小説 | ナノ

あんどーちゃんはにゃんこの手のひら*


 
安東 四万雄(あんどう しまお)
香衣(かい)





 外は蒸し暑く、室内でクーラーを利かせたいところだがあんまり温度を低くすると単純に寒いらしいのでそこまではできない。おかげで動けば動いた分だけ汗だくになる。ベッドの上で、シーツがまとわりついて不快だった。
 細い指先が、腕や肩の刺青を撫でる。背中も、太腿も。至る所に触れる子ども体温。やましいことをしている、という現実が目の前に突き付けられ、罪悪感と高揚感と、様々な思いが浮かんでは消える。この年頃の子どもを相手をしている人間はみんなこんな思いをするのだろうか。
 腰を動かすと、薄い肉付きの腰とぶつかって音がする。あんまり激しく動くと爪を立てられ、緩やかに動くと指がしがみついてくる。どちらかと言えば後者のほうが好みだ。力なく触れる手。心が動かされる。
 汗がこぼれて、頬に落ちた。丸みを帯びたその輪郭を撫でる。擦り付いてきて、たまらない。

 一通り行為が終わると、猛烈に疲れる。時間を掛けてやっているからだろう。こんなことは適当に乱暴に済ませても構わないはずなのに、とてもゆっくりと、快感を覚え込ませるように行為を進めている。最初に「気持ちいいことだって、教えて」と言われたからだろうか。

 身体の一部を抜き去ると、ん、と色っぽい声がした。
 腕に抱くと、また刺青を撫でるように指が絡む。鎖骨やのどの辺りに唇が触れ、ちゅうっと無邪気に吸い上げた。痕が残るほどではない吸い方。
 まだまだ柔らかな髪が、ふわふわ胸に触れる。指を通してみるとどこにも引っかかることなく毛先まで通った。


「……にじゅうまんえん」
「はいはい。色気ねぇな」


 くりっとした大きな目が、上目遣いに見上げてくる。
 頬をぐりぐり撫でると、むにむにと変形して自由自在。やせっぽちだった身体に栄養を与え、食わせて飲ませて、作り上げたのが自分だと思うと少し嬉しい。嫌な趣味だ。この子ども――香衣と暮らすようになってから、幾つも妙な趣味があることに気付いてしまった。友人は「あるある」と言うけれど、世間的に言えばよくはないだろう。今更世間体を気にすることもないが。
 二十万円、と言う香衣は、本当に思っているのかそうでないのか。一応回数分だけ、返済に充てている。行為を一度すれば二十万円、内容によっては増えることもあるけれど、最低二十万円ということになっている。香衣が借りたわけではないから、返済義務はないのだけれど。


「一回二十万で身体買ってやろうか」


 戯れに口にした。人の気配のない、がらんとした家のリビングで。
 すると目の前の子どもは、まるで自然なことのようにこくりと頷いたのだった。


「普通に働くより、早く返せそう」


 合理的な判断だ。
 けれどあまりに普通の顔で淡々と言うので、もしやこの歳ですでに経験があるのか、とも疑った。実際とても感じやすかったし、最初も特別痛がったりはしなかった。けれど何度聞いても「ない」と言うので、今はそうだろうと思っている。戸惑うような顔を見せることもあるからだ。真実がどうかは、気にしないことにした。なんとなく。


「香衣」


 名前を呼ぶと、ぼんやりした目が見上げてくる。
 撫でて、唇を合わせて、汗をかいている身体を腕にもう一度抱き直した。どうやらすべてを済ませた後に抱きしめられるのが好きらしいと知ったからだ。
 好きな食べ物
 好きな食器
 好きな服
 好きな本
 好きな家具
 淡々と自分のペースで暮らしている香衣はわかりやすい。好きなものを見ると目が輝く。だからいつの間にかそれを見て、用意するようになっている。
 気まぐれに人を世話するのも悪くない、と、どうせ身寄りのなくなった子どもだから、と、好きにするはずがすっかり世話を焼いてしまっている。意のまま、望まれるままに。
 あまりの必死さに、稀に自分で笑ってしまう。


「安東さん」
「ん?」
「……気持ちい」
「そうか」
「うん」


 ふわと微笑む。その顔が可愛らしいと思う。
 可愛い。
 そんな思いは、最初はなかったはずだった。おそらく。いつから感じたのだろう。まだ暮らし始めて一年ほどしか経っていないはずなのにもう思い出せない。


「俺も歳かな」
「……安東さん、若い、よ」
「そこに触りながら言うな」


 臆面もなく、力のない局部を触ってくる。何をするか予想もできない、不思議なテンポを持つ香衣。裸エプロンで出迎えてみたり、急に服を脱ぎだして「にじゅうまんえんしよ」と言ったり。翻弄されている。実に。しかもそれが嫌じゃない。怖い。
 ぐるぐる、振り回されている。喜んで。


「安東さん、眠たい」
「風呂は?」
「入る」


 小柄で、でも割に重たい。抱っこして運びたいところだが、何回もやっていたら腰がおかしくなる。
 手を引いて全裸のまま風呂場へ。

 湯を張る間に身体を洗ってやり、それから。


「そういうのいいから」


 身体に泡をつけ始めた香衣にすかさず突っ込む。


「普通に洗ってくれればいいし」
「……安東さん、こういうの好きだって」
「誰に吹き込まれたかしらねぇけど、別に好きじゃねぇから。はいこれでやってください」


 ぱちぱち、瞬きをしながらタオルを受け取った香衣。背中の方へ回ってごしごし、背中を擦る。


「安東さん、身体ですりすり嫌い?」
「嫌いじゃねぇけど」
「じゃあ」
「いや、香衣にやってもらおうとは思わねぇから普通にやって普通に」
「むっ」
「なんでむっとするんだよ」
「なんとなく」


 やはり香衣はよくわからない。それがまた面白く、戸惑いながら暮らしている。

 風呂へ身体を沈め、後ろから抱く。
 寄りかかってきてうとうと。


「寝るなよ」
「うん」


 返事のすぐ後、すやすや聞こえて来た。


「寝るな」
「寝てない」
「いや、すやすやしてたろ」
「寝てない……」


 言い張る。だからはいはいと流し、寝そうになるのをまた起こす。なんとか自力で行ってもらわねば腰がやられてしまう。
 半分寝ているような香衣を宥めながら身体を拭いてやり髪を乾かし服を着せ、歯を磨かせて顔面に化粧水やら乳液やらを塗らせ、半ば引きずって寝室へ。椅子に座らせ、さっさとシーツを替える。新しくなったそこへ横になればあっという間に目を閉じた。


「おやすみ」


 返事は寝息。
 すうすう、聞こえる平和な音に耳を傾けながら、電気を消して同じく目を閉じた。





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