小説 | ナノ

一つの愛の話 2


 
清浄(せいじょう)
ヒト





 霧がかかった林を二階の窓から眺めていたら、手前の、木がさほど生えていない草原に雉の家族がいるのが見えた。色鮮やかな赤と緑が親で、茶色いのが子どもたちだろう。


「何かいたんですか、林に」


 ベッドの中からヒトが問いかけてくる。荒れた声は未だ治らず、熱もまだ下がらない。立派な風邪だと、往診に来た医者は言っていた。栄養をつけて菌を追い出すしかない。
 仕事をすべて無しにし、ヒトの傍に付き添うことを選んだ。


「よくわかったな」


 窓の傍を離れ、ベッドに腰掛ける。上半身を起こしたヒトが手を伸ばしてきて、腕に触れた。


「清浄さん、動いたでしょう。何か見たのかな、って」


 ヒトが柔らかく微笑む。それが愛しく、手を伝って肩に触れ、髪に触れ、頬に触れた。


「何もかもお見通しか」
「いいえ、あなたの心の中はわかりませんよ」
「わかるだろ。ヒトのことしか考えてねぇ」
「本当か嘘か」
「つれねぇの」


 軽く咳をする。ヒトが風邪を引くのは珍しい。意外と頑丈な身体の持ち主で、数年に一度くらいだ。聞き慣れない咳の音に、自分でも驚くほど動揺した。


「大丈夫か、ヒト」
「平気です」
「水飲むか」
「水よりお湯がいいです」
「わかった」


 立ち上がりかけた俺の服の裾をつかむ細い指。


「お湯より清浄さんにそばにいてほしいです」
「……いや、水分は摂らねぇと」
「現実的なことをおっしゃる」


 ぷぅ、と頬を膨らませる。子どもじみた仕草。頭を撫で撫で、すぐ戻る、と言ってキッチンへ。
 静かな家の中は、耳を澄ませるとヒトが咳をする音が聞こえそうな気がした。
 湯が沸く。
 それと同時にひたひた、足音。


「待てなかったのか」
「はい」


 肩にボルドーのカーディガンを掛け、ネイビーのパジャマ姿。色の濃い床に、裸足の白さが際立つ。
 火を消し、カップへ注いでカウンターへ。椅子をヒーターの前へ。
 それから、ヒトを抱き上げた。ひゃ、と小さな声を漏らし、揺れるのが楽しいのか、笑う。椅子へ座らせてカップを渡してやった。


「暖かいです」
「よかったな」


 しばらく無言が続いた。何も話さなくても、ヒトの唇の端が上がっているので楽しいか嬉しいと思っていることがわかる。きれいな、すっとした横顔。伏せられた目の、黒黒と長いまつげが美しい。


「……ヒトはきれいだ」
「急に何です。あなたはいつも突然だけれど」
「世界で一番美しいと思う」
「それならあなたも、世界で一番素敵ですよ」


 なんだこの不思議な褒め合いは。
 照れくさくなって黙ると、恥ずかしくなりましたか、と冷涼な声が尋ねてくる。やはりヒトはなんでもお見通しのようだ。いや、俺がわかりやすすぎるだけか。


「起きたついでだ。何か食え。食って薬飲んで寝ろ」


 空気を変えたくて言ったのに、ヒトがにやりと笑いながら「一緒に寝てくれますよね」などと言うものだから、いいですよ、と返すしかなく、逃げるようにキッチンへと戻った。くすくす、ヒトが笑う声が追いかけてくる。
 ヒトも俺の操縦が上手くなったもんだ。
 長く一緒にいれば当たり前か。
 長く、と言える間のことを思い出すと、当たり前のような気もしてくる。辛く苦しいこともあったが、基本的にはヒトに愛してもらい、なんとかやってきた。なんて幸せなことだろうか。


「清浄さん」


 荒れても優しい声が名前を呼ぶ。返事をすると笑いながら


「愛していますよ」


 と。
 ヒトはやはり、俺のことを見通している。
 年甲斐もなく派手に照れながら、ヒトに見えない場所で頭をかりかり、掻いた。





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