小説 | ナノ

 弟の恋人 1-2


「お兄ちゃんたちに会ってくれないかな……?」


 大きな目をした可愛らしい恋人が、丸っこい声で伺うように言った。恋人が住む家の近くの公園で、たしかよく晴れていたように思う。瞳に光を受けてきらきら光っていて、とても美しかった。その美しさ可愛らしさに、よく考えず頷いて今日を迎えたのだが。


「四ノ原さんでしたっけ。お仕事は何を?」


 一見すると女性にも見え、しかし直線的で大きな手で髪をかきあげる仕草はそうではないと感じさせる動きだった。気付かないうちに何かしてしまったのか、ひどくいらだっているようにも見えた。先程、駅で初対面を迎えたときはとても穏やかそうな人に見えたのだけれど、今は舌打ちでもしそうな顔をしている。というか、目が据わっている。
 助けを求めたいが、恋人は現在もう一人の兄だと言う人と一緒にキッチンで料理をしているようだ。客間だと言う、テーブルとソファと煌びやかな調度品しかない部屋にふたりきり。


「質問が聞こえなかったんです?」


 低い声で尋ねられ、はっとする。


「あ、ええと、会社員を」
「会社員。失礼ですけれど、妙な会社ではないでしょうね」
「妙な会社では」


 ありません、と言いかけて、人によってはいかがわしいと取るかもしれない、と思った。レジャー施設から風俗店までなんでも経営している、興味を持つと大体の分野に手を出す変わり者の社長の下で働いており、現在は幾つかの風俗店舗を管理している立場にあるからだ。


「言いよどむということは、やはり」
「いえ、あの、人によってはそう取るかもしれませんが、自分としては真面目に働いているつもりです」
「そうですか」


 面接官のようだ。手元に書類がないのが不思議なくらい。あるいは、警察の尋問。個室ではないけれど威圧感がよく似ている。最初からこちらをクロとして扱っている警官に。


「うちの弟とはどう知り合われたんですか」
「貞……くんとは、彼が学校へ行くのに使っている電車で」
「電車?」
「普段はバイク通勤なのですが、その日はたまたま雨が降っていて」


 雨足が強かったので、濡れることもないだろうと近場の駅から電車に乗った。ビジネス街にある会社までは一本で行ける。一本で行けるゆえに混むのだが、容姿と体格のせいか周りはある程度距離を空けてくれる。
 ぼんやり乗っていたら次の次の駅で中学生が乗ってきた。電車を降りる人間はいなくて、制服姿のその少年がひとり乗ってきただけだった。ドアが閉まり、しばらくして、隣にいるその少年の顔色がひどく悪いことに気付いた。もともと色白なのだろうか、とも思ったけれど、手も震えている。


「気分でも悪いんですか」


 怖がられることを承知で話しかけた。
 すると見上げてきたのは大きな目。泣いているかのように潤んだそれにきゅんとしなかったと言えばうそになる。


「そう、です」
「じゃあ、次で降りましょう。少し休んで治らないようでしたら、病院まで付き添います」
「え、でも」
「時間には融通がきくので。ひとりよりいいかと思うのですが」
「……すみません」


 そしてまもなく着いた駅で降り、待合室のベンチで休んだ。はあ、と息を吐く。


「大丈夫ですか」
「雨の日は、車内の湿気が多いじゃないですか。どうも苦手で……いつもは、時間をずらしたりするんですけど」
「そうなんですね」
「挑戦してみようかな、って乗ってみたんですが、結局迷惑を掛けてしまいました。すみません」
「構いません」


 ぺこりと頭を下げる姿が大人びていて、中学校の制服とは合わないように思う。こんな薄暗い場所ではなく、明るい場所で見たらさぞ艶があるだろう髪や、きちんと手入れされた制服、肌の艶、さまざまなものを見るに、充分に養育されているように見えた。本人の資質もあるだろうが、周りの人間がそういうことを言ったり、したりする姿を見ているのだろう。


「……雨の日に電車に乗り合わせ、気分が悪かった弟を保護したと。ありがとうございます。で?」
「後日、お礼がしたいと言われて電話番号を教えました。それで会って、あの、回数を重ねて」
「中学生相手に」
「それは、その」
「まあ恋愛に年齢は関係ないですけどね」


 その口ぶりはとてもそうは思っていないように聞こえた。


「こんななりですが、そこそこ勉強のほうはできたので、受験勉強の相手をしたり」
「うちの貞くんは賢いので不要だと思いますけどね」
「どうしてもお兄さんたちと同じ学校に行きたいと言っていたので」
「……そうですか」


 柔らかく、微笑う。その顔は貞に似ていた。すぐ消えてしまったけれど。


「敬姫お兄ちゃん、桂二さんと何話してたの」


 開け放したままだったドアから、貞が顔をのぞかせた。可愛らしい笑顔だ。心が緩む。
 向かいにいるお兄さんはまるで人が変わったように優しい笑い方で、優しい声で「いろいろと」と答えた。


