小説 | ナノ

軽い約束




桧佐杜(ひさと)
理茉(りま)







 頼まれて面倒を見ている桧佐杜くんはなかなか手ごわい。あれもいやこれもいや、最初のうちはとても大変だったけれど、辛抱強くいやいやに付き合うとそのうち素直になることに気付いてからはだいぶやり取りができるようになった。そのことに気付いた辺りから桧佐杜くんの警戒もとけはじめたような気がしている。
 ご飯もおいしいと言って食べてくれるようになったし、一緒に寝よう、と誘ってくれるようになった。お風呂は嫌がるのだけど。今年五歳になった桧佐杜くんがひとりで入るにはまだ早いような気がするが、ずっとひとりだったよ、と言ったので、そうかい、と入らせることにしている。もちろん何かないように、入っている最中は浴室の外で待機しているけれど。


「お出かけしようね」
「うん」


 そう言ってから、出かけるまでが結構長い。服や靴に関していやいやと繰り返すからだ。
 今日も、壁一面に埋め込まれたシューズクロークからどんな靴を出しても納得しない。父親相手だとすぐ履くのかな、と考えながら、そのいやいやに付き合う。いや、と言う割にすぐ目が揺らぐ。悲しそうな、なんだか怒っているような。だからいやいやを聞く気になるのだ。その目が気になってしまって。


「どうする? お出かけしない?」
「いや」
「する?」
「うん」
「靴履いてくれる?」
「いや」


 いやかー。
 いや。

 同じ問答を繰り返し、ふぅ、と溜息。びくんと肩が動く。


「困ったなーお出かけできないと今日の夜に食べるものないんだなー。桧佐杜くんが一緒に来てくれて買い物の手伝いしてくれると助かるんだけど……嫌ならひとりで行ってこようかな」


 ひとりで、という単語が出た辺りで、伏せられていた目が見上げてきた。


「いや」
「一緒に来てくれる?」
「うん」
「靴履いてくれる?」
「うん」


 ようやくいやいやが収まった。卑怯な手だとは思うけれど仕方がない。スウェード生地のデッキシューズを履いた桧佐杜くんは玄関を出るなり手を繋いできた。とても可愛い。黒髪に大きな目、長い睫毛。一見すると女の子にも思える、中世的な可愛らしい顔立ち。なんでも似合うので着せたくなる父親の気持ちもわかる。
 お出かけの目的は買い物、と、桧佐杜くんが好きなお菓子を買いに行くこと。
 案外渋好みな彼は、いつも食材を買うスーパーの前を通り過ぎ、そこから歩いて十分もしない小さな和菓子屋に寄る。


「お父さんがよく持ってくる」


 そうで、こしあんの最中がお気に入りのようだ。手慣れた様子で頼んで、むっつください、とはっきり告げる。慣れた店員さんは微笑んで、六つですね、と繰り返し、小さな花の形の練りきりをおまけに三つ入れてくれた。
 それを大事に持って帰るのは彼の役目で、がさがさ言わせながらふん、と嬉しそうにしている。その様子もまた愛らしい。
 それからスーパーへ寄って買い物をして、ゆっくり歩いて帰った。帰ったらいつも桧佐杜くんのお昼寝タイム。律儀にお昼寝用の寝間着に着替え、お昼寝用の布団を敷いて「一緒に寝よー」と誘ってきた。布団は小さいので、ラグの上へ寝転ぶ。


「理茉、ずっと一緒にいてくれる?」


 大きな黒い目が、じっと見つめてきた。小さな声で、誰にも聞かれないようにしているかのように。


「ずうっと、は難しいかな」
「いや」


 泣きそうに歪んだ顔。ぷにぷにの頬へ手のひらを滑らせる。小さな手が手の甲へ重なった。


「理茉がずっと一緒にいてくれないと、いや」
「うーん……桧佐杜くんが大きくなって、おれを守ってくれるようになったら、一緒にいてもいいかもしれないね」


 二十二歳のおれは、桧佐杜くんが大きくなったころにはいい歳だ。きっとその頃には興味もなくなっていて、そもそもこんな話をしたことも忘れているだろう。そんな思いからしてしまった約束。桧佐杜くんは「明日にでも大きくなるから」と言い始めて、可愛らしいなと思わず笑う。


「たくさん寝て、大きくなろうね」
「うん」


 今度は、いやとは言わなかった。





 それから間もなくして、おれはずっと行きたかった留学に出て学んで、気づいたら十年も十一年も経っていた。時折桧佐杜くんのことが頭をよぎったけれど、父親からたまにメールが来るくらいで、そこに彼のことは書いていなかった。
 やっぱりすぐに忘れられちゃったか。
 苦笑いが漏れて、少し寂しくなった。可愛かった彼はどう成長したろうか。さぞかし美少年になっているに違いない。今年で、およそ十八歳。どんな成人になるんだろうか。
 図書館の奥のスペースで、メールの返事を書く。そういえば、桧佐杜くんは元気にしていますか。そんな内容を書いていたら、後ろから伸びてきた手によってノート型パソコンは閉じられてしまった。指を挟むところだった。振り返ると、そこに立っていたのは見覚えのない男の人。長身で黒髪、明らかに同じ国の人だけれど、ラボに東洋人は存在しない。どこかの大学生だろうか。専門書目当てに来ていたずらしたとか。


「……思い出さねぇもんだな」


 低い声でぼやいて、はぁ、と息を吐く。
 黒い眼差しを注がれ、それになんだか覚えがあるような気がした。がっちりとした身体や、大きな手や、しっかりとした男前な顔はよくわからないけれど、その眼だけは。


「元気かどうかなんて、メールに書くなよ。本人に聞け。目の前まで来てやったんだから」
「……桧佐杜くん?」
「久しぶりだな、理茉。でかくなって迎えに来てやったぞ」


 どうだよ、と顎を持ち上げる仕草は小さなころと重なって見えた。思わず笑ってしまう。心の中になつかしさが広がった。


「ちょっと老けたな、理茉」
「桧佐杜くんも、だいぶ変わったよ。可愛い子になるかと思ったら、そんな男前になっちゃって」
「でかくなって守れって言っただろ。だからでかくなってやったんだぞ」
「まさか覚えてるとは……」
「無責任だな」
「申し訳ございません」
「責任とれよ今から。俺が一生守ってやるし、介護もしてやるから一緒にいろ」


 笑うと、笑うな、と言われた。いや、という姿にまた重なって見えた。変わらない。


「桧佐杜くんになら、守ってもらうのもいいかもしれない」
「おう、自分で言ったんだしな」
「ところでなんでこっちにいるの」
「建築の勉強しに留学するわ、っておやじに言ったら二つ返事で飛ばしてくれた」
「お父さん……相変わらず……」
「理茉、メールで口説かれてたろ」
「本気じゃないと思うよ」
「あの野郎はわかんねぇから」
「桧佐杜くんくらいだって、おれに本気で言ってくれるの」
「……ならいいか」


 立ち上がると、大きな手が抱き寄せた。腕も太くなり、顔がぶつかった胸もとても厚く思えた。立派になったんだな、と思うと同時に、あんなに小さかったのに、という謎の寂しさも覚える。そろりと腕を回すと、あの頃と同じように肩を震わせた。


「照れないでよ」
「照れてねぇよ」
「嘘。肩震えたよ?」
「……なんでもお見通しだな」
「そりゃ。ずっと一緒にいたからね」
「頼もしいな」
「頼ってくれていいんだよ」


 年上だからね。言うと、俺にも頼れよ年下だけどな。と返された。






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