拝啓、きみ | ナノ

安心


 
なよ
云是(いせ)





 帰って来た云是さま。まだ帰って来たということが信じられなくて、隣で眠っている姿を一晩中眺めていた。云是さまはよく眠ってらしたけれど。
 一緒に朝ご飯を食べて、それからはずっとぺったりくっついている。庭に面した廊下の柱に背中を預けた云是さまの、膝の間に座って。


「云是さま、いつ国にお着きになったのですか」
「終戦直後だ。引き揚げ船で帰った」
「二年の間は」
「一年は廃兵院に入っていた。戦場の後遺症とでも言うべきか、人として使い物にならなくてな」


 はいへいいん
 耳慣れない言葉を鸚鵡返しすると、云是さまは笑って、見上げているぼくの頭をなでた。


「日常生活を送れないほど病んでしまった軍人が入る場所……療養施設のようなものだ。山の中にあって、静かな場所だったぞ」
「今はもうよろしいのですか」
「ああ、見ての通りだ」


 記憶の中の云是さまより少し痩せたようにも見えるけれど、身体の感触や顔つきに違和感は感じない。一年という月日が長いのか短いのかわからないけれど、云是さまに無理はしてほしくないと思う。
 廃兵院という場所は知らなかったが、戦場から戻ってきて以前とは全く異なった性格になった軍人さんを何人も見たことがある。彼らがした体験は、言葉には出来ないようなすさまじいものだったのだろう。それこそ、人を壊してしまうほど。


「……なよの言いたいことはわかる。無理するな、だろう」
「どうしてわかるのですか」
「目を見たら、な」


 腰の辺りを抱き寄せられ、肩に顔を埋める。云是さまはやっぱり特別だ。心地よくて、温かくて、こうしているだけで心が喜ぶ。幸せに満たされる。大人になったと自分では思っていたが、云是さまの前ではあの頃と同じ、小さな子どもに戻ってしまう。


「なよ、おれがいない間に、妙な輩は近付いて来なかったろうな?」
「みょうなやから、ですか」
「ああ。お前に色目を遣ったり、触れようとしたり、心からおれを追い出そうとするような」


 くすくすと笑うと、なにがおかしい、と聞こえた。低い声が肩にまで反響していて振動が伝わる。


「太陽を他所に追いやれる人がいると思いますか」
「わからんだろう。夜のような人間がいるかもしれん」
「月だって、太陽の光で輝いています」
「む……」


 そうだが、と、云是さまは唸った。この温かさを失ってどうして生きていけよう。他のものなどありはしない。


「安心してください。何もありませんでしたから」
「ならば、いい」


 そういえば、云是さま。
 出征する前日の晩にこんなことを言った。


「帰ってきたら、お前を抱く」


 抱く、とは、つまり、そういうことなのだろう。未知の領域、云是さまは一度だってぼくの身体に触れたことはない。妓楼にいたときも、今の料亭でも、人にすべてをさらけ出したことはない。
 思い出して頬だけでなく首や身体が妙に熱くなる。それを感じたようで、云是さまがぼくの身体を柔らかく離し、顔を覗き込んできた。凛々しい目に見つめられるとどきどきがいっそう激しくなって、もしかして破裂してしまうのではないだろうかと思うほどだった。


「なよ、どうした。顔が」
「あああの、いせさま、」
「……あの、前日の夜に言ったことを思い出したか」


 ふっと笑った云是さま。その笑みはとても色っぽくて男っぽくて、そんな顔のまま頬を撫でられてますますおかしくなりそうだ。


「安心しろ。今日明日、急にするつもりはない」
「そ、」
「初めて抱くんだ、いろいろと、馴らさねば」


 ならす、の意味がわからないが、いきなりそういうことにはならないらしい。まだ緊張しなくても良さそうだ。安心して云是さまの手のひらに頬を擦り付けると、愛しそうに笑って再び抱きしめてくれる。


「こうしているだけで、ずいぶん幸せだからな。そう焦ることもないだろう」
「はい。なよは、ずっと云是さまのお傍にいますので、なるべく、その」
「ゆっくりしていくつもりだ」


 上がった体温はなかなか戻らなくて、云是さまに背中を撫でられながら深く呼吸をする。そういえば、口付けも頬に貰ったことがあるだけだ。そういうのも、これから、するのだろうか。
 妓楼の兄さん姉さんは「本当に好きな人とするのがいちばんいい」と言っていたけれどどうなのだろう。いい、とは、どういう感覚なのだろうか。
 以前は考えもしなかったことに及んで、なんだか恥ずかしくなってしまう。それを云是さまに悟られないよう、肩に顔を擦り付けて隠した。


「なよ」
「はい」
「……昼寝でもするか」
「えっ」
「以前はよくしたろう。こうやって」


 よいしょ、と、ぼくを抱いたまま横になる。顔が近い。でも、云是さまがお休みで家にいるときは、確かにこうしてよく一緒に寝ていた。


「……とても、久しぶりですね」
「そうだな」
「嬉しいです」


 また、涙が出そうになった。頭を引き寄せられて胸に顔を埋める。べそべそと泣いてしまうぼくの頭を撫でて髪を指で梳いて、「もうどこにも行かない」と言ってくれた。云是さまはいつも本当のことしか言わないから、安心してもいい。もう怖がる必要は、ない。


「昨晩は寝ていないのだろう。今、少し寝るといい」
「でも」
「その間にどこか行ったり、動いたりしない。おれもお前と寝る」
「……」
「今まではなよが待ってくれていた。これからはおれがお前を待とう。いつでも」
「……じゃあ、たくさん、お待たせ、します」
「構わん」


 でもぼくは、何で云是さまをお待たせしたらいいのかわからなかった。
 どうしようか考えているうちに眠気が襲ってきて、抗ってもまぶたは重たくなっていく。


「いせさま」
「どうした。寝ろ」
「……ゆめ、じゃないですよね」
「おれはお前のもとに帰って来た。夢じゃない」
「よかった……」


 ぎゅうと抱きしめられてぼくは幸せのままに、眠りに落ちた。

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