「桂二さん、いい人だから。大丈夫だよ」
「ええ、そのようですね」


 こちらにくれた流し目は、とてもそう言っていなかった。
 貞、行かないでここにいてくれ。そう言いたかったけれどそれではきっとお兄さんが不快に思うだろう。「あ、お茶持ってくるね」と言って行ってしまった貞。すぐ戻ってきてくれるに違いない。


「で、四ノ原さん」
「はい」
「いつからお付き合いを?」
「去年の冬、ごろから」
「弟にいかがわしいことはしていない?」
「……いかがわしいこと」
「しているとしたらあなたを獣と呼ばざるを得ないのですが」
「手、手に触れる程度です」
「獣ですか……」


 顔をしかめられ、まじか、と思わず言いそうになった。付き合っているのだから触れるくらいはしたい。貞の体温は高く、触れているだけでとても満たされる。人を安心させるような温かさ。


「……さて、そろそろ交代ですね」


 お兄さんが言うと、足音が近づいてきた。それは俺が期待していたものと違う、重々しいもの。


「茶」
「料理は僕が引き継ぎましょう。硬羽、あとは頼みますよ」
「任せろ」


 何をされるのか。ひんやりした、切れ長の目が見下ろしてくる。よくはなさそうだ。


「どうぞ」


 どん、と置かれたのはなぜかジョッキに入った透明の液体。


「あれ、お酒は嫌いですか」
「飲むつもりはなかったです」
「飲めないんです? うちの酒が」
「いただきます……」


 一口含んで吹き出さなかったことをほめてもらいたい。舌がびりびりするような辛さと甘さ、あっという間に広がるアルコール臭。なんとか胃に入れると、燃え上がるように熱くなった。


「いかがですか」
「おい……しいです」
「そうですか」


 淡々とした答え。本人はおそらく普通の緑茶をすすっている。


「先ほどのは次男の敬姫です。俺は、長男の硬羽です。似てないですけど、双子なんですよ」
「そうでしたか……兄弟仲、いいんですね」
「そうですね。特に貞とは年が離れているので、それはもう可愛いと思っています」
「そうですか……」
「それに手を出されるのはとても嫌です」
「そうですね……」


 先ほどのケイキさんは遠まわしだったが、こちらはずいぶん直球だ。ぐさぐさ刺さる。貞、早く迎えに来てくれ。


「貞がいいと言ったなら仕方ないです。紹介したいと思うほど、あなたがいい人でいいお付き合いをしているのだとも思います」


 低い声で淡々というので、褒められている気もしない。そうですか、が精いっぱいだ。


「でもあなたが許せないので、とりあえずいやがらせはします」
「すがすがしいな……」
「こそこそ陰湿なのは敬姫の役目なので」
「そうなんですね……」


 直後に、ご飯できたよ、と言いに来た恋人はやはり可愛らしく、頭を撫でた。すかさず横からコウハさんに奪い取られたけれど。


「貞、こぼすなよ」
「うん」
「貞くん、このおさかなおいしいですよ」


 両脇をがっちり固めて、口を拭いてやったり食べさせてやったり。いちゃいちゃいちゃいちゃ、見せつけられる気分は正直よくない。でも貞は久しぶりに会ったからか幸せそうで、その顔が見られるだけいいか、と思った。例えケイキさんが取り分けてくれた魚が骨だらけでも、コウハさんがさりげなく貞の髪にキスをしても。
 俺も貞に触りたい。そんな欲がむくむく湧いてきて、早く帰りたいと思う。
 そんなとき、最悪の言葉が、コウハさんの口から出た。


「今日は泊まっていけ」
「え、でも、桂二さんの着替え、ないよ」
「なんとかなるだろ。最悪上半身裸で寝てもらう」
「……」


 上半身裸はまずい。
 何のためにわざわざシャツを着てきたのかわからなくなる。


「明日は朝から仕事で」
「じゃあ貞くんだけお泊りで」
「桂二さんが帰るならぼくも帰るよ」
「貞……」


 可愛い恋人が、桂二さんが帰るなら帰る、と主張してくれたおかげでその日は泊まりを避けられた。よかった。夜道を歩きながら手を繋ぐ。ようやく触れられた貞の体温。心からほっとする。


「桂二さん、いじめられなかった?」
「……貞のことを深く愛しているんだな、とは思った」
「小さい時からずうっとあんな感じだから……ぼくはすごく安心するけど、桂二さんは、嫌?」
「いや。貞がお兄さんたちと一緒にいて幸せそうな顔をしていたから、嫌じゃない」
「よかった」


 街灯の下で笑う貞。その笑顔を見られただけ、よしとしよう。胃が著しく痛いけれど。






各ページのトップへ戻る場合は下記よりどうぞです
||||||
|||10|11|12|13

-----
拍手
誤字報告所
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -