が首を傾げると維星は小さく、口を開いた。

 賑やかな街中ではきっと聞き落としただろうか細く掠れた星の音は、星と木と土と永進だけがいるこの場所にのみ落ちた。

 永進は確かに聞いた。自分の名前を呼んでくれた小さな小さな声を。
 それはまるで、愛している、と伝えるように、静かに。

 不安そうに見上げてきた維星をただ抱きしめる。
 泣いてしまいそうなくらいの、衝動。愛という言葉だけでは足りないような強い想いは何と呼ぶのかわからない。また、何と伝えたらいいのかわからない。名前を呼んで、抱きしめるくらいしかできなかった。

 維星は腕の強さに気持ちが伝わったことを知って、安心したように息を吐いた。指先が震えているのを感じる。
 声を出すのがずっと怖かった。あの場所で、声を出すのを禁じられた日から。


「よんじん」


 うまく声にならない。けれど、掠れた音でも永進は聞こえていると言うように頷いてくれる。何度も繰り返していたらなぜだか涙が出てきた。首の周りに長く絡みついていた苦しさが、名前を呼ぶたびに解けていくような気がする。息までもがしやすくなったようだ。


「星星、俺の、大切な」


 呼び掛けると、小さな声が返る。途切れても何度でも。それだけで大きな喜びを感じた。長く聞きたかった声を聞くことができた。
 あの場所からようやく維星を救い出せたような気が、する。


「よかった……維星、星星」


 その声は深い深い安堵に満ちていた。


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